344 意見の衝突
一つ、教訓を得た。それは、人の想いを安易に揶揄ってはいけないということだ。
こういうことをすると、人からの信用を損なったり、それがきっかけで関係が崩れてしまう事があるのだ。例えば先ほどのイナリの言葉に「アリシアの方が大事」などと言われたとき、イナリは平静を保っていられただろうか?きっとそんなことはないだろう。
あるいは、将来的に人類と交流しようなどと掲げていたにも拘らず、そういうことがきっかけでイナリが排斥されることになりかねない。大げさな話だとは思うが、こういう細かいことの積み重ねが大事なのだ。
……要約するとそんな感じの説教を懇々とエリスからされたイナリは、二人で庭に干している洗濯物を取り込んだ後、茶を片手に居間で寛いでいた。
まだ時刻は昼下がりと言ったところだが、空は雲に覆われて暗くなっており、雨が降っている。
外から聞こえる雨音に耳を傾けていると、玄関の方から扉が開閉する音を拾う。そして間もなく居間に体格に見合わない外套を纏う魔術師の少女、リズが現れる。
「――ただいま~!ふう、いきなり降ってきてビックリしちゃった!……あれ、イナリちゃんも帰ってきてる!」
「うむ。元気そうで何よりじゃ」
「おかえりなさい、リズさん。今日は早いのですね?」
「うん、ようやく魔術学会の方に一区切りついたんだ!」
一人増えただけだというのに、途端に部屋の中が明るくなったように錯覚するほどの賑やかさである。ここ最近は忙しかったと聞いているが、持ち前の元気さは健在らしい。
リズは手に持っていた杖を部屋の隅に立てかけ、外套をその近くに若干乱雑に置くと、そのままイナリ達の向かい側の椅子に座る。
「はあ、疲れた!何か、毎日同じ時間に起きて同じ場所に行って遅くに帰ってきてって、エリック兄さんの真似してるみたいな気分だったよ。頭がカチカチな人ばかりだし、もうしばらくは行きたくないや!」
「お主、転移魔法についての会議云々をしておったのじゃろ?それの結論が出たのかや」
「んー……まあ、結論というか、方針、計画?みたいな?」
「……本当に一区切りついたんですか?」
歯切れの悪い返事をするリズに、エリスが怪訝な声を上げる。
「うーん、ちょっと確定はしてないんだよね。明日にはわかると思うからさ、それまでは待ってて!」
リズの言葉に、イナリ達は揃って首を傾げた。
そして翌朝。
「――何でダメなの!?」
イナリはリズの大きな声に驚いて目が覚める。それはエリスも同様だったようで、互いに頷き合うとベッドから起き上がり、そっと居間の様子を覗き込む。
すると、先ほど声を上げたリズに加え、エリックとディル、ウィルディア、さらにカイトにイオリと、錚々たる面々が揃っていた。見に来るまでもなくわかっていたことではあるが、お世辞にも良い雰囲気とは言い難い。
「何じゃ何じゃ、朝から騒がしいのう」
イナリはあえて空気を読まず、寝巻のまま乗り込むことにした。その姿に若干険悪な雰囲気が和らいだのか、ウィルディアが笑みを浮かべつつ向き直る。
「おお、イナリ君にエリス殿。朝から突然押し掛けて申し訳ない。その上で厚かましいのは重々承知の上で、君たちの意見も聞かせてほしい。今は平行線を辿っていてな」
「ふむ、意見とな?」
「まずは状況を教えていただいてもよろしいですか?」
「勿論だ。見ての通り、リズ君は既に頭に血が上ってしまっているから、私が説明しよう」
エリスの言葉に、今にも飛び掛かりそうな勢いで身を乗り出しているリズを抑えつつ、ウィルディアが頷いた。
「少し長くなるが、そこは目をつぶってほしい」
「よかろう。お主の話が長いのはいつもの事じゃし」
イナリは部屋の隅にあった椅子を手繰り寄せてエリスを座らせ、その膝の上に飛び乗った。
「ここ数週間、私とリズは転移魔法に関する議論のために、魔術議会に参加していた。簡単に言えば、転移魔法について『便利だから広めるべき』と主張する賛成派と、『危険だから禁ずるべき』と主張する反対派、いずれかの立場で議論する、というものだ」
「うむ、知っておるのじゃ。確かエリックから聞いたのう」
イナリがエリックを見て問うと、彼は頷く。
「それなら話が早いな。そこで、私たちは賛成派として様々な方法で転移魔法の有用さを示してきた。これは想像しやすいだろう。移動が便利になるとか、物流に革命をもたらすと言ったところだな」
「ふむ」
「一方の反対派は、犯罪への悪用や物流の変化に伴う失業者への懸念などを唱えるわけだが――」
「アイツら最悪だよ!転移魔法は暗殺や窃盗を容易にする可能性があるんだから~とか言って、ずーっとリズ達の言うこと否定してくるの!魔法が危険とか、それを言ったら全部の魔法がそうじゃん!で、そう言ったら言ったで、リズが子供だからとか侮ってくるし、アルト神に怒られるとか言い出した奴もいるし、バカみたい!本当にむかつく!!」
「お、落ち着くのじゃ、リズよ……」
「あっ……ごめん」
ウィルディアの言葉を遮って、今まで見た中で一番と言っていいほどの怒りを見せるリズに、イナリは身を竦めつつ諭した。言わんとすることは理解できるが、寝起きの大声は頭に響く。
リズも怒りを向ける矛先が誤っている自覚はあったのか、イナリに向けて素直に謝った。その一幕を見届けた後、ウィルディアは話を続ける。
「……まあ、大体リズ君が言ったような感じで、建設的とも言い難いものだったのだ。未来に与える影響の大きさを考えれば、慎重になる心理も理解できるが……このままでは埒が明かないのは明白だ」
「ふむ。……で、それがどう今の状況に絡んでくるのじゃ?」
「私達は一つ、策を講じることにしたんだ。勇者の彼にも協力してもらってな」
イナリが問うと、ウィルディアはカイトの方に目を向けながら答える。
「聞くところによれば、カイト君は教会の支配下を外れてなお、魔王の討伐を狙っているのだろう?ならば、転移魔法を用いてそれを支援することで、世論の支持をこちらに傾けることもできよう」
「ふ、ふむ……」
若干歯切れの悪い相槌を打つイナリを見て、自身の説明に不足があったと察したウィルディアはさらに続ける。
「果たしてそんなことが可能なのかと疑問に思うのは無理もない。確かに、転移術は物体や術者の転送は安定するが、他者を転送する方法はやや不安定な部分があったからな。それに、距離が開くほど転移先の精度にブレが生じる問題もある。しかし、詠唱ではなく魔法陣を用いて補正すれば、そう言ったデメリットはある程度相殺することが可能なことも分かっている。勇者には、これを用いて素早く魔王討伐をしてもらいたいのだ」
「……なるほどのう!」
全く疑問に思っていなかった部分に関する補足情報に、寝起きの脳の処理能力が追い付かなくなったイナリは思考を放棄した。
とりあえず、転移魔法で勇者を魔王の元に送り込めば何かいい感じになるという話らしい。
「この件について、既に勇者の同意は得ている。後は、実質的な保護者であろう『虹色旅団』の方にも理解を得るためにここに来たのだが……」
ウィルディアがディルとエリックが座る方に目を向けると、ディルが腕を上げて口を開く。
「俺たちがいい返事をしなかったから、うちのチビッ子魔術師が怒っちまったってわけさ」
「なるほど、それでリズさんが声を上げることになったと」
「ああ。神の加護だか何だか知らんが、まだカイトは力に頼りすぎている。言い換えれば、まだまだ伸びしろがあるってことだ。そんな状態で、世界の命運がかかった戦いに出向かせるなんてできるかよ?」
「……確かに、前のカイトの戦いはまさにそんな感じであったのう」
ディルの言葉に、先日の巨大トレント討伐の一幕を思い出したイナリは理解を示した。ついでに、あの時の恐怖を若干思い出してしまい、それを誤魔化すようにエリスに身を寄せた。
「エリックさんはどうお考えなのですか?どちらかというとカイトさんを応援していましたよね」
「そうだね。カイト君がやりたいことは応援しているし、手伝えることは手伝いたいと思っているよ。ただ――」
エリックは表情を曇らせる。
「魔王を倒したとしたら、その後政治的な争いに巻き込まれる可能性は高い。そこに魔術界隈の方の問題まで抱えたら、カイト君の未来はもっと大変なものになる。そう思うと、安易に頷くことはできない。最終的に決めるのはカイト君だけど、一度考え直す時間はあったほうがいいと思う」
「ふん、人間は頭が固いな。勇者様を陥れようとする者は私が全て跳ね除けてやるだけだ」
「それで上手くいくならいいんだけど……」
腕を組んで鼻を鳴らすイオリに、エリックが苦笑する。
「と、こちらからの説明は以上だ。これを踏まえて、エリス殿とイナリ君の意見も聞かせてほしい。君たちはどう思うだろうか?」
ウィルディアは話の主導権をイナリ達に委ねた。
さて、イナリはどのように答えるべきだろうか?




