338 (誰だっけ……)
獣人による襲撃未遂こそあったが、イナリ達は無事目的地の街へと到着した。
街門を抜ける時、あわや街から締め出されかけたりもしたが、ギルド側で話を通してくれていたおかげでその事態は回避することができた。……ただし、イナリの外出禁止という条件付きだが。
そんなわけで、エリックや「疾風」の面々が街中で買い物をしている間、イナリは冒険者ギルドの空き部屋に待機させられている次第である。
「全く、我をあんな野蛮な者らと同視するとは不遜極まりないのじゃ。……チャーリー、水」
「はい、姐さん!」
イナリが右手を上げて呼びかけると、唯一イナリと共にギルドに残ったチャラ男、チャーリーが素早く水を差し出してくる。イナリはそれを手に取り満足げに頷くと、優雅な動作で口元へ運ぶ。
昨晩までただの軽薄な男だったチャーリーは、先ほどの一件でイナリから何かを感じ取ったのか、典型的な舎弟のような振舞いに変化していた。呼称が「イナリちゃん」から「姐さん」へと格上げされているのが最たる証拠である。
凄まじい変わり身ではあるが、エリスとはまた違った方向性で持ち上げてくれるのは悪くない。特に害があるわけでもないし、このままで問題ないだろう。
そんなことを思いつつ、イナリは自分のために僅かに用意された菓子を二つ手に取ると、一つを己の口に運び、続けてもう一つをチャーリーの前に差し出した。
「しかし、ここはギルドも街も、閑散としておるのう」
窓掛けの隙間から外を見れば、昼間にも拘らず、外を出歩く者の姿は数えられる程度しか見られない。この部屋に来るまでに垣間見た道中も概ね同様であったし、冒険者ギルドも全体的に規模が小さく、受付も暇そうであった。
これには街というからもっと色々あるのかと期待していただけに、何とも言えない失望感がある。それも外出禁止を言い渡された今となってはどうでもいい話だが。
「ここ、めちゃめちゃアクセス悪いっすからねえ。仕方ないっすよ」
「あくせす……?まあ、悪いよの、うむ。その辺の大きめの村と大して変わらんのじゃ」
「でも、こういうとこも大事なんですよ?この街が無かったらこの辺りは魔物だらけ。仮に魔物を倒してもメルモートまで運ばないといけないんですよ。ダルすぎでしょ?」
「……そういやこの世界、魔物が跋扈しているんじゃったな」
イナリの魔物に襲われた経験は、不可視術や仲間の存在のおかげで著しく少ない。故に魔物の脅威度は相当低いところに位置付けられるのもやむなしであった。あるいは、魔王の存在と比べたら取るに足らなすぎるというのもあるが。
「まあ、姐さんほどのお方が気にすることじゃないってことっすよ。魔物を気にしているようじゃ、魔の森で暮らすなんて正気じゃないですからね。流石姐さんっす!」
「ふふん、そうであろ……うん?」
讃えるチャーリーの言葉には妙な棘があったような気もするが、イナリは一旦聞き流しておくことにした。
「魔の森と言えば……姐さんの家って何で安全なんですか?」
「ああ、お主らが安全地帯とか言って居座っておったよの。あれ、なんでじゃろな?」
「……姐さんも知らないんですか?」
首を傾げたイナリに対し、チャーリーも脱力した様子で返す。
「うむ、知らぬ。お主に心当たりは無いかの?」
「えぇ~……」
面倒になったイナリは何も考えずに無茶振ると、チャーリーは長考した末、ひねり出すように声を上げる。
「……魔物も姐さんに恐れをなした、とか、どうっすか?」
「ほう、それは良い着眼点じゃ。確かに、そう考えれば今までの全てに説明が……つかぬよの」
「そうっすね」
二人が着地点が行方不明になりつつある会話に興じていると、窓が三回叩かれて音を鳴らす。
「……何じゃ?」
「俺が開けます、姐さん」
チャーリーが窓の鍵を開錠して開くと、そこには三十代前後の男が小包を片手に立っていた。
「やあどうも。突然押し掛けてすみませんね」
「お主は……ええと、あー……」
「……フルーティです」
「そうそう、フルーティじゃ!今言おうと思ってたところじゃ!」
イナリは指をぱすりと鳴らしながら声を上げた。ぶっちゃけ、もう会うこともないと思っていたので、とうの昔に忘却していた。
「まあ、忘れるのも無理は無いですかねえ。それなら、これを再会の記念にどうぞ。この辺りで採れた果物の詰め合わせです」
「ほう?」
イナリが尻尾を揺らしながら身を乗り出すと、フルーティは得意げな表情と共に、一つずつ果物を手に取って見せた。流石果物屋というだけあって、どれも非常に質が良い物に見える。
「姐さん、この人知り合いですか?」
「うむ。どこぞの街で二十分くらい話した仲じゃ」
「……俺が言えたことじゃないっすけど、それはもう他人じゃないっすか?本当に大丈夫ですか?」
イナリはしばし一考したのち、ふいと視線を反らし、小声で呟く。
「……多分」
「ちょっ、なんすかその返事!今、護衛役は俺しか居ないんすよ?何かあったら拙いんですけど!?」
「とにかくここはだいじょーぶじゃから、お主はこの果物を切ってきてくれたもれ」
このままでは話が進まなそうだと判断したイナリは、チャーリーの背中をぺしぺしと叩いて命令した。すると、彼は渋々ながらに果物が入った箱をフルーティから受け取り、部屋の隅へと移動した。
「……で、お主は何故ここにおるのじゃ?店はどうしたのじゃ」
「そりゃもちろん仕事ですよ。その間、店は住み込みの子に押し付けてきました」
「この世界に居るお主ぐらいの齢の人間、軒並みろくでなしじゃな」
イナリはどこぞのギルド長の事を思い出しながら、フルーティに冷たい視線を向けた。果物を仕入れるためなのだろうが、店を押し付けられた側の負担は決して軽くはないだろう。
「しかし、そのためにこんな辺鄙な場所まで来るとは、熱心なことじゃのう」
「山奥の秘境だのと比べたら何てことないですよ。それにここは立ち寄っただけで、一番の目的地はメルモートですからね。ほら、『樹侵食の災厄』が復活しつつあるって噂があるでしょう?そのおこぼれに授かって、今のうちに貴重な果物を拝借しようって寸法ですよ」
「あー……なるほどのう」
フルーティの言葉に、イナリは適当に頷いた。未だに唐突に自身の魔王としての呼称を聞くのには慣れていなかったのもあるが、とても魔王の話をしているとは思えない彼の態度に困惑したのもある。
願わくば、いつか「豊穣神イナリ」の名がこの世界に知れ渡り、なんたらの災厄と取って代わる日が来てほしいものである。
「で、貴方に会うことになったのは……まあ、偶然です。実を言うと、イオリさんだと思って来たんですよ」
「ああ、我とあやつは似ておるからのう」
「それもあるんですけど、街の皆が噂してたのを聞いたんですよ。今度は狐だ、だの、また獣人が来ただのなんだの。あまり穏やかではなさそうですねえ」
「ふむ。きっと我はそれのせいで外出禁止なのじゃ。……今更じゃが、お主と喋るのもあまり良くなさそうじゃな」
現在、イナリ達は窓越しに会話を繰り広げている。その間、いくら人が少ないと言っても、この辺を通過する者は普通に居て、しっかりその現場を目撃されているのだ。そのせいで無用な諍いが生まれないとも限らないだろう。
その点をイナリが案じると、フルーティは手で顎を触りつつ周りを見回す。
「……大丈夫でしょう。ここは冒険者ギルドの敷地ですし、そこで問題を起こすほどの馬鹿は居ないでしょうから。まあ、ここじゃなかったら……投石の一つや二つくらいならあるかもしれませんけどねえ」
「お、恐ろしいのじゃ……」
イナリはわなわなと震えた。街中なのにそのような事態が懸念されるとは、この街の住民が抱える獣人への憎悪は凄まじいらしい。
「それだけ獣人にしてやられてるってことでしょうよ。俺だって、あの連中に自前の馬が奪われてしまって、死ぬかと思ったんですよ?」
「災難であったのう」
「本当ですよ。まあ、護衛代をケチったツケだと言われたらそれまでですがね」
イナリの言葉をやんわりと否定するように、フルーティは両手を上げて自嘲した。
「それで、もし貴方がイオリさんだったら、力をお借りしてこの街を出たいなあ、なんて思ってたんですけど、この際貴方でもいいです、ちょいとご一緒させて頂けたりはしませんかね?」
「我の一存では何ともじゃ。……あとその言い方、妥協された感じがして良い気分ではないのじゃが?」
イナリは腕を組み、目の前の男にジトリとした視線を向けた。




