340 哀愁のある強襲
「ど、どうするのじゃ?復讐なんて物騒なもの、我は巻き込まれたくないのじゃ!早くこれを動かすのじゃ!」
「イナリちゃん、まずは落ち着いて」
馬車内の壁をぺしぺしと叩いて声を上げるイナリを、エリックは冷静に宥めた。
「ほら、さっき街でいくつか使えそうな道具を調達しておいたんだ。できれば使わないのが一番だったけど……」
エリックは足元に置いてあった小箱を開いて見せた。中身を見ても何一つとして用途が理解できないが、リズの机に似たようなものがあったのを見たことがあるので、多分魔道具の類であろう。
「まずは相手の出方を見よう。『疾風』の皆の動きもね」
「訓練の体は守るのじゃな」
自信の表れなのかは知らないが、この期に及んで妙なところで律儀なエリックにジトリとした目を向けつつ、イナリは馬車の扉をそっと開き、声がした方角である前方を見る。
その獣人は両手を腰につけて道の中央に仁王立ちしていた。あれは恐らく、イナリを見て撤退を指示した者だろう。先ほどは全く観察していなかったが、この獣人の身体的特徴からして、犬系の種族らしい。もしかしたら狐や狼なのかもしれないが、区別したところで大して意味は無いだろう。
閑話休題。獣人は、大きな狐耳と顔を覗かせていたイナリを捕捉すると、物怖じもせずにずかずかと歩み寄ってくる。まだ距離はあるが、本気を出せば数秒でイナリに迫ることもできるだろう。
「よしよし、ようやく正解の馬車だ。ここを通る馬車を片っ端から止めた甲斐があった」
「普通に迷惑なのじゃ」
イナリには、この獣人が一体何を誇らしげにしているのかが全く理解できなかった。もし、イナリがあの街に長期滞在したり、他の場所に発っていたらどうするつもりだったのだろう?
「……それと、他の者はどこにいったのじゃ?」
さらに身を乗り出して辺りを見回しても、見えるのは草木と小鳥くらいのもので、潜伏などをしているとも思えない様子であった。
そんなイナリの呟きを耳聡く拾ったのか、獣人はイナリを指さして声を上げる。
「どこに?はっ、どこにもいないさ。貴方を見て撤退を指示したことで、俺は『牙無し』と呼ばれ、部族の皆から見限られたのさ」
「そ、そうか……」
あまりにスピーディな展開に、イナリは困惑しつつ相槌だけ返した。
だがこの話は、フルーティの言を踏まえれば突飛な話ではない。強さが全ての世界において「見逃してくれ」などの発言がいかに印象が悪いことかは言うまでもないことだ。
獣人は両手を掲げ自嘲的な笑みを浮かべながら続ける。
「俺たちは流れで集まったから、部族もバラバラだったんだ。中には、人間の言葉を話せないような奴もいてな。貴方のやり方を真似て何とかまとめていたんだ」
厳密には「イオリを見習った」というのが正確であろう。確かに、獣人全体をまとめたイオリの手腕を参考にするのは良い判断だ。それに、参考にできる程度にイオリの事を知るということは、元々はイオリの近くに居た仲間だったのかもしれない。
「それで何とか、馬車や街を襲って物資をやりくりしながら上手くやってきたわけだが……きっとそれで自信をつけたのだろう。『もうお前無しでやっていける』と言われた時の気持ちが、貴方にわかるか?」
「おお、それは辛かったのう。我もかつて、力を貸した恩を忘れて見捨てられたことがあるのじゃ。お主の痛み、我にもよくわかる……」
獣人の言葉に目に涙を浮かべるイナリを見て、御者席に座るチャーリーが振り向き、小声で囁く。
「……エリックさん、どうします?何かアイツ、すげー語りだしてるんすけど。んで、姐さんも何でそんな同情してるんすか……?」
「まあ、そこはそっとしておこう……。ダンテ君、エナちゃん、辺りに他の仲間が潜伏している可能性は?」
「ブラフかと思って魔力の反応を探していましたが、特には見当たらないです」
「だ、誰かが居そうな痕跡も無いですね!あの人だけだと思います」
エリックと「疾風」の面々が話し合っている間にも、獣人は話を続ける。
「アイツらは貴方の強さの神髄も、俺がどれだけ苦労したのかも、人間の世界での立ち回りも、何もわかっていないんだ。アイツらには俺が居てやらないと、このままではバラバラになってしまう。だから俺はこうしてここに居るんだ。俺が正しかったとアイツらにわからせるためにな!さあ、我が名はヴォスス族のベルクスス!名誉をかけて俺と決闘しろ!」
「え、嫌じゃけど」
「えっ」
「そりゃそうであろ。お主の名誉なぞ至極どうでもいいし、我に利が無い以上、決闘を受ける意味も無し。お主を不憫に思うのは本当じゃが、それとこれとは話が別じゃ。こうして『二度と現れない』という宣言すら一瞬で破った事も水に流してやるから、疾くこの場を去るがよい。我は別件で忙しいのじゃ」
初手から冷や水を浴びせたイナリは、しっしと手で払って追い打ちの言葉を浴びせた。ベル何とかと名乗った獣人――ひとまずベルとでも呼ぼう――は理解が追いつかないのか、唖然とした表情のまま剥製のように固まってしまった。
「……動かなくなったのじゃ。皆よ、今のうちに行こうぞ」
「え?あ、ああ、うん……?」
「イナリさん、やっぱりあの人の妹というだけはありますね……」
「む?」
エリックは歯切れの悪い返事を返すし、エナもなぜかアースを引き合いに出して畏怖の目を向けてくるが、イナリは何も間違ったことはしていないはずである。
イナリが馬車に戻ろうとすると、ベルは怒りを抑えるように笑い、震えた声で喋り始める。
「くくく、そうか。決闘にすら応じないか。ならば……悪く思うな!」
「――危ない!」
「のわっ!?」
エリックは声を上げると、イナリを引っ張り上げて馬車の中に放った。イナリは事態を理解する前にフルーティに受け止められる。
エリックの方を見れば、ベルが突き立てた鉤爪を、鍋の蓋より二回り大きいくらいの盾で受け止めている彼の姿があった。
そこに、少し遅れてカミラが横から大剣を振るってベルを退かせ、そこにエナが弓で追撃を加えるが、ベルは身軽な動作で跳んで回避し、今度はエナに向かって迫る。
「させるか!」
そこに再びカミラが割って入り、数回の応酬を経て、再びベルを引き下がらせる。
「『シャドウバインド』!」
その隙にダンテが魔法を詠唱する。すると、地面から黒い靄のようなものが飛び出し、ベルの手足に絡みつくように纏わりつく。
「ふん、この程度で!」
ベルは怒りを露にしながらそれを振りほどき、さらにイナリ達から距離を取る。
「ふん、我らを追い立てた厄介な存在に、か弱い存在を演じて取り入るとは。貴方の考えをある程度理解したと思っていたが、驕りだったようだ」
ベルが感服したように語っていると、エリックがダンテと頷きあった後、イナリに向けて左手を伸ばしながら、小さな声で話しかけてくる。
「イナリちゃん。箱の中にある、丸くて茶色っぽい道具を取ってほしい」
エリックの言葉に、フルーティが箱を開いてイナリに見せてくる。
「丸くて、茶色……これじゃな」
イナリは見慣れない道具の中から指定されたものと思しきものをつかみ取った。
「それだ!耳を塞いでいてね」
イナリから道具を受け取ったエリックは一言忠告すると、球体を手元で弄ってベルに向けて放り投げた。それは放物線を描き、ベルの目の前に転がっていく。
「うん?なんだこれは。人間はまともに物を投げることも――」
道具の投擲に失敗したと思ったのか、侮る様に笑いながらベルが球体を拾い上げる。その直後、それが破裂し、ビリビリとした振動と、耳を貫くような高い音を辺りに響かせる。
「ぐああぁっ!?」
音響兵器を直に食らったベルはその場に崩れ落ち、その隙にチャーリーが御者席から飛び降りて、鞄から取り出した縄で素早く縛り上げた。
「よっしゃ、いっちょ上がりい!どうだ、姐さんに手を出そうとするからこうなるんだぞ!」
チャーリーは誇らしげに腕を掲げ、揚々とイナリの方へと駆け寄ってくる。
「姐さん、やりましたよ!……姐さん?」
「きゅう……」
チャーリーが馬車を覗き込んだ先には、耳の塞ぎ方が甘く、これまた高音をもろに食らって目を回すイナリの姿があった。
耳が大きいのも、時には考え物である。




