307 勝手に戦え!
イナリは困っていた。まさか「真の獣の民」側から派遣された使者がベイリアであるとは思わなかったのである。しかも衆目がある中でイナリの名前を呼ぶものだから、正体が露呈して吊るしあげられるのではないかと気が気でなかった。
「よいか、我はイオリじゃ。二度と間違えるでないのじゃ」
「わ、わかりました……?」
その意図が伝わったとは思えないが、イナリが「話を合わせてくれ」という念を込めてベイリアに念押しすれば、彼女は釈然としない様子で引き下がった。
「お主らも、ご苦労だったのじゃ。下がってよいぞ」
「はい、失礼します、姉御」
ひとまず、これ以上ボロが出る前にベイリアを連れて来た犬獣人二人組を帰した。
「全く我々の見分けがつかないとは、これだから人間は……」
鳥の長はため息をついているが、彼らもイナリとイオリの見分けがついていない時点で同類である。
そも、彼は本来ここに居るはずではなかったのだが、イナリが知りえない情報を持っているだろうことを見越して同席を認めた経緯がある。パウセル曰く「参謀気取り」だそうだが、あまりに辛辣すぎて、幾らか鳥の長に同情しないこともない。
「さて、まずはよくここまで来たのじゃ。本題に入る前に少し休むが良い。パウセルよ」
「お、お気遣いありがとうございます」
イナリはパウセルに目配せして、実が入った籠を運ばせた。
「突然森の植物が大きくなって大変だったんです。こちらは大丈夫でしたか?」
「多少の被害はあったようじゃが、生活に影響するようなものでは無かったのじゃ。しかし我の見立てじゃと、あと一、二回は同じようなことが起こるはずじゃ。明日まで我のもとで過ごすが良い」
「お待ちください、イオリ殿。この人間、教会の衣装を着ています。何を企てているかもわからないですし、話だけ聞いたらさっさと森に――」
「聞いておらんかったのかや、我が許すと言ったのじゃ。……それともお主、我の実力を疑うのかえ?」
「……失礼、過ぎた真似をしましたな」
「わかれば良いのじゃ」
引き下がる鳥の長に、イナリは腕を組んで頷いた。少し威圧感を込めるだけで引き下がってくれるのだから、イオリの威光のなんと便利な事か。
「あ、あの、イナ……イオリさん。その、いいのですか?」
「よいよい。人間社会を知る者として、お主と個人的に話したいことがあるのじゃ。情報収集というやつじゃな」
「なるほど、そういうことでしたらお言葉に甘えさせていただきます!」
訳すと、「後で事情は話すから今は話を合わせてください」である。先ほどの念押しに加えてこれだけ言ったことが効いたのか、ベイリアは納得した様子で頷いて返してきた。
「……あっ、申し遅れました!私、『真の獣の民』の代表としてここに参りました、ベイリアと申します。先ほどそちらの方が申されたように神官服を着ていますが、既に職は辞してますので、ご安心ください!」
ベイリアが改めて自己紹介すると、鳥の長が手を上げる。
「イオリ殿、発言をお許しください」
「よかろう」
「ありがとうございます。……『真の獣の民』は獣人の群れのはずです。何故、人間である貴方がここにいるのでしょう?」
「少し長くなりますが、お答えします。先日手紙でお伝えしたように、『真の獣の民』は『真の真の獣の民』の皆様との和解と再統合を望んでいました。そのために遣わせる使者も、最初は獣人の文化に則って、決闘により決めることになっていました」
「ふむ」
イナリが相槌を返すと、ベイリアが続ける。
「しかし、一つ疑問がありました。『真の真の獣の民』の皆様は、私達以上に伝統を重んじる方々。仮に獣人同士で和解し、再合流したとして、そこに人間が居ることに耐えられるのでしょうか?」
「否ですな」
鳥の長は即答するが、ベイリアは落ち着いた様子で話を続ける。
「私達の結論も同様でした。その理由は様々でしょうが……こうして複数の部族で集落をつくっているのですから、獣人同士での協同を拒んでいるわけではありませんよね。ただ、自分たちより弱いはずの人間が一族の中にいて、あれこれ指図するのが気に入らない。そうではありませんか?」
「……人間のくせに随分と生意気な口を利きますね」
小屋の中の空気が緊迫してきて、イナリは居心地が悪くなっていた。きっと獣人に嘗められないための啖呵なのだろうけれども、もう少し穏便な方がイナリには嬉しいのだが。
「さて、話を戻しまして……何故、人間である私がここに来たのか。それは『真の獣の民』の中で活動する人間の一人である私がここで皆様と決闘し、その力を示すことで、皆様に人間を受け入れて頂くためです。決闘は獣人の関係を決定する重要な儀式、そうですよね?」
「……なるほど、その度胸は認めましょう。イオリ殿、如何致しますか」
「えっ?あ、ああ、うむ……?」
イナリは困惑した。何と言うか、想定していた流れと全然違う。
手を取り合うための話し合いのはずが、どうして肉体言語での話し合いになってしまったのだろうか。いや、強さ至上主義の獣人の価値観からすれば、寧ろそれが正しいのだろうけども。
「ま、時間はあるし、明日にでもやれば良いのではないか?」
完全に出る幕が無くなったイナリは匙を投げた。ここで首を横に振るのも流れとしては変だろうし、手紙を暗号として処理してしまった件は完全に隠蔽できて、イナリの今後の計画に支障は無さそうだから、後は好きにすればいい。
「ではそのように。相手の選定についてですが――」
「この村で一番強い方でお願いします。最低でも、人間一人でも獣人相手に善戦できることを証明できないと意味がないので」
「ほう、それは面白い。ではイオリ殿、お願いしてもいいですかな?」
「うむ……うん??」
「畏まりました。では明日の昼、ベイリアとイオリ殿の決闘を行う旨を周知します!」
会話を聞くのをやめて実を摘んでいたイナリは首を傾げたが、鳥の長はそれを返事として認識してしまったらしい。一歩遅れて問いかけの内容を反芻したイナリは、慌てて声を上げながら鳥の長に手を伸ばす。
「えっ、ちょ、待っ――」
しかし悲しきかな、イナリが引き留める間もなく鳥の長は翼を広げて外へと飛んでいった。後に残されたイナリは、ぷるぷると震えながら呟く。
「……ど、どうしたらよいのじゃ。我、戦えないのじゃが……??」
「これは拙いことになりましたね……」
パウセルはイナリの隣に立ち、顔を顰めていた。
「――なるほど、間違えて連れて来られて、そのまま誤魔化し続けていると」
「そういうことになります」
「どうしてそんな奇跡が起こったのか理解に苦しみますが、ひとまず理解しました。何と言うか……大変ですね」
その後、完全に日が暮れてイナリの小屋で一晩を過ごすことになったベイリアは、パウセルから一通りの事情を聞いて、小屋の寝床で震えて蹲るイナリに気の毒なものを見る目を向けた。
「私としては『真の獣の民』と合流できればそれでよかったのですが……あの鳥頭のせいで面倒なことに……」
「あ、あはは、ええと……イナリさん、ごめんなさい、私のせいで……」
「お主は悪くないのじゃ。全てはあの鳥の同席を許した我の過ちじゃ……」
本来であれば、ベイリアがどうにかしてこの集落にいる長のいずれかを倒し、獣人達の理解を得た上で『真の獣の民』に再合流させるという単純な話だったはずなのだ。
「そも、どうして余所者の我が戦う必要が?これはあやつらの中で完結するべき話ではないのかや?」
「それは御尤もですが、決まってしまった以上後に引くことはできないでしょう。あるいは今晩のうちに失踪してもいいかもしれませんが……森の状況が良くないので、やめた方がいいでしょう」
「それを抜きにしても碌な帰結を迎えぬじゃろうなあ。やるしかないのかや……」
イナリはベイリアと目を合わせた。
結界術師の彼女が展開する結界は、結局アルトの力を借りているものだから、イナリの風刃を使えば容易に突破できるだろう。
だが、曲がりなりにも彼女とは赤の他人と言えない程度の関係がある。仮に完治しないような怪我を負わせたり、最悪死に至ってしまっては、エリスやグラヴェルに合わせる顔が無いだろう。
「どうしたらよいのじゃ……」
イナリが頭を抱えていると、ベイリアが口を開く。
「……パウセルさんは決闘についてどうお考えですか?」
「決闘ですか?伝統ではありますけども、今回の件に関しては……微妙ですね」
「でしたら……八百長しましょっか!」
手を叩いて満面の笑みを見せるベイリアの提案に、小屋の中が静まり返る。
「……お主、一応元神官なんじゃよな?そのような事を言って良いのかや……?」
「元なのでセーフです!」
「本当にさっきまで長を前に啖呵を切っていた人間と同一人物ですか?」
「仕方ないでしょう!私だってイナリさんを傷つけたくないんですよぉ!」
軽く引いている狐と鳥を前に、ベイリアは涙目で反論した。
「……まあ、ここで貴方がたが落命しては、いよいよ再統合など不可能ですからね。私も協力しましょう」
「まあ、我も反対はしておらんのじゃ。痛いのは御免じゃ」
「ふふふ、そうこないとですね!じゃあ、段取りを考えましょう……」
こうして新たな共犯者を迎え入れたイナリ達は、翌日の決闘に向けた八百長計画を練り始めた。




