326 親の心、狐知らず
「アースよ。お主、これが何かわかるかや?」
イナリはその場にしゃがみこみ、草を指さした。
「何となくの性質は分かるけど、魔力が絡む部分は専門外ね。この世界での呼ばれ方も分からないわ」
「ふむ」
要するに、米とオリュザの区別のようなものだろう。イナリがある程度何とかなっているのは、アルトが知らぬ間にイナリに付与した言語モジュールの賜物である。
「ちなみにどういったものじゃ?」
「そうねえ……」
アースが一つ、青緑色の葉を摘み取って眺める。
「例えばこれ。この土地との相性が抜群みたいで、異様に繁殖力が強くなっているみたいね」
「店主が言うところの、森の栄養を持っていった原因じゃろうか。我が来たからにはもう好き放題させないのじゃ」
「寧ろ助長しそうな気もするけれど。……いや、全部育つなら蟲毒みたいになるのかしら」
「孤独とな。何が言いたいのかよくわからぬが、お主も情緒的な表現をすることがあるのじゃな……」
「何か勘違いされている気がするわ」
蟲毒と孤独を勘違いしたイナリの言葉に、アースは腕を組んで眉を顰めた。
「まあいいわ。他に興味深いのはこれね。中々面白い形質を持っているわよ」
アースは手に持っていた葉を捨て、今度はシダらしき形状の葉を摘み取る。
「近くにある植物の形質を取り込んで模倣する植物みたいね。今見えている物の四分の一くらいがこれだわ」
「ほう。これの、元あった植物はなくなるわけじゃな?アルトも悪趣味なものを作るのう」
「うーん、アルトも好きでこんなもの作ったとは思いたくないけれど」
アースはイナリの言葉をやんわりと否定しつつ、手に持った葉を茂みに向けて放った。
「あと、別の問題があって。貴方の力とこの世界の植物の親和性が案外いいのよね」
「それはオリュザが米になったりする件のことじゃろか。我としては喜ばしい限りじゃが」
「私が懸念しているのは、変異がとんでもないシナジーを生み出した時ね」
「しなじい、とな?」
聞き慣れないアースの言葉をイナリは片言で反復した。
「要するに、想像してないような相乗効果が生まれたら、って意味よ。例えば、草木が意志を持ってその辺を歩き始めたり、空を穿つような豆の木が生えたりとか、そういうやつね」
「後者はともかく、前者は経験済みじゃ」
「……確かに。言っておいて何だけど、今更って感じがするわね」
イナリの返事に、アースは真顔で頷いた。
「とにかく私が言いたいのは、大変なことになったら最悪貴方だけでも逃げられるように、しっかり備えをしなさい、ということよ。わかった?」
実は、イナリは今回の問題を己の成長促進によって解決しようと目論んでいた。どうやら、これはアースにはお見通しだったようだ。
「ふふん、アースよ。忠告はありがたく受け取るがの、我だってそれなりに成長を遂げておるのじゃ。あの時以上のことが起こることなど考えられぬし、何が起ころうとよゆーじゃ、よゆー」
「そう」
自信に満ち溢れているイナリに対し、アースは呆れともとれるような声色で、淡白な返事を返した。
「じゃあ、この話はこれで終わりね。最後に、忘れないうちにこれを返しておくわ」
アースは懐からイナリの神器を取り出すと、イナリに向けて放り投げた。
神器は放物線を描き、イナリの顔面に激突した後、地面に落下して金属音を立てる。
「い、痛いのじゃあ……」
先ほどとは一転、目に涙を浮かべてその場にうずくまるイナリを見て、アースは天を仰いだ。
そんな悲しき事故もあったが、その後は日が暮れるまでサニーと共に湖で水遊びや釣りに興じ、アースとはその場で別れた。
空が紫色に染まり出し、街灯の光が辺りを照らし始める中、イナリ達は孤児院へ向かって歩いていた。ウィルディアの背には、遊び疲れて眠ってしまったサニーの姿がある。
「全く、やはり子守は苦手だ……」
「お主、途中から露骨に動きが鈍くなっておったよの」
「仕方ないだろう。私はインドア派なんだ」
ウィルディアの顔には疲労が浮かんでいたが、何処か満足感か、あるいは達成感のようなものも見て取れた。
「ところで、サニーは何時まであそこにいるのじゃ?」
「しばらくの間は教会の保護下に置かれることになる。その後のことはサニー君が決めるだろう」
「そうか。……あと、アレはどうなったのじゃ?何か、神官の男じゃ」
「ああ……あの少年か」
悲しきかな、この場にいる両者ともに勇者を嵌めた少年の名前を憶えていなかった。
「端的に言えば、私も含めて皆が処遇に困っている。彼には悪いがね」
察するに、回復の見込みも立たず、処遇も決まらず、かといってぞんざいに扱うわけにもいかず、といった具合だろうか。
かの少年の行いを思えば自業自得ではあるのだが、全方位から煙たがられてしまうのは些か不憫に感じられた。尤も、イナリも今思い出したくらいには、大した思い入れがないのだけれども。
「ただ、何の進捗も無かったわけではない。彼に着けられた魔道具の仕組みはある程度判明している。結論だけ言うなら、闇に葬った方が未来の為になりそうだった」
「そうか。その辺の判断はお主に任せるのじゃ」
イナリはため息を零した。せっかく童心にかえって水遊びに興じていた余韻に浸っていたというのに、一瞬にして現実に引き戻された気分であった。
「話は変わるが、お主、カイトの家を知っておるかの?」
「カイト……ああ、勇者か。残念ながら知らないな。君の仲間なら知っているのではないかね」
「そうじゃな」
先日カイトやイオリに家の場所を聞いていなかったのが災いしてしまったようだ。イナリは、帰りがけにカイトのところに顔を出そうと思っていた予定を変更し、このまま帰宅することにした。
ウィルディア達とも別れ、パーティハウスに帰ると、居間にエリックとディルの姿があった。
「おかえりイナリちゃん、遅かったね。サニーちゃんは元気そうだった?」
「うむ。お主らは何をしておるのじゃ」
「俺たちが居ない間に溜まった手紙やら何やらの整理だ。ここ数日、碌に目を通せていなかったからな」
ディルは机の上に広げられた封筒を一つ手に取ってイナリに見せた。机の上には、同じようなものが何十枚と積まれている。
「何やら面倒そうじゃのう」
「ああ、見ろよ。ここにある封筒、『虹色旅団に入りたいです!』みたいなやつばっかりだぞ」
「何じゃそれは?随分と無謀というか、脈絡が無いというか……」
「昔からそういうのはよくあったよ。今回に関して言えば、イナリちゃんが投獄された噂を聞いて、その席を狙った人たちが多かった印象だね」
「実は、『イナリみたいなのが居るなら俺も入れてくれ』みたいなのは、前からしばしば来てたんだ。詳細は知らんが、全部エリスが直々に対応した」
「……何か、知らない方がよさそうな話じゃ。しかし、そうか、大体我のせいなのじゃな……」
「そうだな。どうせ全員碌な奴じゃない。全部破棄だ」
ディルは近くからクズ入れを引きずり寄せ、纏めてそこに放り込んだ。見知らぬ手紙の差出人たちには悪いが、イナリが確かに仲間として扱われている感じがして、どこか痛快な気分であった。
「で、他に何か面白いものはあったかや?」
「お前が期待するようなものは……あるな」
「あるのかや」
明らかに否定の流れになると思っていたイナリのあては外れたらしい。だからと言ってどうということもないが。
イナリが妙なところで肩透かしを食らっていることなど露知らず、ディルは紙の山から目的の物を探して取り上げる。
「『樹侵食の厄災に関する記録』だ。俺たちが居なかった間の事を知れるようにわざわざ用意してくれたらしい」
「ほう」
ディルから紙を受け取ってみれば、そこには数字と線が描かれていた。イナリにこの図表の読み取り方は分からないが、とりあえず何かしらの記録がされていることは確からしい。
「見ての通りだ。俺たちが発った直後に記録が活動が止まって、お前が投獄された時からまた活性化しているんだとよ」
「まあ、そりゃそうじゃろな。要は、我がいるかいないかという話じゃし」
何も知らない人間からしたら重要な情報なのだろうが、真相を知るイナリ達からすれば、まるで意味のない調査記録であった。
イナリは調査記録をディルの前に積まれた紙束の上に差し戻し、ソファの定位置に寝そべった。
「ところで我、近いうちに森と我の社の様子を見に行くつもりなのじゃ。しかしその前にカイトと少し話がしたくての。あやつらの家を知っておるかの?」
「知ってるよ。イナリちゃんが良ければ明日にでも行ってみようか?」
「うむ」
エリックの申し出にイナリが頷くと、ディルが訝し気な声を上げる。
「カイトに何の話をするんだ?あんまり変なことを言うと、イオリと戦争になるから気を付けろよ」
「戯け、お主が思っているような事ではないのじゃ。よいか。実に不本意じゃが、我は魔王、あやつは勇者じゃ。これだけで理解できるであろ?」
「なるほど、そりゃ大事な話だ」
紙を折り畳みながら、ディルは納得した様子で呟いた。




