329 勇者パワー
時刻は昼過ぎ。
一行は道中、植物に飲み込まれた村や、冒険者たちが作ったと思しき空地の横を通り過ぎながら森の中を当てもなく歩き、漸く標的であるトレントを発見した。
イナリはエリスの背から身を乗り出しつつ、それの姿を見て、ぽかんと口を開く。
「……でかいのう」
メルモートの教会の建物と要塞の横に建っていた塔の間くらいだろうか。以前、イナリの髪を取り込んでおかしなことになったトレントがいたが、あれよりも大きい個体に成長しているようである。深い森の中だからこそ発見しづらかったが、視界が開けている場所であれば一目でその姿を認めることができるだろう。
動けないと知っているからこそ悠長に観察していられるが、もしあれがイナリ目掛けて一直線に突進して来ていたら……想像もしたくない事である。
イナリが最悪の可能性に思いを馳せているうちに、エリスがディルに向けて問いかける。
「あれ、以前の変異体みたいに、炭になっても動いたりしませんよね?」
「ギルドにあった交戦記録を見た限りだと、バカデカくて強いだけのトレントだ。妙な能力は無い……まあ、強いて言うなら堅いってぐらいか?」
「ま、我が関わっていない以上そうであろうの」
イナリは、エリスの背の上からディルに向けて小声で返した。
「さて、今までは基礎に注力していたからな。今日はあれにカイトの全力をぶつける丁度いい相手になってもらおう。カイト、準備はいいか?」
「は、はい……」
「何だ、ビビってるのか。あんなもん、お前が倒した魔王と比べたら可愛いもんだろ」
「そ、そうですね」
頼りない返事を返すカイトの姿は、つい数時間前の自信に満ちていた彼とはまるで別人であった。そんな様子を見て、ディルがカイトの背中を力強く叩く。
「全く、イナリに力を見せるって言い出したのはお前だろう、しっかりしろ。イオリ、お前の勇者サマをちゃんとサポートしてやりな」
「言われなくてもそのつもりだ」
「そりゃ結構。じゃ、俺たちは見晴らしがいいところで見物しておこう。今回は依頼でもないから、倒した魔物の状態を気にする必要はないぞ」
ディルは満足した様子で頷くと、木々の間から見える、やや離れた位置の高台へ向けて歩き始めた。
「イナリ、勇者様のお姿をよく見ておくんだぞ!」
「ん?あ、ああ、うむ……頑張るのじゃぞ?」
「お二人がお強くなられたのは存じていますが、安全第一、決して無理はしないようにしてくださいね」
イナリとエリスは各々声をかけ、そのままディルの後を追った。
イナリ達は見晴らしのいい場所で腰掛け、巨大なトレントの姿を眺めていた。下からの眺めとはまた違った印象を受けるが、その存在感が変わることはない。
今気づいたことだが、トレントが暴れでもしたのか、手が届く範囲の木々がなぎ倒されているようである。おかげで、木々に遮られて勇者が何をしているのかサッパリ、という事態は起こらずに済みそうだ。ただ、それとは別の問題もある。
「……のう、観戦するにはちと遠くないかや」
ここからトレントがいる位置までは大体二、三町(=約二、三百メートル)程度あるので、カイトやイオリが何をしているのかの判別はおろか、髪の色で個人を見分けられたら上々といった具合になりそうだ。残念ながら「勇者様のお姿」を見ることは叶わなさそうである。
故に、イナリが睨むようにトレントのほうを見ながら告げると、ディルがあっけらかんとした様子で答える。
「トレントの姿が見えてりゃ問題ないだろ?」
「問題あるのじゃ!カイトが何をしているかわからないと、あやつが脅威か否か断ずる材料にならぬじゃろ!」
「あいつと戦う可能性でも考えてるのか。理屈はわかるが、あいつはそんな玉じゃねえだろ」
「それはわからんのじゃ。魔王の正体が我と知った瞬間、何か謀ろうとするやもしれぬ」
「そうかあ?まあ、警戒するに越したことはないだろうが……」
「そうですね。カイトさんがイナリさんに切りかかるとは到底思えませんし、未然に防げるなら防ぎたいところですが、最悪を考えておく意義はあるでしょう。もしその時が来たら、私がイナリさんを連れて逃げて、二人で幸せに暮らします」
「私欲が漏れてるぞ」
煩悩に塗れた神官を見て、ディルは呆れた様子で呟いた。
「ま、その辺は追々にするとして、今はあやつの様子を見るのじゃ。お主ら、何か遠くを見るための道具は無いかや」
「あるぞ。ほら」
イナリが手で筒を作って覗き込む動作をすると、ディルは鞄に手を入れ、すぐに望遠鏡を取り出して差し出した。
「うむ、感謝するのじゃ。最初からこれを出すのじゃ」
「一言余計だな……。まあいい、横の目盛りを弄ると倍率が上がる。好きに使うといい」
「おお、便利じゃの」
イナリは受け取った望遠鏡をあちこちから眺め、一通り満足したところで早速トレントの方角を向いて構え、カイト達が動き出すまで遠方の山を眺めて待った。
「――イナリさん、始まりましたよ」
「ほう、では見せてもらうとしようではないか」
イナリは望遠鏡の倍率を調節し、カイト達が何をしているのかある程度把握できるところに合わせた。カイト達はトレントの手が届く限界のあたりまで近づき、戦闘の準備をしていたようである。
まず、イオリが五体に増え、トレントに向けて突撃する。
「……なんと面妖な」
突如展開される見覚えのない技に、イナリは呆然とした。
「あれは何じゃ。我、あんなの知らぬぞ?」
「狐火を使うあたりで薄々感じてたが、イオリは普通の獣人じゃないらしい。どこの部族かは不明だが……何かあるらしいな」
「随分と曖昧じゃな。……そういえば、獣人らが高位種がなんだとか言っておったのう」
「何やら気になる単語が出てきましたが……本人も気にしていないようなので、外野があれこれ詮索するのはよくないですね」
「ふむ、まあそんなものか」
同じく秘密を色々抱えている者として、イナリは素直に納得しておくことにした。
そんなことを言っている間に、トレントがイオリと分身を貫かんと、巨体に見合わぬ速度で、槍のごとく枝を突いていく。イオリと分身たちはそれをうまく回避し、行く当てをなくしたトレントの枝は地面に突き刺さって動かなくなる。
その隙にカイトが剣を片手に駆け出し、トレントの枝を飛び移りながら幹へ向かって迫る。枝を飛び移る際の跳躍力といい、剣や装備の重量を一切感じさせない身のこなしといい、その動きは明らかに人外の領域である。流石はアルトの加護といったところだろうか。
しかしトレントもただ己が斬られるのを待つわけではなく、初撃で利用しなかった、数多の小ぶりな枝を使ってカイトの進撃を阻もうと試みる。
カイトが剣を振るうとそれらは容易く両断されたが、それを免れた枝がカイトへ向かって振り下ろされる。それが当たろうかと思われたところで、イオリが火球を放ち、小枝を弾き飛ばしていく。
「器用なことをするものじゃ」
「ああ、イオリの操作技術は目を見張るものがある。下手な魔術師よりよっぽど制御が上手いと思うぞ。リズのお墨付きだ」
イナリの言葉にディルが頷いているうちに、カイトは上手くトレントの攻撃に対処しながら幹へ到達した。
そして、これ以上ないほど大げさに振りかぶり、勢いよくトレントの幹に剣を叩きつけていく。二回、三回と攻撃を加えているようで、イナリがいる場所にも微かに鈍い音が響く。
そして十回ほど剣で斬りつけたところで、トレントの幹が粉砕した。切断ではなく、粉砕である。
「え、えぇ……?」
イナリは素で困惑の声を上げた。
それは、堂々と構えていた割に、たった十回の被撃であっさり討伐されるトレントに対するものか、それとも、ほぼ勇者力によるゴリ押しと形容できそうな一連の戦闘に対してか。あるいは、あんな意味不明な力を持っているのに直前まで怖がっていたカイトに対してかもしれない。
とにかく、理解が追いつかない点が多すぎて、一体どこから突っ込んだらいいのかわからない。
それでも、一つ分かったことがある。
それは、神器を持ったカイトに殴られたら、イナリもあのトレントと同じ最期を迎えることになるだろうということだ。
最悪の想像をしてしまったイナリは望遠鏡を降ろし、目に涙を浮かべてぷるぷると震えた。




