347 草燃ゆる
というわけで、イナリはリズとハイドラと共に、魔の森へと赴いていた。
なお、エリスは教会の方で仕事があったため今回は不在だ。イナリの前ではただの尻尾はりつき神官なせいで忘れがちだが、あれでも一応、社会的に重要な役割を担っているのである。
話を戻そう。今日のイナリは爆弾ベルトと短剣を腰に提げ、頭には狐耳の形状と一致した帽子を着用した、冒険者風の装いである。
アルテミアで冒険者として活動していた時、後半はこれを着ていたので、着慣れていて活動もしやすい。例によってエリスが用意したもので、相変わらず採寸した記憶も無いのにぴったり馴染んでいる。
ハイドラも似たような装いだが、腰には明らかに危険そうな色合いの液体が入った細長い瓶が下げられており、斜め掛けの鞄にも瓶や採集に使うであろう小道具がたくさん入っているのが見える。
「――あ、あったあった!これだよね?」
「ああ、これじゃな」
リズが青緑がかった草を杖先でつつきながら声を上げた。イナリはそれが確かに件の草であることを認め、頷いて返す。
「おっけー!じゃあ早速――」
「待ってリズちゃん!先に採集だけさせてほしいな」
「おおっと、そうだったね。忘れてたや、えへへ……」
舌を出して笑うリズをよそに、その隣にしゃがんだハイドラは、問題の草をいくつか手に取って瓶の中に保管していく。
「それ、何のために集めておるのじゃ?」
「この植物に効く除草ポーションを作るためだよ。本当はごっそり持っていきたいところだけど、性質が性質だから、慎重に扱わないとね……」
「なるほどのう。……というか、これを持ち込んだ人間は何を考えておるのじゃ?我の森を滅ぼすつもりかや」
イナリが腕を組んで息まくと、ハイドラは苦笑しながら返す。
「この草……『イミテ草』って言うんだけど、本来一部の地域でしか生えない物なんだ。で、取り込んだ物の形状をちょっとだけ引き継ぐらしいの。そのせいで、薬草だと思ったらイミテ草でした、みたいな事故が起こるらしいんだけど……」
採取を終えたハイドラは瓶に栓をして立ち上がる。
「多分その性質を、形状じゃなくて効果を引き継ぐと勘違いした人が、この森の植物全部を取り込んだ最強植物でも作ろうとしたんじゃないかな?」
「うわ、そうだとしたらとんでもないおバカだね……」
「本当じゃな……」
「あ、あくまで予想だよ?『よくわからないけどとりあえず増やそう』くらいにしか考えてなかったかもしれないし、面白そうだから植えただけかもしれないし……」
「どちらにせよ碌でもないのじゃ」
イナリはため息を零した。己に活躍の機会を作り出してくれたのは結構だが、阿呆の尻拭いと考えると一気に複雑な気分になってしまう。この事実は、気が付かない方が幸せだったのかもしれない。
「まあ良い。早速検証といこうではないか」
「うん、じゃあ、今度こそ……『プチファイア』」
杖を構えたリズは、周囲を一瞥してから魔法を詠唱する。
すると、杖先からイナリの拳くらいの火球がぽんと飛び出て、イミテ草に纏わりついて燃え広がる。間違いなく、今まで見てきたリズの魔法の中では一番規模が小さい物だろう。
「……で、しばらく待つのじゃな?」
「うん。あ、そうだ!イナリちゃんにはこれを渡しておくね」
ハイドラは腰に提げた鞄から、水っぽい何かが入った柔らかい物体を取り出した。受け取って握ってみると、ぶにょりと変形して少し面白い。
「何じゃこれ。ひやっこいのう」
「ちょっと細工した水をスライムの膜で包んだものだよ。これを投げれば、水魔法がなくても消化できるの。もし尻尾に引火したりした時は、これを使って!」
「つ、使う機会が無いことを祈るのじゃ……」
そんなに元気に言うことではないだろうという言葉をイナリは飲み込んで、渡されたスライム膜をもみもみと握った。この世界には獣人などの種族もいるし、ハイドラの話しぶりからして割とよくあることなのだろう。何とも物騒である。
しばらくスライムを揉んで待っているうちに、イミテ草を含めた周辺の草木が、離れていても少し熱さを感じる程度にまで燃え上がった。地球で同じ現象が起こったら山火事まっしぐらだが、ここにはリズが居るので大丈夫だ。
「じゃ、そろそろ消してみよっか。『ウォーターフォール』」
リズが一言断って消火活動を始める。水源がないのに杖先から水が出続ける光景は、魔法によるものと理解していても何とも奇妙なものだ。
しばらくすると、焦げ臭い匂いと煙を残して鎮火が完了した。歩み寄って見ると、黒い煤のせいで焦げているように見えて、形を保ったままの草や花が混ざっているのが目に映る。
「……すごいね、こんな綺麗に残るんだ。草はともかく、花も無事だよ?」
「木もちょっと焦げ付いただけだね」
「ふむ」
リズとハイドラがそれぞれ、花を摘んだり、木をコンコンと叩きながら感心の声を上げる。
「つまり成功ということじゃな?これでこの森に平穏が訪れるわけじゃ」
その様子に喜色を見せるイナリだが、ハイドラとリズの表情は芳しくない。
「消火方法は考えないと危ないね。規模によっては手が付けられなくなっちゃうかも」
「魔術師に声を掛けて回ればいいんだろうけど……うう、昔色々やったからなあ、どんな感じで話しかけたらいいのかわかんないよ……」
「リズちゃん……」
過去の負の遺産に頭を抱えるリズに、ハイドラは憐みの目を向けた。
「ふむ。そういうことなら、最悪我が雨を降らすこともできようぞ」
救いの手を差し伸べるつもりでイナリが胸を張って告げると、二人の視線が刺さる。
「……何じゃ」
「いや、そういうところは神様だなあって思って」
「はて、そういうところ、とは?我はどこをどう見ても神じゃろ?」
「そ、そうだね……」
「頼りにしてます、イナリちゃん!」
両手を広げ、やや威圧感を込めてイナリが告げると、リズはふいと目を逸らして頷き、ハイドラはおどけるように敬礼した。
それをよそに、リズは周囲を見回して口を開く。
「思ったんだけどさ、これって人払いもしないといけないよね?」
「確かにの。あと、我の社やかつて人間が暮らしていた土地もあるからのう、全部燃やされると困るのじゃ」
「なら、そういうところは私が作るポーションを撒いてもらう感じがいいのかな?魔の森の地図があれば計画が立てやすいかもね」
「分かった。エリック兄さんと先生に聞いてみる」
こうして二人が円滑に計画を練り上げている様子を見ると、何とはなしに、この計画はうまくいくような気がしてくる。ハイドラの元に足を運んだのは正解だったと言えよう。
「ポーション造りの方は私の方で進めておくとして、今日はこれで十分かな。何か忘れてることとかあるかな?」
「リズは特になし!」
「我も……あいや、折角じゃし、社に立ち寄っても良いかの?」
「イナリちゃんのお家?そういえば魔の森にあるんだっけ、見てみたいな!」
「うむ、是非来るがよいぞ!」
イナリはハイドラに頷き返すと堂々とした足取りで森の中を歩き始めた。
「イナリちゃん、そっちは街がある方かも」
やや婉曲的に道を間違えたことを指摘するリズの言葉に、イナリは顔を赤らめながら引き返した。
「――刮目せよ、ここが我が社じゃ!」
「ほえぇー……イナリちゃん、いいところに住んでるね!」
小さな木組みの社を背に胸を張って告げるイナリに、ハイドラは感心したように声を上げた。その隣に立っているリズは、ハイドラに対して信じられない物を見る目を向けていた。
「……ハイドラちゃん、本気で言ってる?」
「勿論!だってほら、雨風が凌げて、しかも畑がある!」
「あっ、あぁー、なるほどね?」
目を輝かせながら両手でイナリの社を指し示すハイドラに、リズは遠い目をしながら相槌を打った。
悲しきかな、テイルで育ったハイドラは雨風凌げれば優良物件と呼べる世界観に生きていたので、イナリの社には高い評価が下されるのだ。
さて、初めて己の社を讃える者を前にしたイナリは、尻尾を振りながらハイドラの手を取る。
「おお、お主にはこれの良さがわかるのじゃな!」
「勿論!ポイントはこの木の組み方だよね!風が吹いても崩れないように上手く組まれてるよ。これ、イナリちゃんが建てたんでしょ?絵も上手だって聞いたし、モノづくりの才能があるんじゃない!?」
「ふふん、そうかそうか。いやあ、やはり分かる者には分かってしまうのじゃなあ。うーむ、我も創造神、目指してみようかのう?」
ハイドラに囃し立てられたイナリはわかりやすく天狗になっていた。
「……これ、リズが変なのかなあ」
今まで共に過ごしていた者との壮絶な価値観の違いに、リズは己の常識を疑うことになった。




