343 迷推理は続く
その後、イナリ達は報告書を冒険者ギルドに提出し、そのままパーティハウスへと帰宅した。
まず帰ってしたことは、体を洗って慣れた衣服に着替えることだった。単純に落ち着かないのもそうだが、数日間着続けていたので脱ぎたかったのもある。
「そういや、この服はどうするのじゃ?ギルドに返すのかや」
「それなら先ほどリーゼさんに頼んで買い取らせて頂いたので、洗濯しておきましょう。貴族と思われるとトラブルになるので、部屋着として使ってください、とのことです」
「そうか。今後着るとも思えぬが」
イナリは脱いだ貴族服を摘まんで持ち上げながらぼやいた。
これを見た者がそれなりの威厳や品格を感じるような意匠なのは良いのだが、如何せんイナリの好みと一致しないのだ。やはり、一番肌になじみ、かつイナリの威厳を最大限に引き出すのはいつもの和服である。……カイトが居る限り、それを着ることは叶わないのだが。
「大丈夫です。着ないなら着ないで、私のコレクションの一部になります」
「『これくしょん』というと……お主の収集物の事よの?」
「そうです。イナリさんに関連するものは、多ければ多いほど良いのです」
「全く、何を言うておるのやら……」
いつものように頓珍漢な事を口走るエリスを適当にあしらいかけたイナリだが、しばし一考する。
思い出してみよう。イナリの力、すなわち神の力を帯びた物は、呪いなどの媒介として活用することができる。
果たしてこの世界でも通用するのかは不明だが、少なくとも、イナリの髪を取り込んだトレントや、アルテミアの地下で見た光景を踏まえると、危険なことに使われないとは言い切れない。
そうなると、将来的にエリスが収集した物がとんでもない化け方をする可能性も……零とは言えないだろう。
だが幸い、エリスは純粋にイナリの私物を集めるのが趣味なだけである。イナリの力を多分に帯びた「お守り」を持っていてなお、邪な考えを持っていないのだから、その事実を疑う余地は無い。……客観的に見たときの犯罪臭は凄まじいが。
それに、イナリの和服等、それなりの所縁のある物ならまだしも、数日着ただけの服に帯びる力などたかが知れている。今回の件に関して言えば、扱いに気を付けるよう念押ししておけば十分だろう。
「エリスよ、それらの管理はしっかりするのじゃぞ。それと、お主に限ってそんなことは無いと思うが、邪な考えを持つのもダメじゃ」
「なななな何を言っているんですか?そんなこと微塵も考えていませんけど?当然じゃないですか?」
「……そんなに動揺することであったかの……?」
釘を刺されて露骨に動揺したエリスに、イナリは首を傾げた。両者の間で「邪」の捉え方に大きな違いがあったと気づくのは、もう少し後の話である。
「そういえばイナリさん、少し大事なお話があります」
「ふむ?何じゃ」
ベッドの上でエリスに尻尾の手入れをさせていると、改まった様子でエリスが口を開く。
「先日、イナリさんが居ない間にアリシア様とご一緒する機会がありまして、その時に少し話したことなのですが……イナリさんって、アースさんに騙されていたりしませんよね?」
「これまた随分唐突じゃな。そも、それで頷くやつがあるわけなかろうに」
「あ、あはは、それもそうですね……」
困惑混じりに答えるイナリに、エリスは照れを誤魔化すように苦笑した。
「まあ良い、何となく察しておる。どうせアリシアの奴が、お主にも見当違いな推理を披露したのじゃろ?黒の女神がどうのこうのとか言うやつじゃ」
「そうです。どうにも、その正体がアースさんだと疑っているようで……」
「なんと」
イナリは目を丸くした。
そうなると、牢獄に現れた邪神は黒の女神であり、黒の女神はアースである、つまりアースは邪神であるという論理が成立してしまう。
これではイナリが懸念していた「災厄姉妹」が生まれるというのもいよいよ現実味を帯びてきている。
「一体どういう経緯じゃ?あやつ、我に推理を披露していた時は笑えるほど頓珍漢な推理をしておったのに」
「結構ボコボコに扱き下ろしますね」
エリスは苦笑すると、一つ咳払いをして続ける。
「どうにも、アルテミアの出来事の調査記録とサニーさんのお話が手がかりになったみたいです」
「ああ、人の口に戸は立てられぬということじゃの……」
イナリは頭を抱えた。
しかし、ここでサニーを責めるのはお門違いだ。彼女はイナリ達が神であるなんてことは知らないし、ましてや事件の全貌を知るわけでもない。聖女が偶然、サニーの言葉の断片的な要素と調査記録から適当にこじつけ、真相を掠めた推理を生み出してしまったのだろう。
「それで今度、何らかの方法で私たち三人で話す場を設けたいと。今のところはあちらから出向く形で計画しているようです」
「面倒じゃのう。それに、一応の結論は出ているのであろ。一体これ以上、何を話すことがあると言うのじゃ」
「ええと、イナリさんがアースさんに利用されているのかどうか見極めるのだと思います」
「……一体どうしてそんな話になったのかは分からぬが。見極める方法も良く分からぬし、そも、お主が我にこの話をした時点で見極めも何もないのでは?」
「そうですね」
訝しむイナリにエリスは頷いた。
「私も、アリシア様の考えには殆ど賛同できません。今までのアースさんの行動からして、イナリさんを利用しようなんて意図は全く感じられませんでしたからね。それに色々と秘密も共有していますし、通信用の道具まで借りているんですから」
エリスは立ち上がると、自身の机の引き出しから指輪を取り出した。それには、イナリが着けている指輪と似た黒い宝石が嵌められている。
「……あるいは、私たちが仲良く掌で踊らされている可能性もありますが。その時は一緒に泥沼に沈みましょう」
「縁起でもない事を言うでないのじゃ」
エリスはどこか満更でもない様子なのが恐ろしいところだ。尤も、本人とてそうなることが無いと思っているからこそ、こんな冗談を言えるのだろう。
「ま、とにかく、面会は無しじゃ。いい感じに断ってくれたもれ」
「残念ながら、そうはいかないのが現実です」
首を振るエリスに、イナリは顔を顰めながらずいと迫った。
「さてはお主、聖女の頼みは無下にできないとかいうつもりではあるまいな」
「……ええと、まあ、そんな感じですけど……」
エリスは目を泳がせながら頷いた。これを見て悪戯心が沸いたイナリは、黒い笑みを浮かべてさらに迫る。
「なら、神たる我の頼みはどうなるのじゃ?我、面会はしたくないのじゃがのう。いやあ、聖女と神、無下にすべきでないのはどちらかのう?エリスにとって、アリシアと我のどちらが大事なのかのう?いやあ、どう考えても我じゃよなあ」
「そ、それは……その……」
言葉に詰まるエリスを見て、イナリは悪戯が成功したとばかりに笑みを浮かべ、一歩後ろに下がった。
「なんての、少し揶揄っただけじゃ。よいよい、面倒じゃが大した問題にはならんじゃろうし、我も茶番に付き合ってやろうぞ!……じゃからエリスよ、無言で迫ってくるのはやめてくれぬか?」
イナリは、笑顔で迫りくるエリスを見上げた。この後イナリがどうなったかは、もはや言うまでもないことである。




