350 第二回 聖女と豊穣神の対談
三人で豪華な朝食を堪能していると、アリシアが羨望混じりの眼差しと共に、げんなりした声を上げる。
「――エリスってさ、いつもイナリちゃんにそんなことしてるの?」
「はい?」
エリスは、イナリの口元に食事を運びながら首を傾げた。
「イナリちゃん、見た目は子供だけどさ、一応神なわけでしょ?そんなことしなくても――」
「アリシアさん、これは必要な事です。こんなに豪華な食事を前にしてしまったイナリさんは、一気に食べ物を口に詰め込んでのどを詰まらせる危険があります。ならば、最も近い場所にいる私がしっかり見てあげるのは当然のこと。決して餌付けしているみたいでかわいいからとかではありません。断じて、私欲のためではないのです」
長々と言い訳を述べる私欲に満ちた神官に対し、聖女は白い眼を向けた。
「エリスはこう言ってるけど、イナリちゃんはどう思う?」
「幸せじゃ、幸せじゃ……」
「……あぁ。確かにこれは、すごい破壊力がある」
神の威厳とやらは何処へ行ったのやら。尻尾を揺らし、幸福感に満ちた様子で朝食を食べるイナリを見て、アリシアは思わず悶えた。監獄での悲惨な状態を見ていたから、より一層その様子が輝いて見えていた。
「……見苦しいところを見せたのう」
「いえいえ、楽しかったので大丈夫ですよ」
「きっとここの料理人さんも喜ぶよ。後で伝えておくね」
食事を終えて冷静になったイナリは、布巾で口元を拭きながら顔を赤らめていた。そんなイナリに対し、二人は暖かい視線で返してくる。
「ところでアリシアさん。イナリさんに聞きたいことがあったのでは?」
「あっ、そうだったね」
エリスの言葉に、アリシアは居住まいを正す。
「イナリちゃんのお姉さん……アースさんについて教えてほしいの。私、あの人が黒の女神なんじゃないかと思ってて……何か変な事、されてない?」
「されてないのじゃ」
イナリは率直に答えた。アースが黒の女神であることを示唆してしまっているが、イナリの姉であることが知られている時点で言い訳のしようがない。故に、イナリは堂々と構えていた。
「それと、一応断っておくがの。お主の話では黒の女神が邪神という推理であったが、それならばこの話をするだけで、我に呪いの効果が出てしまうのじゃ。後は何が言いたいか、分かるであろ?」
イナリがアリシアに目を合わせて告げると、彼女ははっとする。うまく意図は伝わったようだ。
これで、流れに乗じて「邪神=黒の女神=アース」という、アリシアの誤った推理も軌道修正できたはずだ。すなわち、イナリとアースが災厄姉妹になる未来も回避できただろうし、今後都合が悪いことがあれば、全部架空の邪神に押し付けていくことができる。
「ということはつまり、アースさんとアルト神は繋がりがあるってこと?」
「さあ?我もあやつの事は知らんのじゃ」
流石アルトを信奉するだけあって、それに絡む部分に関する勘は目を見張るものがある。だが、この点はエリスすら知らない、絶対に悟られてはいけないところだ。故に、イナリは全力でしらばっくれた。
しかし少々露骨だったのか、アリシアは訝しむ。
「神なのに知らないの?」
「知らぬ。お主とて、聖女だからといって、他の聖女の事を全て知っているわけではあるまい?それと同じことじゃ」
「確かに、それもそうだね……」
イナリが返すと、アリシアは納得した様子で引き下がった。そこに、更にエリスが言葉を重ねる。
「アリシアさん、これは仕方ありません。イナリさんはついこの間まで、アースさんに見捨てられていたのです」
「そっか。……ごめん、あまり聞くべきじゃなかったね」
「我は別に気にしておらんのじゃがの」
邪神扱いとは別の方向でアースの株が墜落してしまった気もするが、ともあれ、これ以上アースに関して深堀されることは無さそうだ。
「とにかく、今の関係は良好じゃし、会うことこそ稀じゃが、それなりに気にかけてもらっておるのじゃ。……というか、子供でもあるまいし、我をそう簡単に騙せると思って貰っては困るのじゃ」
イナリがびしりと指をさして返すと、何故か五秒ほど、この場に妙な沈黙が訪れた。
「……一旦イナリさんの言うことは置いておくとしても、アースさんにイナリさんを利用する意図は感じられません。アリシアさんが懸念するようなことは無いと思いますよ」
「うーん、そこまで言うなら……でも、何かあったらすぐ教えてね?」
「……お主も変わったのう。我を神と知るなりアルテミア送りにしようとした聖女と同じ人間とは思えんのじゃ」
「私だって色々考えてるんだよ」
ジトリとした目を向けるイナリに、アリシアは頬を膨らませながら返した。
「それはよかったのじゃ。時にアリシアよ、話は変わるのじゃが――」
話に一段落ついたところで、今度はイナリ側から話を切り出すことにした。話す内容は勿論、イナリの社周辺に居る異教徒の事である。
「――という感じでの。お主の意見を聞きたいのじゃ」
森での出来事について一連の出来事を説明すると、アリシアは特に表情を変えずに答える。
「聞いた限りだと、現時点ではアルト教は何もできないと思う」
「ふむ?」
イナリが首を傾げると、アリシアは席を立って、料理が並べられている机の方へと歩み寄った。
「悲しいことにね、世界規模で見るとアルト神を信仰しない異教徒って結構多いんだよ」
「以前私たちが立ち寄ったニエ村や、テイルをはじめとした人族があまり暮らしていない場所等が代表的なものですかね」
「そうそう」
アリシアはエリスの言葉に頷きながら、様々な種類の小さな甘味を皿に載せ、イナリ達が座る机に戻ってきた。
「でも、それ全部と戦ってたらキリがないし、魔王の対処にも影響が出るでしょ?だから、アルト教の営みを害さないものとか、土着信仰は見逃そうってことになったの。勿論、布教活動とか、生贄の保護とかはしてるけど」
「ああ、何か以前、エリスだかがそんなことを言うておったのう……」
イナリは記憶を思い起こしながら、アリシアが取ってきた甘味の一つに手を伸ばした。「見逃す」と言うあたりに幾ばくかの驕りを感じるが、実際世界を魔王から守る機関的な側面もあるだろうし、社会的な基盤が段違いなのだろう。
それはそうと、生贄文化はある程度見逃されるのに、神を名乗るのは許されないという構造は奇妙の一言に尽きるが。
「ちなみに、異教徒を排除するとなったらどうなるのじゃ?」
「今までだったら、ナイアで起こった獣人との戦争みたいな感じが一番近いと思う。色々問題があったから、今後変わる可能性は高いと思うけれど……」
「ふむ」
「ああでも、最近は異教徒排除の判断を街ごとで判断していいって事になったんだったかな?もしその異教徒が何かしたときは、私が出向く可能性もあるかもしれないね」
「……それ、大丈夫なのかや?邪な事を考える奴も居そうなものじゃが」
「否定は出来ないけど、これもアルテミアがなくなった影響だからね」
「なるほどの」
イナリは相槌を打つと、口に含んだ甘味を嚥下し、小声でアリシアに囁きかける。
「それはそうと。ぶっちゃけ、我って大丈夫かの?」
「分からないなあ。アルト神以外の神の存在が発覚した今、アルト神以外をどう扱うかはかなり問題になっているから」
「……お主の前の言葉を借りるなら、転換期ということじゃな」
前のアリシアの様子からすると、即処刑と言われないだけ有情と言うべきなのだろうか。あるいは、やはり己の有益さを示す路線を模索すべきだろうか。
イナリがまだ見ぬ未来に思いを馳せていると、アリシアが甘味を頬張りながら項垂れる。
「それに、他にも頭が痛くなる問題はあるからね」
「内輪揉めかや?アルテミアでエリスが苦しんでいたのは覚えておるのじゃ」
「まあ、それに近いことなんだけどねえ。アルテミアに居た過激派が姿を眩ませちゃって、足取りが全然掴めてないんだよ。このままだと、アルト神の名前を盾に好き放題されちゃうよ……」
「……大変じゃのう」
残念だが、教会の事情に特段詳しいわけでもないイナリにはそれ以外に言えることがなかった。
「ごめんね。ご飯の時間に話すようなことでもないし、この辺にしておくよ。ひとまず、異教徒の件はエリスと同意見。イナリちゃんはいい気分じゃないと思うけど、放っておくのが無難だと思うよ」
「分かったのじゃ」
纏めると、イナリが大手を振って神を名乗れるかは微妙というのと、異教徒があまりにも迷惑な時には、教会が助けてくれるかもしれないと言ったところだろう。
お互いに話すつもりだったことは話せたので、アリシアが別の仕事でこの場を去るまで、三人で甘味を食べて過ごした。流石聖女と言うべきか、この世界で食べた食事の中でも圧倒的な満足感であった。




