342 報告書を作ろう
翌日。
何事もなく一夜を明かし、そのまま無事に……というべきかは何とも言えない部分もあったが、ともあれ、イナリ達はメルモートへと帰還した。
なお、捕えた獣人、ベル何たらは守衛の方に事情を伝えて引き渡した。この後は詰所の牢屋に放り込まれるなり、要塞の牢獄に放り込まれるなりするのだろう。悲しきかな、イナリはいずれも経験しているので、その辺については詳しいのである。
閑話休題。街門の検問を抜けると、馬車が動き始める前にフルーティが礼を告げる。
「皆さん、わざわざここまでご一緒させて頂いてありがとうございました。あのままだったら大変なことになってたんで、本当に助かりました。これ以上お世話になっては迷惑でしょうし、俺はこの辺でお暇させてもらいます。ナイアに立ち寄った時は何卒、『フルーティのフルーツハウス』をご贔屓に」
「ちゃっかりしとるのう」
「そりゃそうですよ、活かせるチャンスは活かしていかないと」
フルーティはイナリの言葉に笑って返し、そのまま立ち去ろうとしたところ、あっと声を上げて踵を返してきた。
「大事なことを忘れてました。これ、礼と言っちゃあ何ですが、活動資金の足しにでもしてください」
フルーティは腰に提げていた小袋をまとめた束を手に取り、一人ひとりに手渡した。イナリも渡されたそれの中を覗けば、それなりの量の銀貨が入っているのが見て取れた。
「いいんですか?確か、馬や荷物を奪われたんですよね。この後の事を考えたら、これも持っておいた方が――」
「ああいや、いいんですよ。俺がそれくらい感謝してるってことです。それに、金を増やすアテはあるので。……それか、しばらくはこの街に留まる事になると思いますし、困ったときに頼るための前金とでも思ってください。じゃ、そういうわけで」
小袋を返そうとするエリックを見て、フルーティは右手を上げながらその場を立ち去った。その後ろ姿に感嘆の声を上げるのはチャーリーだ。
「す、すげえ。聞いたかよ?『金を増やすアテ』って、そんなのギャンブルしかないよな?あんな自信満々で言うとか、相当な実力者じゃないか?俺、兄貴に弟子入りできないか頼もうかな?」
「夢を見るな。フルーティさんにも迷惑だし、どう転んでも碌なことにならないのが目に見えている」
「ちぇ、夢を応援することすらしてくれないのかよ?」
「現実を見据えた夢なら応援するさ」
「そりゃ有難いこったなあ」
チャーリーは、そっけない態度のダンテに慣れたように返しながら御者席につき、ギルドへ向けてゆっくりと馬車を動かし始めた。
「――皆さん、お疲れさまでした!お疲れのところ申し訳ありませんが、こちらの提出もよろしくお願いします!」
ギルドに帰還したイナリ達を出迎えたリーゼは、ダンテとエリックにそれぞれ数枚の紙束を手渡した。
「では、我々は一足先に失礼させてもらいます。エリックさん、イナリさん、今回はありがとうございました」
「こちらこそありがとう。また一緒に行動することがあったらよろしくね」
パーティを代表するダンテの言葉に、エリックは微笑みながら握手をして返した。
イナリも皆にひらひらと手を振りつつ、ギルドを後にする「疾風」の面々を見送り、エリックを見上げる。
「……で、何じゃそれ」
「報告書だね。僕が書くものと、イナリちゃんが書くものがある」
「我も?」
完全に他人事と思っていたイナリは首を傾げた。
「参考としてイナリさんには、今回の護衛訓練の率直な感想や感じたことを書いていただきたいのです。簡単な感想程度でも大丈夫ですよ」
「面倒じゃ。簡単な感想程度なら、口頭でよかろ?」
「お気持ちはわかるのですが、こちらの都合で記録に残さないといけないので、どうかご理解いただけると……」
眉を顰めるリーゼに、イナリは腕を組んで唸る。
「ううむ、人間の事はわかってきたつもりではあったが、こういうところはやはり理解できぬのう……。それに我、まだ読み書きは練習中じゃ」
実は、イナリは監獄から出た後、エリスやハイドラの助力を得て、少しずつこの世界の文字を学んでいた。
しかし現状は、自分の名前と皆の名前、それにいくつかの簡単な単語しかわからない。故に、このままだとイナリの報告書は「いい」「だめ」だけで構成される、非情に味わい深いものになるだろう。
そんなイナリの懸念に対し、リーゼが答える。
「代筆でも構いませんよ。……丁度あちらに、代筆してくれるであろう方がいらっしゃいますし」
「む?」
リーゼはイナリの言葉に答えると、ギルドのある一点を見つめた。
イナリもその視線を追ってみれば、酒場の隅の席から、頬杖をつきながらイナリを見つめていたエリスが、ぱっと笑みを浮かべながら手を振ってきた。イナリは軽く手を振って返し、再びリーゼに向き直る。
「周到じゃな。我の帰還を見越してわざわざ呼んだのかや?」
「いえ、勝手に来ました」
「勝手に来た」
イナリは思わず復唱した。ここを発つ前といい今回と言い、イナリが絡んだ時のエリスに対するリーゼの扱いが若干雑な気がするのは気のせいだろうか?
「きっと、イナリさんと話したくて居てもたってもいられなかったのでしょうね。この報告書を書くついでに、色々なお話をして差し上げて下さい」
「ふむ、ではそうさせてもらおうかの」
イナリとエリスは神託経由でいつでも話せるのだが、曰く「生の声が一番」なのだそうだ。直接やり取りをしているのだからどちらも同じだと思うのだが、感性は人それぞれである。
「じゃあ、僕は先にパーティハウスに帰っておこうかな。何か忘れていることは無いかな?」
「んや、特に無いであろ。紙を渡すのじゃ」
イナリはエリックから自分の分の書類を受け取り、己を待つ信者の元へと歩いて行った。
「おかえりなさい、イナリさん!久しぶりですね、一か月ぶりくらいですか?」
「三日かそこらじゃ。まあ、それだけ我を待ちわびていたと思えば、悪い気はせぬが」
イナリは呆れ混じりに笑いつつエリスの隣に座った。
「で、早速お主に頼みたいことじゃ。これを書くのを手伝ってくれたもれ」
「報告書ですね?任せてください!……では、今回のイナリさんの冒険についてお聞かせ下さい。そこから私がいい感じに仕上げます」
「うむ。ではまず――」
「あっいや、ちょっと待ってください」
イナリが記憶を辿り始めたところ、エリスが声を上げて静止する。
「折角なので、ゆっくりできる場所で美味しい物を食べながら話しましょう。『木漏れ日亭』は如何ですか?」
「おお、久々に聞いた名じゃ。ではそこに行こうぞ」
エリスの提案により、二人はギルドを出て「木漏れ日亭」に向かうことにした。
「――と、そんな感じじゃ」
「なるほど、色々あったのですね。……本当に、無事に帰ってきてくれてよかったです」
「うむ。まあ皆よくやってくれたのじゃ。それに、我が苦手という者との和解もできたのも収穫じゃな。人間と交流する上で、そういう不安要素は減らしておいた方が良いからのう……」
話を一通り聞き終えたエリスの反応に、イナリは暖かいスープを啜りながら頷いた。
「ともあれ、元々我が望んでいたそれとはちと違ったが、よい気休めにはなったのじゃ。して、報告書の方はどうじゃ?上手く書けそうかや」
「はい。『疾風』の皆さんに対して評価する上で参考にするには十分でしょう」
エリスは、びっしりと文字が書かれた報告書をイナリに見えるように持ち上げた。
「相変わらず整った文字を書くのう。流石じゃ」
「褒めて頂けて光栄です。しかし、音爆弾の件は災難でしたね。今後使わないとも言い切れませんし、注意しないといけませんね」
「うむ。まあ、我の耳の塞ぎ方が甘かったのもあるじゃろうがの。せいぜい我が使っていた爆弾程度かと思っておったのじゃ……」
イナリは己の両耳の先端を掴み、もにもにと動かしながらぼやいた。そしてふと、あることを思い出してぱすりと指を鳴らす。
「あっ、そういえば一つ、お主に聞きたいことがあったのじゃ!」
「何ですか?」
「チャーリーという男に、好みの『たいぷ』を聞かれたのじゃ。エリックにその意味を問うたら、お主に聞くのが適任だと。お主、わかるかや?」
イナリの言葉に、エリスは一瞬顔を顰めた後、一考する。
「そうですね……言い換えるなら、一緒に居て安心する人はどんな人か、という問いですね。私みたいな人がタイプだ、と答えたらいいですよ」
エリスは真顔で自身を指さしながら答えた。
「自分でそれを言うのは何か違う気がするが……理解したのじゃ。今度問われた時はそう答えることにしようぞ」
「是非そうしてください。……それはそうとその男、私のイナリさんを狙う犯罪者予備軍の可能性もありますね。今度、しっかりお話しておくことにします」
エリスの言葉に「大げさだ」と零しかけたイナリだが、何だか面倒くさいことになるとイナリの勘が訴えていたので、そっと言葉を飲み込んだ。




