283 お前は知りすぎた
「……少し。少しだけ、話をさせてくれないか」
「何だ。先の男のように、イナリに取り入ろうとでも?」
ゲルムの申し出にアースが威圧するが、彼はおもむろに首を振った。
「この期に及んで命乞いなどするつもりは毛頭ない。人道に反するであろうことを続けていた以上、こんな最期を迎えるのも覚悟していた」
状況を理解できていないわけでもないのに妙に落ち着いた様子のゲルムは、何だか奇妙に映る。それは彼の胆力に感銘を受けたからかもしれないし、ずっとイナリやアースに対して興奮していた姿しか見ていなかったかもしれない。
「私がしたいのは、答え合わせだ」
「答え合わせ?」
「ああ。死ぬ前に、私の考えが正しかったのかどうかを確かめたいんだ」
ゲルムの言葉に、アースはイナリの方を見て判断を仰いでくる。
ここでイナリが首を横に振れば、彼は一瞬で亜空間へ旅立つことだろう。しかし、イナリとして、彼に思うところは……無いことは無いが、最期のささやかな申し出すら突っ撥ねる程ではない。
「ま、それくらいなら良いのではないか?」
イナリは近くにあった椅子を二脚手繰り寄せて座り、アースにも着席を促した。
「ふん、手短に話しなさい」
「君たちの寛大な心に感謝する」
腕と足を組んで口をへの字に曲げるアースだが、先ほどまで纏っていた殺気と威圧感は霧散していた。イナリも少し体が強張ってしまっていたので、密かに安堵した。
「では単刀直入に。君たちは、神だね?」
「ほう」
ゲルムの言葉にイナリは感嘆した。彼はウィルディアに続き、イナリの正体を自力で看破した存在であるらしい。
「最初に君を街で見かけた時は、アルト神以外の神に仕える神官かと思ったものだ。それを調べたくて研究所に誘致しようとして、私が兵士に連行されてしまったのは今となってはいい思い出だ」
「何でちょっと誇らしそうなのじゃ」
「大丈夫?やっぱり今すぐ葬る?」
「そこまではせんでよいけども……」
徹底的に殺意が高いアースを手で制しつつ、イナリはゲルムに白い目を向けた。
「しかし、この研究所で再会して、君たちの体に魔力が一切流れていないことに気が付いた。この世界において、魔力、あるいはマナを持たない存在は存在しない。生き物は勿論、植物やここを構成する物質に至るまで、例外は存在しえない。……はずだったのだが」
イナリは、ゲルムの言葉について、リズだかウィルディアだかの講義で聞かされた覚えがあった。確か、この世のすべてはマナで説明ができるみたいな話を永久に聞かされていたと思う。そこ以外は全部聞き流したから何も覚えていないが。
「君たちの体に流れている力はマナとは違う何かで、常に放出され続けている。しかも、マナを取り込んでいる様子も見られない。その詳しい仕組みを知ることが出来ないのが悔しいところだが……とにかく、何か別の理の下で生きていることを確信した」
体に流れる力が云々という話はリズもウィルディアも口にしていた。しかし、神の力と魔力の違いとやらが明確に分かっている辺り、彼はイナリの知る魔術師達よりさらに秀でているのかもしれない。
「それを裏付けるのが、黒い君の御業の数々だ。あれをこの身で受けた時、まるで殴られたかのような衝撃を受けた」
「そうね。実際、結構雑に部屋の隅に飛ばしたのだから当然よね」
「神の力を借りて行使する聖魔法も、少なからず術者のマナを消費するというのが我々の理解だ。しかし君は、神の力のみであの御業を成し遂げた。それが実現できるとしたらそれは、神の力を借りる必要が無い存在、つまり、神そのものとなるわけだ」
「なるほどね。少し論理が飛躍した感は否めないけれど、人間にしてはいい洞察力を持っているんじゃないかしら」
「はは、これは手厳しい。しかし、この考えは正しかったのか。世界の真理を垣間見たこの喜びを友人たちに自慢できないのが、本当に悔やまれる……」
ゲルムは齢に反して少年のような笑みで告げた。イナリにはよくわからないが、彼にとってはとても喜ばしい事であるらしい。
「君たちの体の仕組みを解明して、魔力を持たない勇者に魔術を使わせられないかと検討していたのだが、まだまだといったところか。ところで、うまく言語化できないのだが、君たちはどこか、勇者と同じ雰囲気を感じるのだが、これは――」
「はい、答え合わせの時間は終わりよ。有意義な時間だったわね、さよなら!」
「な、何を。待ちなさい!まだ話したいことは――」
アースが亜空間を掴んでゲルムに投げつけると、彼とその後方にあった壁の一部が亜空間に飲み込まれ、後には静寂が訪れた。
「それ、投げられるのじゃな……」
「ふふ、初見相手には効果的でしょ?全くヒヤッとしたわ。知りすぎるのも罪なものね」
「何と言うか、少し悪いことをしたような気分じゃ。あやつらの行いの方が何十倍も悪いのも事実じゃが」
「魔法文明の生き物に世界がいくつもあることを知られると、無駄に積極的に世界を渡ろうとして危険なの。仕方ない事と思ってちょうだい」
「なるほどのう。ちなみにあやつらはどうなるのじゃ?もう死んでしまったのかや」
「まさか。永遠にあの黒い場所を彷徨ってもらうわ。私は優しいから、気が向いたら一人分の食事を投下してやるくらいはするわよ」
「そ、そうか……」
そんな粗雑な扱いでは、実質的に死も同義ではなかろうか。イナリはそっと言葉を飲み込んだ。
「ああそうだ、この後の段取りを説明しておくわね」
「アルトとの話し合いの話じゃな?」
「そうよ。結論から言うと、この後、アルトが世界全体に神託を下して、神罰でこの街を吹き飛ばすわ」
「吹き飛ばす!?そんなことをしたらここの人間は皆、死んでしまうのじゃ」
「ふふ、イナリならそう言うと思って、ちゃんと配慮はしてあるわよ。神罰を落とすまで、五日間の猶予を設けることになっているわ」
「五日とな。ふむ、それなら、まあ……」
メルモートでは近所に魔王が出現してなお満足に避難できる人間が限られていたのに、果たして五日程度で皆が避難することなどできるだろうか?本当に死が間近に迫っているとなれば、皆必死で逃げるのだろうか。
イナリはそう疑問に思うと同時に、今から何か言ったところできっと手遅れなことも理解していた。五日という猶予が設けられただけ儲けものと考えておく他無いだろう。
「……じゃが、それだとここの研究者の一部が逃げてしまうではなかろうか」
「私も同感なのだけれど、アルトの感覚だと、関係者に対する牽制としては神罰だけでも十分という見立てみたいね。……で、私達はアルトの神託が下る前に、歪みの核とそれを使った道具を全て回収したら撤収って感じよ。ああそれと、アレもどうにかしないといけないわね」
アースは先ほど塞いだシェルターの出入り口を再び空け、居住区の廊下の突き当りにいる人影を指さした。そこにいたのは、エリスを模倣する何かである。それは、何も言わず、まっすぐにイナリを見つめてくる。
「のう、結局あれは何なのじゃ?他の化け物と比べて異質じゃし、エリスを真似る回数があまりにも多くてムカつくのじゃ」
「そうねえ……何となく推測はあるのだけれど、本体を見ないと何とも言えないわね」
「本体とな?」
「ええ。だからイナリ、一回アレに捕まってくれる?」
何てこと無いように告げるアースの言葉に、イナリは全力で首を横に振った。




