341 点と点が線で繋がる ※別視点あり
<イナリ視点>
「――あっ、イナリさん。起きましたか?」
「……うむ」
ちょっとした事故により耳をやられて倒れたイナリは、気が付くとエナの膝を枕に寝かされていた。身を起こすと、被せられていた毛布がするりと床に落ちる。
それを拾い上げながら外を見れば、既に外は暗くなっていた。他の馬車や焚火があちこちに見える辺り、ここは補給地点なのだろう。この調子なら、明日の朝にはメルモートに到着するはずだ。
「他の皆はどうしたのじゃ」
「外で野営の準備をしていて、その間の看病役が私なんです。嫌だったら今すぐ出ていきますが……」
「んや、よい」
ここに一人残ったところでどうせすることも無いのだ。ならば、エナには暇つぶしの会話相手になってもらってもいいだろう。
イナリが立ち上がろうとするエナを引き留めると、彼女はあっと声を上げてイナリを見る。
「大事なことを聞いてなかったです!気分はどうですか?もし快調でなければ、寝てても大丈夫ですよ。よければ、これも使ってください」
エナは腰に提げた小さな鞄から、湿った葉を取り出した。
「何じゃそれ」
「鎮痛ポーションに使われる薬草です。乾燥前の状態だと、ポーションを飲むほどじゃない痛みにちょうどいいんです。枝で切っちゃった時とか。狩人の知恵ってやつですね!」
「ふむ?」
イナリは誇らしげに語るエナから葉を二枚受け取ると、それをぐるりと両耳に巻きつけた。
……何も変わった感じはしないのは、イナリが既に回復しているからかもしれないし、実際に効果が発揮されているからかもしれない。
「それにしても、無事に回復しててよかったです。最初、鼓膜までやられちゃったんじゃないかって、皆大慌てだったんですよ!」
「そうなのじゃな」
「そうなんです!看病とは言いましたけど、私はエリスさんと違って回復術の心得も知恵レベルでしか無いですから、大変なことになってたらどうしようって、ずっと気が気でなかったんですから!」
「まあ確かに、護衛されるべき者が重傷を負っては問題じゃの」
イナリはエナの言葉に理解を示した。これは「疾風」の評判にもかかわるだろうし、今回の事例に限って言えば、イナリ信者代表のエリスが暴走して報復やらを始めかねない。そういう意味でも問題だろう。
「それはそうと、あの獣人は大丈夫なのかや?ええと、あの……ベ、ベルンス?みたいなやつじゃ」
「ああ、あの人は……どうでしょう?ダメージはイナリさん以上のはずなんですけど、気絶まではしていなかったですね」
「ふむ、頑丈なやつじゃのう」
……あるいは、イナリが軟弱という方が正確なのかもしれないが。
「なので、睡眠薬を飲ませました」
「そ、そうか……。して、あやつはメルモートの方まで連れていくのかや?」
「そうすることになりました。あの街に戻るのはいろんな意味で危なそうだし……ちょっと、あの人も可哀そうだったので」
「確かに、我を別人と勘違いしたせいでああなったというのは些か不憫よの。まあ、元の素行もさることながら、我に手を出した時点でこうなる未来は確定しておったのじゃが」
イナリは同情混じりにため息を零しながら頷いた。
「思ったんですけど、ああいうのって匂いとかでわからないものなんですか?」
「さあ?先入観があるだろうことは確かじゃが……誰も判別がつかないようじゃし、ようわからんのう」
「へえ、不思議ですねー……」
相槌を打つエナを見て、イナリはふと思ったことを口にする。
「というかお主、我を苦手と言うておった割に、普通に話せておるのう」
「……確かに」
イナリの言葉にハッとした様子のエナは、そのまま言葉を続ける。
「もしかしたら、皆が私にイナリさんの看病をするように勧めた理由はこれなのかもしれませんね。私は……頭の中ではわかっているなんて言い訳して、イナリさんも実は怖い人なんだって、心のどこかで決めつけていたんです」
「ふむ。しかし、獣人の括りで語るなら、我の方が特殊……いや、特別な存在じゃし、我は気にしておらぬ。お主も気にする必要はあるまい」
イナリの経験上、少なくともテイル出身の獣人は、エナの言うところの「怖い人」に該当するだろう。そも、獣人の括りですらないのだが、話がややこしくなるのでここでは飲みこんでおくことにするとして。
「それに昨晩も少し言うたが、アースに睨まれて平静でいられる者など居らんのじゃ。一旦、あれは忘れた方がよいぞ?」
「わ、わかりました。……でも、さっきの決闘の時とか、話の腰の折り方はちょっと似てて怖かったです」
「それは知らんのじゃ」
イナリは適当に返事を返して誤魔化した。
<エナ視点>
会話に一区切りつくと、暗くなった外をぼうっと眺め始める狐少女、イナリちゃ……イナリさん。
実は、今こそすっかり街の皆が知る有名人になっていますが、その素性は謎に包まれています。
中でも一番皆が気になっているだろうことが、その来歴です。
イナリさんは「ヒイデリの丘」ではなく、魔境化した後の「魔の森」に住んでいます。しかも、テイルに魔王が出現する前から、獣人一人だけで。
そして「虹色旅団」と出会ったのも、ヒイデリの丘が魔境化してからの話です。つまり、それまでのイナリさんを知る者は誰一人としていません。
そのせいで、本人が聞いたらひっくり返るどころでは済まないレベルの、荒唐無稽な噂があちこちで生まれてしまっています。
それこそ、丘に居た狐の生まれ変わり説、魔境化に巻き込まれた子供と狐が混ざって生まれた説などのものから、空から降ってきた、地面から生えてきた、実は魔王だ……そういった面白半分のものまで、本当に多種多様です。
褒められたことではありませんが、とにかく言えるのは、イナリさんの素性は誰もが気になっているということです。
そして私は、今回の訓練を通して一つの結論に辿り着きました。
イナリさんの正体、それは――貴族と獣人の間に生まれた忌み子です。捨てる先に困った貴族が、魔境化の噂を聞きつけ、どさくさに紛れてイナリさんを森に置き去りにしたのでしょう。
突飛だと思われるかもしれませんが、こう考えれば、イナリさんの来歴だけでなく、歪な部分に説明がつきます。
歪な部分というのはたとえば、世間を知らなすぎること。
料理の食べ方に苦労していたり、外の景色を食い入るほどに見つめたり、獣人なのに獣人の文化を全く知らなそうだったり……挙げればきりがありませんが、これも全て、ずっと外に出してもらえなかったと考えれば納得できます。
後は、囮役や危険な役目を買って出る、自己犠牲に対する躊躇のなさ。
それが顕著に表れた事件は数知れず、ほかにも表情を変えずに手に剣を突き立てたり、平気で毒物を食べることができるという話も聞きました。きっと、自分の価値を認めてもらおうと、涙ぐましい努力を重ねた結果なのでしょう。
つまり、私がイナリさんから一方的に距離を取っても怒らず、獣人に迫られても動じずに言い返すことができるのもきっと、もっと辛いことを経験してきたから。
思えば、イナリさんのお姉さんの性格というのも、ここから来たものなのでしょう。姉妹で似ているのも納得です。
それに今回の護衛訓練も、私たちの練習であるというのはある種の建前で、イナリさんが貴族の気持ちを懐かしみたいと思ったついでとして企画したのではないでしょうか。
もし、そうだとしたら――。
「イナリさんは、優しいね」
「うん?」
勝手に私の口から零れた言葉に、イナリさんが首を傾げます。唐突に変な事を言ったと思われてしまうかと身構えましたが、逆にイナリさんは誇らしげに頷きます。
「お主はよくわかっておるのう!そう、我ほど寛容な者はおらぬ。我の心は山より高く、海より深いのじゃ。……で、実際のところ、海ってどれくらい深いのじゃ?」
「いや、知らないですけど……」
ちょっと変なのは間違いないですが、優しくていい子なのも間違いありません。エリスさんをはじめとした皆がイナリさんを守りたいと思うのも当然ですし、素性をむやみに吹聴するわけもないのです。
「――おーい、エナちゃん!飯はできたけど、姐さん起きた?」
「む、起きておるぞ。食事じゃな!」
外側から馬車の戸が叩かれると、イナリさんは跳ねるように立ち上がり、体全体で扉を押し開けて外に出ていきました。
さあ、私も気付いてしまったことは胸の内にしまって、皆で楽しく話すことにしましょう。もう、イナリさんのことで悩む必要は無いのだから。
私は清々しい気持ちで馬車から降りて、皆の元に歩いて行きました。




