335 うってつけの話
時が少し進んで、二日後の冒険者ギルドの事務室の一角。
「――とても素敵です!本当にお姫様みたいですよ」
「体が重いのじゃ……」
紆余曲折あって、イナリは今、そこそこ高価そうな衣服を着させられていた。その様子に色めき立つリーゼを中心とした事務員らとは対照的に、イナリはげんなりである。
「我は……我はどうしてこのような仕打ちを?」
遠い目でぼやくイナリだが、これは己が撒いた種なのである。
時は戻って、イナリが無茶振り要望を持ち込んだ後の事。
「――護衛訓練とな?」
「はい。新米レベルから中堅レベルに上がったばかりの冒険者向けに、そういった企画を準備しているのです。実は、エリックさんも少し関与して下さっています」
リーゼの言葉にエリックの方を見ると、彼が小さく頷く。思い返してみると、冒険者の講習がどうこうと言って悩んでいた時があったはずだ。きっとこれはその解決策の一つなのだろう。
「しかしのう、到底我の目的を満たすとは思えぬし、そも、こやつら無しで依頼を受けるつもりはないのじゃが?」
「存じております。今回イナリさんにお願いしたいのは護衛される役の方です」
「それ、我でなくても良くないかの?」
イナリは首を傾げた。その役目自体に意義はあるのかもしれないが、イナリがそれに任命される理屈が謎である。
「そんなことはありません。イナリさんは護衛対象として適任なのです」
「というと?」
「失礼ながら、イナリさんは戦闘やサバイバルの経験に乏しいお方だと存じております。……高貴な身分で護衛対象になる人物というのは、そういった方も少なくないのです」
「故に我が適任というわけか?言わんとすることは理解したが……」
褒められているわけでも、貶されているわけでもなく、ただ事実を告げられただけなので、特にそれについてイナリが気にすることは無い。だが、果たしてこれがイナリの本意に沿うものなのだろうか?
「これに参加したとして、我に何の利があるのじゃろうか?我は崇められたいのじゃが?」
「護られる側の視点を知ることができる、他所のパーティとの接点を持つことができる、ギルドから謝礼金が出る。これらの点が通常提示できる利点なのですが――」
リーゼは指を一本ずつ立てて示し、さらに四本目の指を立てる。
「特別に、訓練中のイナリさんを貴族と想定して扱うという設定を加えましょう。こうすることで、イナリさんは崇められること間違いなしです」
「引き受けようぞ」
イナリは何の躊躇も無く、リーゼの口車に飛び乗った。
貴族がどういうものなのかも知らなければ、崇められるものなのかすら定かではなかったのに。
――以上が事の経緯である。
傍から見れば、分かりやすい餌に釣られたように見えることだろう。しかし、どのみちやることなどないし、得られるものもあるのだから、少しぐらいこういったことに興じてみるのも悪くはない。そう思っての事であった。念押しするが、決してその場のノリで頷いたわけではないのだ。本当に。
「しかし、斯様な衣装を着ることになろうとは……」
イナリは己の髪の色に似た色の衣服の袖をつまみ、まじまじと眺める。
曰く、これはイナリぐらいの年代の貴族が着る衣服に寄せて作った特注品らしい。これでより一層「リアリティ」が高まり、冒険者のやる気を引き出すのだとか。何とも胡散臭い理論だ。
イナリは辟易としつつも、部屋の隅にある鏡で己の姿を確認してみる。
どことなくアースが着ていたそれを思わせるようなドレスだが、所々にあるフリフリとした衣装が中々に鬱陶しい。一番嫌なのは、人間用の衣装を転用しているせいで、イナリの尻尾の辺りの違和感が凄まじいということだ。慣れるまでには時間を要しそうである。
何より、普段こういった衣装を着ないだけに、イナリの感性との齟齬が凄まじく、威厳があるとは到底思えないのが正直なところであった。こればかりは、この世界の人間の感性に期待するほかないだろう。
「さあイナリさん、他の方にもその姿を見せてあげましょう」
既に外には、見送りに来た「虹色旅団」の面々や、護衛訓練に参加する冒険者が控えている。リーゼに手を引かれて事務室から出ると、まず声を上げるのはエリスである。
「尊い……」
「うん?そりゃ我、尊い存在じゃからの。似合っておるか?」
「はい。このまま持ち帰ってしまいたいぐらいですよ」
エリスはイナリの頭が発火しそうなほどの勢いで撫でまわしてから、ハッとした様子でリーゼの方を見る。
「……リーゼさん。護衛の練習なら、襲う役がいてもいいと思いませんか?是非私に――」
「必要ないと思います」
「エリス、ちょっと外で頭を冷やそう」
二人はエリスが碌な事を言っていないとすぐに察知したのであろう。リーゼが食い気味にエリスの言葉を一蹴するや否や、彼女はエリックに連行されて外へと消えていった。
「エリス姉さん、最近は落ち着いた方だと思ってたけど、全然そんなことは無かったね……」
引き気味に呟くのはリズである。彼女は何かと忙しいと聞いていたが、イナリのために時間を割いてくれたらしい。
「あやつの我に対する評価はあまりアテにならぬな。リズよ、お主はどう思うかの?変ではないかや?」
「うん、似合ってるよ!ディルもそう思うってさ!」
「俺はまだ何も言ってないが」
軽くその場で回って見せるイナリに、リズが親指を立てて答え、そこにディルが言葉を重ねた。
「……まあそうだな、様になっている。黙っていたら完璧じゃないか?」
「もー、そういう余計なことを言いそうだから、リズが先回りして言ったのに……」
天を仰いで嘆くリズをよそに、ディルは至って真面目な面持ちでイナリを見る。
「それよりもだ。イナリ、エリックが居るから万が一は無いと思うが、身の危険があるようなら中止を提案しろよ。訓練だからと、無理に冒険者に合わせる必要はないからな」
「うむ、元よりそのつもりじゃ。……しかし、お主がそれを言うのは意外だったのう」
「訓練で取り返しがつかないことになったら元も子も無いだろ?」
「そうじゃな」
ディルの忠告に対し、イナリは頷いて返した。
なお今回は、イナリの負担も考慮して、訓練の監督役はエリックとなっている。この口ぶりからしても彼と話す機会はあるだろうし、危険があれば未然に防いでくれるはずである。……丁度、先ほどイナリを襲おうと画策した神官を外に連れ出したように。
「それじゃイナリちゃん、頑張ってね。帰ってきたらどんな感じだったか聞かせてね!」
「うむ。お主も何やら大変と聞いておるが、励むがよい。ディルも、カイトらをしっかり導いてやるのじゃぞ。……というわけで、我は行くとするのじゃ。リーゼよ、案内してくれたもれ」
「承知いたしました」
リーゼはイナリが差し出した手を掴むと、ギルドの一角にいる一団の前へと誘導した。男二人と女二人、それなりに様になっている装いの面々である。
「む、こやつらは」
その姿にどこか見覚えがあると記憶を辿ってみれば、この者達は以前、イナリの社で一晩過ごしていた者たちである。イナリが苦手な類型の人間であるチャラいのがいるので間違いない。
「この方々が今回訓練に参加する、『疾風』の皆さんです。イナリさん、お知合いですか?」
「んや、少しここで見かけた程度で、ほぼ初対面じゃな。改めて、我はイナリじゃ。しっかり我を守るのじゃぞ」
「このパーティのリーダーのダンテだ。至らない所は多いだろうが、最善を尽くそう」
ダンテが少し屈んで手を差し出してきたので、イナリはそれを握って返した。
「お二方とも、準備はできているようですね。では、早速馬車の方へ移動しましょう」
イナリは、先導するリーゼと「疾風」の面々の後に続き、再度リズやディルに軽く挨拶をしてその場を後にした。
2023/11/14追記
体調を崩していたため、しばらく執筆が滞っております!
なるべく早く更新しますので、もう少々お待ちください!




