331 ノリで建てた鳥居
「ええと……『生えろ』」
「そうじゃ。それでよい。我の力は強すぎる故、こういった細かい仕事はお主にしかできないのじゃ。それをゆめゆめ忘れるでないぞ」
目の前で聖魔法を行使するエリスと、それにより畑の作物がみるみると活気を取り戻していく様子を見て、うんうんと頷きながら溜飲を下げた。やや萎びてしまっていた茶の木も無事活気を取り戻したようで一安心である。
「肝に銘じておきます。私としたことが、イナリさんとの繋がりの一つを忘れるなど、とても許される行為ではありませんでした……」
「今後気を付ければよいだけのことよ。さて、後見るべきは……ううむ、田は面倒じゃな」
畑ですらイナリの力を用いて修復せねばならなかったのに、田が無事とは到底思えない。下手したら川の一部と化しているだろうし、また田起こしからやり直す覚悟もしておいたほうがよさそうだ。
ともあれ、今見に行っても明日見に行っても結果は同じだろうから、それならば後回しにして、他のものを確認したほうがいいだろう。
イナリが辺りを見回すと、地球から持ち込んだ石が目につく。特に損傷も無く、磨いたわけでもないのに青白く神秘的な光を放っている。それを見ているだけでも、どこか癒されるような感覚が得られる。
石が放つ光をぼうっと眺めていると、ふと地面に何かが落ちていることに気が付く。
近寄って観察してみれば、それはボロボロの布切れであった。さらによく見ると、他にも小箱や紙切れ、焚火の残骸など、明らかにゴミと呼んで差し支えない物の数々が目に映る。
「……何じゃこれ」
イナリはふつふつとこみ上げる苛立ちを抑えつつ、静かに呟いた。それに気が付いたエリスは隣に立って事態を察すると、顔を顰める。
「これは……きっとここに来た冒険者が放置していったものでしょう」
エリスの言葉に、イナリは、かつてどこぞの冒険者達がここを「安全地帯」と評していたことを想起する。なるほど、そういった噂を聞きつけた人間がここを利用したのであろう。エリスの推測は的を射ていそうだ。
「全く、ゴミを処分することも満足にできない者が居ろうとは。怒りを通り越して嘆かわしいのじゃ」
「安全地帯だからと、ゴミを放置していく冒険者は一定数いますからね……。仕方がないので、明日の朝にでも回収しておきましょう。ギルドの方にも相談してみます。不届き者をイナリさんの前に引き摺り出して謝罪させます」
「ま、まあ、その辺はお主に任せるが……」
久々に物騒なことを口走り始めるエリスに、イナリは苦笑しつつ返した。
「こういうのを見ると、昔を思い出すのう」
「昔、ですか」
「うむ。我の社に飲み物の容器などを捨てていくものが後を絶たなかった時期があってのう。ほれ、例えば丁度そこにある鳥居の下……じゃとか……」
イナリは声を止め、鳥居に向けていた手を力なく下した。その様子にエリスも訝しんで覗き込んでくる。
「イナリさん?どうかしたのですか?」
「……これ、拙いのう」
「?」
エリスそっちのけで、イナリは背中が冷えるような感覚に襲われていた。
突然だが、以前リズを除く「虹色旅団」の面々が、イナリを生贄だか何だかと勘違いした事件があったのを思い返してみよう。
その時彼らは、この鳥居を魔王を召喚するための門だと誤解していた。これはつまり、この世界には「鳥居」という概念が存在しないことを意味する。当然と言えば当然なのだが、鳥居は地球にしか存在しない代物なのである。
果たして、イナリの家に存在する鳥居を見たカイトは何を思うだろうか?まず間違いなく、地球とイナリの関連を疑うだろう。
こういうことにならないよう、着物などの装いには気を配っていたが、イナリがその場のノリと見栄だけで建てた鳥居に足元を掬われることになるとは、誰が予想できただろうか。
カイトの方に目をやれば、鳥居を指さしてディルに詰問しているカイトの姿が見える。耳を傾けてみれば、「あれってこの世界でよくあるやつなんですか?」とか言っているのが聞こえる。
ディルは適当にあしらっているようだが、その矛先がイナリに向くのは時間の問題であろう。
「拙い、拙いのじゃ。あわわ……」
「よくわかりませんけど、イナリさん、まずは落ち着きましょう」
「そ、そうじゃな。ふぅ……」
しゃがんで視線を合わせるエリスに両手を掴まれることで、イナリはひとまずの平静を取り戻した。
さて、全てを白状するのは論外だとして、どうすればこの不都合をはぐらかすことができるだろう?イナリはそわそわしながら、あれこれ思考を巡らせる。
すぐに思いつくものだと、この鳥居はイナリが建てたわけではないと言い張る方法がある。イナリが家を建てる前からここにあったとでも言えば……だいぶ無理がある気もするが、この場をやり過ごすくらいのことはできるはずだ。
こんなことを考えている間に、カイトがイナリの方へ向かってくるのが見える。もはや考えている暇もないので、イナリは腹を括って、隣に立つエリスに向けて神託を送る。
――エリス、もう説明する余裕がない。ちょっと静かにしててほしい。
――えっ。
エリスは困惑したままだが、ひとまず、己以外に会話の流れを掌握できないように釘を刺すことはできたので、後はなるようになるだろう。イナリはカイトと対峙する。
「イナリさん、質問があります」
「何じゃ」
「地球、日本、神社、鳥居、天草之穂稲荷大社……この言葉に聞き覚えはありませんか」
「はて、何のことやら」
露骨な探りを入れてくるカイトに、イナリはしらばっくれた。まさかイナリが住んでいた社の名前まで出てくるとは思わなかったが、動揺は見せていないはずである。エリスの方も何か言いたそうな様子だったが、ひとまずは飲み込んでくれたようである。
カイトは続けて鳥居を指して続ける。
「これは鳥居という、僕が住んでいた場所にある文化です。稲荷というのは……ええーと、狐の神様のことです、確か」
「急にあやふやじゃな」
「僕もあまりちゃんと知らないので……でも、現に鳥居がここにありますし、イナリさんの名前が稲荷と全く同じなのも、偶然の一致ではないと思うんです。だから単刀直入に言わせてもらいます。イナリさん、地球のことを知っているんじゃないですか?」
「残念じゃが、否じゃ」
意を決した様子で問うてきたカイトに対し、イナリはにべもなく返した。
「そこの小屋こそ我が建てたものじゃが、鳥居はもともとあったものなのじゃ。名前というのも、人間共が我をそう呼んだからこそ、それを自称しておるだけじゃ。つまり、偶然の一致ということじゃな」
「そう、でしたか……。で、でも!他にこれを建てて、イナリさんにイナリと名付けた人がいるっていうことですよね?何か少しでも知っていることがあったら教えてくれませんか!?」
「……うーむ」
イナリは腕を組んで考える。当初は知らないと一蹴するつもりでいたが、一歩踏みとどまって考え直すことにした。
ここで一蹴したとして、カイトが大人しく引き下がって魔王討伐に明け暮れてくれるのであれば結構だが、存在しない「手掛かり」を求めて旅に出るとか言い出す可能性が否定できない。そんな最悪なことになるなら、中途半端に可能性を残さず、徹底的に潰しておいたほうが後が楽だろう。
丁度いいことに、勘違いでそれらしい物語が作られたことがある。イナリはそれを引用することにした。
「そやつは我を生贄として魔王を召喚しようと企んでおってのう。その悪行が人間の目に留まって、捕まったのじゃ。為した事が事じゃし、多分、もうこの世におらんのではないか」
「そ、そんな……」
「故に、我から話せることもなければ、お主の知りたいことを知る者も居らぬ、というのが我の答えじゃ。もうよいかの?」
「は、はい。変なことを聞いてごめんなさい」
「構わぬ」
いい感じにカイトの行動を狭めつつ、己と地球の繋がりも隠蔽できた。咄嗟の対応としては上出来であろう。
「さて、我は眠くなってきたのじゃ。お主もイオリが待っておろう、早いうちに戻るがよい」
イナリは適当に理由をつけて話を切り上げると、エリスの手を引いて家の中へと移動した。
「ふう、案外何とかなるものじゃな。エリスよ、すまなかったのう」
「いえ、それはいいんですけど……どういうことですか?さっきの話は本当なのですか?」
「ん?全部嘘じゃよ?」
「えっ」
「ひとまず、寝支度をするのじゃ。毛布はあるかの?」
困惑する神官を前にしても、イナリはマイペースであった。




