327 突撃、カイト宅
翌日、イナリはディルとエリスの三人でカイト宅へと赴いた。
「ふむ、これがあやつの家とな」
イナリの眼前には、そこそこ安っぽい造りの長屋があった。安っぽいと言っても、「虹色旅団」のパーティハウスと比べたらという話だ。雨風を凌げる時点で、魔の森にある雨ざらしイナリハウスと比べて圧倒的に良い造りなのは間違いない。
「で、どれがあやつの部屋じゃ」
長屋と言うだけあって、いくつもの扉が等間隔で設置されている。エリスから「小さめのパーティハウスを契約した」という話があったこともあって、これら全てがカイトの住処でないことぐらいは、社会に疎いイナリでも容易に察せられる。
現に左右を見れば、今まさに稼業に赴くためにここを出る冒険者の姿がしばしば見られた。一方的にイナリが認知されているのか、イオリと勘違いされているのかは知らないが、たまに手を振ったり、会釈してくる者の姿もあった。
故にイナリがディルに問えば、彼はやや自信が無さそうな素振りを見せながら、やがて一つの扉の前に立つ。
「……ここだ」
「何じゃ、今の妙な間は?」
「仕方ないんですよイナリさん。ここ、住人ですら部屋を間違えることがあるくらい、間違えやすい構造で有名なので……」
「……それは欠陥ではなかろうか?」
「その通りだ。だが見分け方はある。表札を見ればいいんだ、ほら」
ディルは得意げに表札と思しき板を指さした。しかしイナリには、何らかの文字が書かれていることを理解するのが限界であった。
「読めないのじゃ」
「……悪い、そうだったな」
ディルはバツが悪そうにイナリに謝ると、そのまま戸を叩いた。すると十数秒ほど間を開けて、部屋の中からイオリが、小麦色の狐耳をぴこりと見せながら顔を覗かせる。
「誰だ?」
「俺だ。うちのお狐様が、お前らに話があるんだと」
ディルがおどけたような言葉と共に親指を立ててイナリを示すと、イオリもその姿を認める。
「わかった、入れ」
「ああ、朝から悪いな」
ディルは一言イオリに謝りながら、屋内へと足を踏み入れた。それを見たイナリとエリスは、身を寄せ合って囁き合う。
「のうエリスよ。あやつ何か、妙に小慣れておらぬか?」
「それはそうですよ。ディルさん、しょっちゅうカイトさんの様子を見るためにここに来てますからね」
「しかしのう、『朝から悪いな』じゃと。あやつが他人に気遣う様を見たのはいつぶりかの?」
「イナリさん、流石に失礼ですよ。ディルさんはデリカシーが壊滅しているだけで、人並みの気配りはしてますから。……ええと、してるはずですよね?」
「我に問われてものう」
何とも信用ならないエリスの言葉に呆れつつ、イナリはディルの後に続いて戸を潜った。
さて、カイトの家は非常に簡素な造りであった。いくつかの物置きや小部屋を全て含めて、おおよそ「虹色旅団」のパーティハウスの居間より少し広いくらいだろうか。
面白いことに、ここに来てから日は浅いだろうに、棚の上に飾られている小道具が充実していた。例えば小さな剣や小箱、こぶし大の観葉植物などと言った具合だ。カイトの写真機や、イオリと二人で撮影したであろう写真も飾られている。
……というか、飾られている写真のうち半分くらいが、カイトとイオリの二人が映った写真であった。相変わらず仲がよろしいようで何よりである。
そして、部屋中を見回すイナリを、食卓に座っていたカイトが出迎える。
「おはようございます。ディルさん、エリスさん、それにイナリさん。すみません、起きたばかりで身支度も適当なんですが……」
「よいよい、その程度の些事、取るに足らんのじゃ」
カイトの言葉にイナリが手を振りながら、カイトの向かい側に着席した。すかさず、イオリが水が入った杯を食卓に並べた。
「それで、何かイナリさんから話があるとか。もしかして僕、また何かやっちゃいました?」
「それは否じゃ。……また?」
イナリは絶妙に鼻に着く言葉に顔を顰め、そして引っ掛かった言葉に首を傾げた。それに答えるのはディルである。
「イナリも少しは聞いただろ?こいつは色々やらかしたからな」
「ああ、詐欺にあったとか、揉めたとかそういう話かや」
イナリが納得して頷けば、カイトは恥じらうように目を逸らした。
「ま、お主が懸念しているようなことは無い故、そこは安心するがよい。我が問いたいのは、お主に勇者としての務めを果たすつもりがあるのかという話じゃ」
「勇者としての……務め」
反芻するようにイナリの言葉を復唱するカイトに、イナリは一つ頷いた。
「然り。お主、何やら冒険者としての生活を……え、えんじょい?しておるらしいではないか。教会の支配を外れた今、お主には勇者の務めを放棄するという選択もあるであろう。お主は、どうしたいのじゃ?」
机の上で手を組んで、如何にもな雰囲気を演出しようとしたイナリだが、中途半端に覚えたての言葉を使おうとした結果、締まらない物言いになってしまった。そのせいで、後方に控えているエリスが肩を震わせている。
イナリは、僅かに芽生えた羞恥心を誤魔化すべく、尻尾を使ってエリスの膝元を叩いた。
「僕は――」
見えないところで攻防が繰り広げられている中、カイトが口を開く。
「魔王を倒して、世界を救うつもりです。これは教会に強制されたわけじゃない、僕の意志です」
「ほう、何故じゃ?先にも言うたが、お主に魔王を討つ務めは無いのじゃ。このまま何も無かったことにして、世界のどこかで密かに暮らすこともできるのじゃぞ?」
「僕のせいでこの世界を滅茶苦茶にしてしまったところがあるのに、それはできません。慕ってくれるイオリに申し訳ないし、僕が何もしなかったら、この世界は滅んでしまうので」
「ほう。つまり、お主ならば世界を救えると信じておるわけじゃ」
イナリは相槌を返すと、右手に杯を持ち上げ、そのまま勇者に向けて指を差した。
「それほど大きく出たからには単なる理想論では済まされぬぞ。具体的な計画は立てておるのか?」
「勿論です。僕は強くなったので」
「…………」
イナリは真面目な雰囲気を霧散させ、無言でエリスとディルの方を見た。その目が言わんとするところは、「こいつ本当に大丈夫?」である。
果たして、そこそこ色々と事件を起こしている少年の自己申告による「強い」という言葉は、どれほど信頼に値するだろう?少なくともイオリは彼の言葉を信じて疑わないようだが、半ば妄信気味なきらいがある彼女のことなので、あまり参考にはならない。
その心境を察してか、ディルが答える。
「実際、カイトは相当強くなったぞ。少し前とは別人と言っていい」
「ふーむ、そうか……」
それでも疑心が拭えないイナリを見て、今度はイオリが声を上げる。
「そんなに疑うなら、実際に見ればいい。そう思いますよね、勇者様!」
「確かに。強くなった僕を、イナリさんに見てほしいです!」
「……我、疲れてるんじゃけど」
「そう言わずに、すぐに終わりますから!」
熱く語る勇者陣営の二人に対し、魔王陣営の狐はとことん冷めきっていた。
というのも、刑務所から解放された後の疲れも抜けきっていない上に、先日サニーと湖で遊んだ疲れも加わっているのだ。故に、今日はカイトと話して動向を探った後は、エリスとゆっくり休むつもりだったのである。
だが、今のうちに彼の実力を知っておいた方が良いであろうことは事実であるし、もう少し頑張ってみる価値はある。
「うーむ…………」
イナリは頭の中で二つの選択肢を天秤にかけた末、この用事が済んだら今度こそじっくり休むと心に誓いながら、カイトの言葉に頷いた。




