345 建前と本音
「私はイナリさんの意見に同意します」
「まだ何も言っていないのじゃが??」
眠気が吹き飛ぶような勢いでイナリが振り向けば、真っすぐな瞳をしたエリスの姿があった。残念ながら、寝言を言っているわけではないようだ。
これには皆、呆れや困惑を隠しきれていない。この頓珍漢神官の膝に座っている関係上、まるでイナリまで変な事を言ったような空気になっている。
しかし、ウィルディアとエリックの二人はすぐに納得したような様子になった。遂に、エリスは「こういう人」として処理されてしまったのだろうか?
そんなイナリの懸念をよそに、ウィルディアはイナリに話を振る。
「エリス殿はそれでいいだろう。イナリ君はどうだね」
「そうじゃのう……」
イナリは「それでいいのか」という言葉を飲み込み、一つ疑問を呈する。
「……転移魔法を使う場合、カイトはいつここを発つことになるのじゃ?」
「多少前後する可能性はあるが、大体一週間後を目途にしている」
「……ならば、我は転移魔法を使う方を推すとしようかの」
「おお、イナリちゃんはわかってくれるんだね!」
「うむ――むぎゅ」
跳ねるように席を立ったリズが飛びついてきた事により、イナリはエリスに挟まれて潰れた。イナリはなけなしの腕力でリズを押し返す。
「まあ、お主らの、カイトに行かせたくないという二人の意見もわからなくはないのじゃが……カイト当人が行きたいと言っているのならば、背中を押してやっても良いのではないか?」
「そうは言ってもなあ……」
「それに、我の勘が告げておる。カイトはすぐに魔王討伐に赴くべきじゃ。我の勘は当たるのは、お主らも知っておるであろ?」
釈然としない表情のディルに、イナリはさらに言葉を重ねた。
「というわけで、我らは一旦着替えてくるのじゃ。この後どうするかは、お主らが決めるがよい」
イナリは立ち上がってエリスの手を掴むと、そのまま部屋を後にした。
皆がいる前では勘がどうのと言ったが、ぶっちゃけ全て建前で、カイトにはさっさとこの街から離れてほしいというのが本音だ。というのも、魔の森を復興させるために力を使いたい関係上、勇者である彼の存在は少々都合が悪いのだ。
だからある意味、今回の件は渡りに船だし、是非魔王討伐に向かってほしいところである。
それが成功すれば、この世界は救われるし、カイトが地球に戻れるし、アルトとアースの間の問題も解決するし、イナリも羽を伸ばして成長促進に明け暮れることができる。つまり、皆幸せ、万々歳というわけだ。
ただ、先ほどのディルの様子からして、現状では魔王討伐が成功する確率は高いとは言い難そうだ。より確実なものにするために、アルトに何か手が無いか相談してもいいかもしれない。ついでに、魔術の発展が加速することも確実なので、その辺の対策も練っておくといいだろう。
イナリがこの後の展開に策を巡らせていると、そばで今日イナリが着る服を吟味しているエリスが声を上げる。
「――イナリさん、先ほどは失礼しました」
「む?」
「その、かなり脈絡のない発言をしたでしょう?それについてです」
「ああ、我の意見に同意のくだりじゃな。確かに驚かされはしたが、何故謝るのじゃ?いつもの事ではないか」
「いえ、今回はイナリさんを利用させていただく形になってしまったので」
「利用?一体何の話じゃ?」
イナリが首を傾げると、エリスはそっとその頭に手を置いた。
「一応、私ってアルト教の神官じゃないですか。今回の件について私が意見を述べるのは、不義理になってしまうのです」
「ふむ?」
要するに、教会がカイトに悪事を働いた手前、魔王云々について神官が意見するのが良くない、という話だろう。しかし無回答だったり、魔王討伐そのものに反対しては話がこじれるので、イナリに全てを押し付けたということだろう。
「律儀じゃのう。そんなこと誰も気にしないであろうに」
「そう思われるかもしれませんが、社会に出るとそういう部分がつつかれることは多々あるのです。貴族にもなると、単語や言葉の一つがきっかけで取り返しがつかない自体になることもあると聞きます」
「何とも難儀じゃ。そんなのばかりでは、我、人間と交流を続けられる気がせんのう……」
「普通ならそんな大変な事にはならないと思いますが、その時は私と二人暮らしする計画に移行しましょう」
「そうじゃな。とにかく、我は気にしておらぬ故、お主の謝罪は不要じゃ」
思い返せば、ウィルディアとエリックはあの一瞬でエリスの意図を察したことになる。あれは才能の類なのだろうか?何にせよ、恐ろしい限りである。
着替えたついでに、頭髪も整えてもらってから居間に戻ると、そこに居たのは菓子をつまむリズだけであった。
「あ、二人ともおかえり」
「うむ。話し合いは終わったようじゃの?」
「うん。まあ、ギリ納得できるかなってくらいの落としどころになったよ」
リズが菓子を差し出してきたので、イナリはそれを受け取って口に運ぶ。……気温のせいか若干硬くなったスライムゼリーだ。
「最終的な結論はどうなったのですか?」
「転移魔法を使っていいけど、転送までの期日は二週間くらいとるよ、って感じ。それまでにカイト君とイオリちゃんを仕上げるんだってさ」
「仕上げる?……ああ、鍛え上げるということじゃな」
「うん。だから、ディルはあっという間に支度をしたと思ったらそのまま出てった」
「なるほどのう」
「あやつは相変わらずなようじゃな……」
「ほんとだよ、あんなに反対してたくせにさ。こっちで勝手に進めなかっただけ褒めてほしいのに」
苦笑するイナリに、リズはぷりぷりと怒りながら頷く。
「まあまあ。それはそれで大変なことになったでしょうし、せっかくディルさんが協力して下さっているのですから、そんなことを言ってはいけませんよ」
「そりゃそうなんだけどさー……あんなに反対されると思わなかったし」
エリスの言葉に、リズは頬杖をついて髪先を弄りながら愚痴を零す。
「まあ、ディルもエリック兄さんも間違ったことは言ってないんだよ?だからこそモヤモヤしてるんだけどさ……」
「……でしたら、この後イナリさんと出かけようと思ってたので、気晴らしも兼ねて、ご一緒に如何ですか?」
「うーん……イナリちゃんがいいなら?」
「うむ、構わぬ」
リズが遠慮気味に確認してきたので、イナリは頷いて返した。
こうして、三人は街の商業地区を巡ることになった。リズが怪しい魔道具を買おうとして一悶着あったり、イナリが再び着せ替え人形になったりはしたが、概ね平和な一日であった。
辺りも暗くなってきて、街灯に明かりが灯り始める帰りの道中。錬金術ギルドの近くを通りがかったところで、イナリの足が止まる。
「イナリさん?どうしたのですか?」
「ちと、あそこに寄っても良いかの?」
やや近未来的な意匠の錬金術ギルドを指さしてのイナリの言葉に、同行者の二人は首を傾げた。
「構いませんが……何かあるのですか?」
「うむ。相談事が思いついた故、ハイドラに会いたいのじゃ。リズもいるし、丁度良いのじゃ」
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