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豊穣神イナリの受難  作者: 岬 葉
魔の森修復作戦(仮題)

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377 そんなつもりはなかった

「色々と考えていたのですが、まず、イナリさんにはスライムを見ていただこうかと思います」


「ほう、すらいむか」


 時折耳にする魔物の名前に、イナリはぴんと耳を立てながら返した。


「以前リズさんから聞きましたよ。イナリさん、スライムを見たことが無いそうですね?」


「うむ。一応、すらいむぜりーは見たことがあるのじゃが」


「さすがに加工品を『見た』に含めるのは無理がありますね……」


 イナリの言葉に、エリスは苦笑しつつ返し、続ける。


「スライムは私達にとって一番身近な脅威の一つです。普通知らないなんてことはあり得ないのですが、知らないのであれば絶対に知っておく必要があると思います」


「なるほどのう。ただ、我は全く見たことがない故、身近と言われても全くピンとこないのじゃ」


「それはそうですね」


 イナリにとって身近な魔物と言えば、一番にゴブリン、次に時折見かける動物をそのまま大きくしたような魔物、あとはトレントくらいだろうか。トレントについてはイナリと所縁があるだけで、身近と言うと少し違う気もするが。


「とはいえ、我とてスライムについて何も知らないわけではないのじゃぞ?美味なのと、半透明で液体状なのと……確か、死体に憑依するのじゃったよな?」


「一応訂正させていただきますが、普通は美味ではないですからね」


 とても同じものについて語っているとは思えないイナリの言葉にエリスは項垂れながら返し、イナリの手を掴んで歩き始めた。




「全っ然居ないですね……」


「そうじゃな。もう小一時間は歩いたのではないか?」


 ここは魔の森のどこか。途方に暮れた二人は目を合わせる。


「……ちょうどそこに開けた場所がありますし、お昼にしましょうか」


「うむ」


 二人は近くの見通しがいい場所にあった岩に腰掛け、イナリが持っていた弁当箱を開いた。


 中身は適当な野菜と肉で作ったサンドイッチだ。二人で一つずつ手に取って頬張っていると、エリスが愚痴をこぼす。


「本来であれば、とっくにスライムには出会えているはずだったんです。まあ、別の魔物と遭遇できましたし、完全に無駄というわけでもないのですが……」


 エリスの足元には、道中で遭遇した魔物から採集した素材が詰まった背嚢が置かれている。言うまでも無いが、全てエリスが単独で討伐したものである。


 イナリに戦闘技術の良し悪しはわからないが、それでも結界やイナリの力をうまく活用して魔物を捌いていくエリスの手際には感心するものがあった。普段は索敵や後方での支援に徹している彼女だが、確かに高等級の名に恥じない実力を持っていたと言えよう。


「思ったのじゃが、スライムとはどれほど遭遇しやすいものなのじゃ?」


「文字通り、どこでも出会えます。年一回あるかどうかくらいですが、パーティハウスの排水溝から出てきたりもしますよ」


「なるほど、それは確かに身近じゃ」


 まさか街の中ですら遭遇する可能性があるとは思っておらず、イナリは感嘆の声を上げた。確かにそれなら、スライムを見たことがないイナリの異様さは際立つであろう。


「建物側で対策もされているのですが、それをすり抜けてくる個体も居まして。水あるところにスライムあり、なんて言われたりしますね。街の下水道は定期的にスライム駆除をしないと大変なことになります」


 この話を踏まえれば、確かにスライムは十分な脅威と言える。この様子からして、地球で言う「茶色くてカサカサ動くアレ」のような位置づけだろう。


 それはそうと、「アレ」はこの世界にもいるのだろうか。虫にそれなりに免疫があるイナリですら「アレ」は見ていて快いものではないので、願わくば魔物として巨大化したりはしないでほしいところである。


 イナリが余計なことを思い出して顔を顰める傍ら、エリスは話を続ける。


「つまり、身近な例で言えば……イナリさんが井戸で水を汲もうとしたら、そのままスライムに纏わりつかれ、井戸に引きずりこまれてしまう可能性があるのです」


「ひえ……」


 腕を広げて襲い掛かるような仕草をするエリスに、イナリは震えた。


 恐らく、イナリは窒息しても死にはしない。ただ、救出されるまで永遠に苦しみ続けることになるだけだ。あるいは、井戸に落下しても大体同じようなことになるだろう。何にせよ碌な事にならないのは確かだ。


 そんな想像を膨らませて震えるイナリを見て、エリスは頭を撫でながら考える。


「……ですがよく考えたら、イナリさんと会ってからというもの、スライムに悩まされた記憶がないですね。冒険者ギルドのスライム関係の依頼も減ったような気もしますし……イナリさん、何か心当たりとかないですか?」


「無いのじゃ」


「そうですよねぇ……」


 エリスの返事を最後に、しばらく二人の間に無言の時間が訪れる。木々のさざめきに混ざって散発的にどこからともなく聞こえる謎の爆発音が響くが、その原因を理解している二人は特に言及することもない。


 イナリはその音に耳を傾けつつ、サンドイッチの最後の一口を放り込むと、エリスに向き直る。


「もご、もごごもご」


「飲み込んでから話してくださいな。また喉を詰まらせてしまいますよ?」


「……むぐ。いっそ引き返して、下水道へ赴いた方が早いのではないか」


「それはできません」


「何故じゃ」


 即答するエリスの言葉に、イナリはむっとした表情で返した。


「下水道に入るとしばらく臭いが残りますから、それなりの覚悟と準備が必要です。このまま立ち入っては、当分は一緒に寝るどころか、近づくのも辛くなってしまいますよ?」


「……なるほど、それはちと困るのう」


「ご理解いただけて何よりです。イナリさん成分を吸えなくなるのは私としても辛いので」


「それはあまり理解できぬが」


 存在するかすら怪しい成分の事を懸念しているエリスの事はさておき、変な臭いがする神など威厳も何もないだろうし、何かと不便なことも多くなるだろう。


「では、あと十分くらいしたら出発しましょうか。スライムが見つかるといいのですが」


「そうじゃな」


 イナリはエリスの言葉に頷き、まだ何か残っていないかと弁当箱に手を伸ばした。




 そして日が傾き始め、そろそろ帰ることを視野に入れ始めた頃。


「……居ました!こっち、こっちです!三体いますよ!」


 エリスは突然声を上げると、イナリの手を引いて走り始めた。どこにでもいるはずの魔物だというのに、まるで伝説の生き物を見つけたかのごとく興奮した様子である。


 茂みをかき分けて少し進むと、そこには三つ、イナリのこぶし二つ分くらいの大きさの透明な水滴の塊のような物体が、ぷよぷよと動いていた。


 エリスはそのうちの一体を手のひらに乗せると、イナリの前に持ってくる。


「イナリさん、これがスライムです。色が澄んでいて小さいので、恐らく発生したばかりのものでしょう。これは珍しいですよ」


「発生……まあこれ、生物と呼べるかは何とも言えないところじゃし、その表現が適切そうじゃな……」


 イナリはエリスの手のひらの上にいるスライムを指でつんとつつきながら返した。


「中央にある石が核です。これを壊すとスライムは活動できなくなります」


「ふむ。何じゃ、意外と大したことなさそうじゃな」


「確かに、今なら私が手を握るだけでこのスライムは倒せます。しかし、成長すると膜が厚くなって物理的な攻撃が殆ど効かなくなったり、不定形になって網ぐらいなら簡単にすり抜けたり、他のスライムと融合して巨大化したり……独自の進化をします」


「ふむ」


 そういえばいつだか、リズも「スライムは奥が深い」とか何とか言っていたような気がする。エリスの説明はそのほんの一端なのだろう。


 しかし、こうして見ている分にはとても危険な「魔物」とは思えないのが本音である。


「ふーむ、脅威というから身構えておったが、なかなか愛いやつではないか。んん?」


 イナリも地面に居たスライムを一つ手にのせ、そのまま高く掲げた。


「イナリさん、そんなことをしたら危ないですよ」


「だいじょーぶじゃ、万が一の時は核を壊したらよいのじゃろ?それなら――もがっ!?」


 イナリが慢心していると、スライムがするりと手の上から零れ落ち、イナリの顔面にべたりと落下した。突然目の前が見えなくなり、息が苦しくなる。


 間もなく己の顔面にスライムが密着していることを理解したイナリは、慌てて手でスライムを除けた。スライムは弧を描いて近くの木に激突し、核ごと弾け飛ぶ。


「はあ、はあ……こ、殺すつもりは無かったのじゃ。こやつが……こやつが、我の顔を、覆ってきたから……」


「そんな殺人犯みたいなリアクションをしなくても。事故とは言えイナリさんを溺れさせたわけですし、放っておくわけにはいかなかったでしょう」


「それはそうじゃが……なんと儚き命じゃ……」


 依然としてスライムに「命」の概念があるのかは謎だが、ともあれ、意図せずその活動を止めさせてしまったのは事実である。初めこそ己を窒息させかけたスライムに文句の一つくらいは言うつもりだったが、今となっては謎の罪悪感すら湧いてきている。


「イナリさんの髪が濡れてしまいましたし、戻ったらすぐに洗い流さないといけませんね」


「そうじゃな……」


 イナリは軽く顔や髪、服に着いた液体を拭いながら頷いた。


 その傍ら、まだ地面の上で飛び跳ねていた一体のスライムが、近くにあったバラのような茎を持った植物に触れた。


 すると一瞬にして棘が伸びてスライムの核を貫通し、棘からスライムの水分を吸収した。後には、綺麗に中心部が貫かれた核だけが残る。


 その現場を目撃した狐と神官、そしてついでに、生まれて間もなく二体の仲間を失ったスライムは震えた。


「……エリスよ。もしや我の力のせいで、スライムは草木の養分になっておるのでは?」


「何か、そんな感じがしますね……」


 イナリはエリスの手の上で震えるスライムを見る。どうやらイナリは知らぬ間に、間接的に数多のスライムを屠っていたようである。


 イナリは目の前にいる半透明の魔物を両手で抱え上げ、エリスを見上げる。


「我、こやつを飼うのじゃ」


「えっ」


「すらいむぜりーはスライムを管理して作ったものと聞いたのじゃ。つまり、うまく管理すれば良いということに外ならぬ」


「えぇ……?」


 エリスは「この子何言ってるんだろう」と言わんばかりの表情でイナリを見た。


「考えてみよ、今日一日森を歩いてようやく見つけた存在で、このまま森に返したら五分後には消滅してしまうのじゃ!可哀想じゃぞ!」


「それは否定しませんけど……従魔の登録手続きがありますし、そもそもちゃんと飼えますか?私、スライムの飼い方なんて知りませんよ?」


「我が責任をもつのじゃ!」


「……まあ、そこまで言うのであれば、一旦持ち帰って検討しましょう。このままだと何かの拍子に倒してしまいそうなので、適当な箱に入れてあげましょう」


「うむ!」


 降参したように手を上げるエリスに、イナリは元気よく返事を返した。


「うーん、今日は魔物の事を教えるつもりだったのに、何でこうなったんですかね……?」


 エリスの呟きに、スライムがぷるりと震えて返した。

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