349 聖女からの呼び出し
パーティハウスに帰ったイナリとリズは、夕食時に、エリスとエリックに今日あった出来事を大まかに共有した。ディルはカイト達と共に森に泊まり込むことにしたらしく、帰ってきていない。
「異教徒ですね」
話を聞いたエリスの第一声である。
「まあ、かくいう私も異教徒なんですが」
「イナリちゃんの事なんだろうけど、エリスが言うとだいぶ洒落にならないな……」
エリスの言葉を冗談と受け取ったエリックが苦笑した。なお、実際は正真正銘のイナリ信者なので、本当に洒落になっていない。
「エリックさん、冒険者ギルドの方で何か似たような話は聞きませんでしたか?」
「特には。イナリちゃんたちが初めての案件なのか、単に報告されていないだけなのか……あるいは、問題視されていないのかも?」
「なんじゃと!?」
イナリは尻尾を膨らませながら、べちりと机を叩いて立ち上がった。
「我の領域がどこの馬の骨ともわからぬ奴に利用されておるというのに、ギルドはそれを些事と思うておるのか!?」
「残念だけど、皆はイナリちゃんの正体を知らないからね……」
「実際に大きな問題が起これば、ギルドで依頼を立ち上げるなり、街や国の兵と連携するなりすると思うんですけどね……」
「うん。多分取り合ってもらえないだろうと思って、街門の兵士さんとかには何も言ってないよ」
エリスの言葉にリズが頷く。
なるほど、冒険者ギルドや兵士は、以前魔の森に潜伏していた人攫いの時のような実害が出なければ、あまり積極的には動かないようである。
つまり、たった四人程度の人間がイナリの土地を悪用しようとしているという「噂」程度では、誰も何もしてくれないらしい。神の居場所が奪われる危機だというのに、この世界の人間のなんと薄情な事か。
イナリが頬を膨らませて拗ねていると、エリスが頭に手を置いてくる。
「安心してください。話を聞いた限りでは小規模なものでしょうし、魔の森でまともな装備もしていないのでしょう?前よりは安全になったとはいえ、まだまだあの場所は危険です。対処するまでもなく空中分解しそうな気がします」
「ううむ、言われてみればそうじゃな。ちと焦りすぎたかもしれぬのう」
「ね。襲ってこないタイプの人って対処法がよくわからなくて苦手なんだよ、燃やしちゃだめだし……」
「無鉄砲に魔法を撃とうという発想にならないなんて、リズさんも丸くなりましたね……」
「丸く……?こやつ、普通に食って掛かりかけておったがの」
イナリは首を傾げた。
ハイドラがリズの口を塞いでいなければ、今頃どうなっていただろうか?もしかしたら消し炭になっていたかもしれない。それはそれで話が早く済んだのかもしれないが。
そんなことはさておき、自身の社が絡んでいるせいで冷静な判断ができていなかったかもしれないのは事実だ。
かつて何の前触れも無しに社を売り払われた時とは違って、今回は直ちに社を失うわけではないし、少なくとも頼れる者と、社以外の居場所がある。もう少し気長に向き合っても良いのかもしれない。
「ひとまず、他の冒険者が似たようなことを言っていないか、気にかけてみるよ」
「うむ。しかし、此度の件をお主に任せきりというのも何じゃし、明日くらいは我もギルドで探ってみるかの」
「あ、ちょっと待ってください」
「何じゃ」
手を上げたエリスは、若干言いづらそうな様子で話し始める。
「実は今日、アリシア様の方から、明日イナリさんと面談がしたいという申し出がありまして……予定も無いだろうからと、引き受けてしまったのです」
「そうか。仕方あるまい、先にそちらの用を済ませてからとするかの」
「ごめんなさい、勝手に予定を組んでしまって……」
「よいよい。随分と突然な事じゃが、前から聞いておったことじゃしの」
イナリは手をひらひらと振って返した。
「それに、ついでに異教徒の件について意見を聞いてもいいやもしれぬな」
「確かに、私よりも余程詳しいはずですし、それがいいかもしれませんね。もしかしたら、何かあったときに頼れるかもしれません」
「うむ」
あるいは、アリシアの異教徒に対する本来の姿勢を垣間見ることができるかもしれない。イナリが将来的に神として大手を振って暮らしていく事を考えるならば、知っておいて損はないはずだ。
というわけで、翌日の朝。
まだ日が昇りきっていないような時間に、イナリはエリスと共に街道を歩いていた。辺りにはたまに人影もあるが、まだ寝ている者も多いだろうことが一目でわかる様子だ。
「寒いのじゃ……何で朝なのじゃ……」
「アリシアさんも忙しい方なので、時間が取れたのが朝だけだったみたいなんです」
イナリのぼやきに答えたエリスが外套を広げて包んできたので、イナリはそれを受け入れるように身を寄せた。
「もうすぐ雪が降る時期ですかねえ。街中で使える手袋も用意しないといけませんね。お耳の暖房具もあったほうがいいでしょうか?」
「それもよいが、やはりあの……魔力らんたん?が欲しいのじゃ」
「魔導ランタンですね。イナリさんが積極的に物を欲しがるの、結構珍しいですよね」
「我の神聖さが高まる可能性を秘めておるからの。……後は、我の手で使える明かりが欲しいのもあるのじゃが」
「ああ、魔力灯代わりってことですね。私が居れば、という問題でもないでしょうし……意外と切実な問題ですね」
「うむ。……時にエリスよ」
「どうしたのですか?」
「我らはどこに向かっておるのじゃ?」
「ふふふ、着いてからのお楽しみですよ」
「何じゃそれは」
イナリはジトリとした目でエリスを見上げた。
「――ほわああ……!」
しかし現地に着くなり、イナリは尻尾と耳を忙しなく動かしながら、目を輝かせていた。
連れてこられたのは、この街で一番高級な宿に併設されている、貴賓が宴などを開くための広間だ。壁、天井、床、どこを見ても品格を感じさせる意匠が施されているこの空間を、今はイナリ、エリス、アリシアの三人だけで独占している。
だがぶっちゃけ、そんなことはどうでもいい。アルテミアで高級そうな彫刻や絵はいくらでも見てきたので、そこに驚く要素はそこまでない。
イナリが興奮している点、それは――。
「美味そうな料理がたくさんあるのじゃ!エリスよ、これ全部、好きに食べてよいのか!?」
目の前に広がる、色とりどりの料理であった。三人で食べきれるかわからないほどの料理が、机の上に並べられているのだ。
「ふふ、いいですよ。私がよそってあげましょう。どれがいいですか?」
「ええと、まずはこれじゃ!それとあそこの皿も。あとは――」
エリスが皿とトングを持ってイナリの隣に立ったので、イナリは気の赴くままに料理を指さしていった。取り皿に増えていく料理を見ているだけでも楽しくてたまらない。イナリは童心に帰っていた。
「あー、こほん。お二人とも、盛り上がってるところ悪いんだけど……」
「これは何じゃ?」
「希少なキノコですね。イナリさん、キノコがお好きでしたよね」
「ちょっと?おーい?」
「そこのは何じゃ?パンかの?」
「パイですね。中身は――」
「牛肉とトマトだよ!!」
イナリとエリスがはしゃいでいると、上品な姿勢で座っていたアリシアが声を上げて立ち上がる。
「アリシアよ、どうしたのじゃ」
「どうしたもこうしたもないよ!私、イナリちゃんと話すために来たんだよ!?何で私そっちのけで楽しい朝食ビュッフェが始まってるのさ!?」
「しかしのう、こんなにたくさんの料理を前に興奮せずにいられようか?いや、できまい」
「冷める前に頂いた方がいいですからね。あ、アリシアさんの分も分けておきますね」
「わあ、ありがとう!……って違うよ!!」
「楽しそうじゃのう」
イナリは密かに感心していた。この聖女、案外揶揄い甲斐があるのかもしれない。




