346 除草計画
イナリ達は、相変わらず重い鉄扉と誰もいない受付の横を通過し、ハイドラの部屋へ向かった。
そして戸を叩くと、少し間を置いて中からハイドラが現れる。
「――イナリちゃん?それにリズちゃんにエリスさん!こんばんは。こんな時間にどうしたんですか?」
「丁度近くを通りがかっての、お主に相談したい事があるのじゃ」
「そっか。じゃあとりあえず、中に入って!……ごめんね、相変わらず狭いけど」
先導するハイドラに続いて、イナリ達は部屋の中に足を踏み入れた。ハイドラの言ったことに違わず、部屋の様相は今までと変わらない。ただ一つだけ、決定的に違う点があった。
「……何かこの部屋、暖かいのう」
外は冬の一歩手前くらいの寒さなのだが、ここは過ごしやすい春を思わせるような暖かさであった。
イナリの呟きを拾ったハイドラは、道を塞いでいる箱を足で動かしながら振り返る。
「錬金術がうまくできるように、部屋の暖かさは一定になるように管理してるんだ。これ、魔道ランタンって言うんだけど」
ハイドラは近くの机から一つ、橙色の光を放っている手のひらくらいの大きさの角灯を手に取ってイナリに手渡した。
それを受け取ってみると、仄かに暖かさを感じる。光っている部分を直接触っても、やけどするほどの熱さは感じない。
「これは便利じゃのう。暖を取るのに火をつけなくてよくなるのではないかの?」
「そうだね。ただ、大きいやつだと部品の消耗が早かったり、熱すぎたりしちゃうの。だから、これくらいのサイズのを部屋に分散させるのが一番いいんだ」
「なるほどのう。……確かこんな感じのやつ、ベイリアも持っておったよの?我も一つ欲しいのう……」
イナリは、森の中を角灯を片手に彷徨う己の姿を想像していた。暗闇の中、仄かな明かりに照らされて神秘的な雰囲気を漂わせる己の姿である。
……まあ、そんな機会は滅多にないだろうけれども、それはそれとして、日用品としても悪くない。暖房としての有用さは勿論、魔力灯を灯せないイナリにとっては貴重な光源になりうるのだ。
イナリは物欲しげに魔道ランタンを見回した後、僅かに背伸びをしながら、それを元あった場所に戻した。
「ちょっとマイナーだけど、魔道ランタンの専門店もあるよ。リズ、魔道具業界じゃ顔が広いし、今度紹介しようか?」
「む、それはよいのう。我に相応しい物を見繕いたいところじゃ」
「そうこなくちゃ!ふふ、イナリちゃんはお金持ちだし、何でも選び放題だよ……」
「……リズちゃん、ちゃんとイナリちゃんが欲しい物を選んであげてね?」
怪しく目を光らせるリズに不穏なものを感じたのか、ハイドラが釘を刺した。
閑話休題。皆が部屋の奥の座れる場所まで到達し、茶が入ったポーション瓶が配られたところで、ようやく話は本題に入る。
「ハイドラよ。お主、魔の森の状態は知っておるか?」
「えーっと……色々噂はあるけど、植生の話でいいのかな?」
「うむ、それで間違いない。その件で相談じゃ」
イナリはポーション瓶の中身をくぴりと一口飲んでから続ける。
「カイトが近々、この街を発つことになったのじゃ。その隙に、我の力を使って魔の森の今の惨状を回復しようと考えておる。そこで、お主の助力を得たいのじゃ」
「『隙に』って言い方、カイト君が敵みたいだね」
「魔王と勇者という意味では実際、敵じゃがの。要するにアレじゃ、鬼の居ぬ間に何とやら、じゃ。魔の森を人間にとって益のある場所とすれば、我を討伐しようなどと言う声も出なくなるであろ?」
苦笑するリズに対し、イナリはおどけつつ返した。それをよそに、ハイドラは首を傾げる。
「いいアイデアだとは思うけど……助力っていうのは何をしたらいいのかな?」
「あの植生のままでは何が起こるかわからぬであろ?故に、あの……何じゃ。名前は知らんが、あの辺に跋扈しておる草を除去する方法を考えてほしいのじゃ。例えば、人間はよく、得体のしれない薬剤を使って草木を取り除いておるじゃろ?あんな感じじゃ」
イナリの記憶が確かならば、地球では境内で除草剤を撒いていた人間がいたはずだ。当時は「植物を減らす風情のない煩わしい奴」ぐらいにしか思っていなかったが、今となってはその理由もわかるかもしれない。
そんなことを思っての提案であったが、ハイドラは首を横に振る。
「イナリちゃんが言ったような方法は難しいと思うな」
「何故じゃ?」
「ええと……魔の森って、広いよ?」
「ああ…………」
至極当然なことを失念していたことに、イナリは脱力しながら声を上げた。あの森全体に除草剤を撒くことが如何に現実的でないかなど、説明するまでもない。
脱力のあまり溶けたような様相になったイナリを、エリスは抱え上げて慰めつつ、話を引き継ぐ。
「私達も初めて聞かされた話ではあるのですが、中々に難しいところですよね。良いことだとは思うのですが、どのような方法がいいのやら……」
「……地道ですし、私に相談してもらった意味があまり無い方法にはなりますけど、冒険者に除草の依頼を出すのはどうですか?『群青新薬』のおかげで予算は潤沢でしょうし、イナリちゃんが直々に頼めば、受けてくれる人は多そうじゃないですか?」
「それはいけません!そんなことをしたら、皆がイナリさんの魅力に気づいてしまいます。そうしたらこの街はイナリさんを巡った争いにより街の治安が悪化、やがて世界を巻き込んだ争いとなり、あらゆる場所が炎に包まれることになるでしょう。イナリさんは、そんな未来は望まないはずです……」
「うーん、ダメそうだね。主にエリス姉さんが」
慈愛に満ちた表情でイナリを抱きしめるエリスを、リズは容赦なく切り捨てた。それにより正気を取り戻したエリスは居住まいを正し、改めて口を開く。
「真面目な話をするなら、依頼の達成証明が難しそうですよね。それに、わざわざ除草のためだけに魔の森に赴く冒険者がどれだけいるか……」
「あっ、それなら、除草ポーションを渡して撒いてきてもらうのがいいかもしれません!達成証明には、魔の森に行った証明と空き瓶を使う感じでどうでしょう?」
「確かに、それなら片手間にお願いすることもできるかもしれませんね。達成証明はもう少し厳密にしないといけなさそうですが、良い案だと思います。イナリさん、どうですか?」
「良いと思うのじゃが……結局、焼け石に水な気もするのう」
「そうだね。もっと大々的にやらないと、イナリちゃんが満足するほどには至らないかも……」
ハイドラが長い耳をへなりと曲げながら告げると、場に沈黙が訪れる。この部屋のどこかで動作しているであろう魔道具の動作音がいやによく響く。
その状況に気まずさを感じたのか、リズが遠慮気味に声を上げる。
「……一応聞くんだけどさ、燃やしちゃダメ?これならリズの得意分野だよ?」
「ダメですね」
「だよね」
いつものように短絡的な手法を取ろうとするリズの言葉を一蹴するのはエリスだ。彼女はイナリの頭を撫でながら続ける。
「というより、そもそも燃えないような気もします。確か、イナリさんの力で育った木って、普通より燃えにくくなりますよね」
「そういえばそうだったねー……」
リズは椅子の横に立てかけていた三角帽子の頂点にある装飾を弄りながらため息をついた。その様子を見ていたハイドラが声を上げる。
「……あの、魔の森の問題になってる草って、イナリちゃんの力の影響はそんなに受けてないよね。上手いこと、それだけ燃やせたりしないかな?」
「あー……どうなんだろ?」
「聞くところによれば、あの植物は最近持ち込まれたものらしいのじゃ。試す価値はあるやもしれぬのう」
イナリは、部屋の一角に積まれた赤い魔石を眺めながら答えた。
あけましておめでとうございます。
今年も何卒よろしくお願いいたします!




