282 お掃除 ※別視点あり
<アース視点>
「――アルト、本当にそれでいいのね?」
「はい。私も、いつまでも地球神様の御慈悲に甘んじるわけにはいきませんから」
「そう。貴方の世界の話だし、貴方がいいというのならそれで構わないわ。じゃ、こっちは早速取り掛かるわね」
アルトとの話し合いを終えた私は席を立ち、空間を繋げてイナリのもとへ戻る。
「イナリ、戻ったわよ。この後の流れを伝えたいのだけれど――」
「二人とも、洗いざらい話してもらおうか」
「い、イナリさん、どうしたら……」
「あわわ……」
「私の推理、外れてたんだ……」
天界からうってかわって陰鬱な雰囲気の研究所に戻ると、神の因子を取り込んだ化け物の死体と、それをよそにイナリとイナリ信者に詰め寄る人間、さらにその隅で俯いているイオリの姿が目に飛び込んでくる。
「……何か、一番面白そうな場面を見逃した気がするわ」
「あっ、アースよ、助けてくれたもれ!」
事態を概ね察した私が呟くと、こちらの存在に気が付いたイナリが涙目でこちらに助けを求めて手を伸ばしてくる。
もうしばらく眺めていたい気分もあるが、ここは助けてあげることにしよう。
<イナリ視点>
「――というわけで、イナリ達は私の指示に従ってくれていたの。さ、これで貴方達の疑問は解消したわね?」
アースはイナリ失踪事件について一通り説明し終えると、やや高圧的な態度で問いかける。
ただ、一から十まで伝えたわけではない。イナリが独断で洞窟に乗り込んだところから既にアースの指示であったことになっているし、イナリやアースと勇者との関係には一切言及していない。
それを踏まえてアースの解説を纏めると、「イナリの死を偽装していた」、「イオリをイナリということにしたのは面白そうだったから」、「今は訳あってここにいるが、これも全てアースの指示である。ただし、イオリがいたのは偶然である」の三点である。なお、いずれも動機は告げていない。
勇者に関する説明をまるごと省いた以上致し方ない事ではあるのだが、聞けば聞くほど、神という立場が無ければ到底押し通せない、あまりにも酷い説明である。
「というかさ、当然のように現れたから黙ってたけど、この人誰?リズ、知らないんだけど……」
「この人はアースさん。イナリちゃんの姉だよ」
「イナリちゃんのお姉さん!?あ、でも確かに、何か似てる感じはするかも。……えっと、どうも、リズです」
エリックの言葉にリズは居住まいを正し、アースに向けて会釈した。
「ええ、よろしく。リズ、貴方は礼儀正しい子で気に入ったわ。貴方の仲間の三人ときたら、未だにこの私に対して、まともな名乗りすらしないのよ?」
アースの言葉に、イナリは肌に着いた血を拭き落としてくれているエリスに目をやった。
「……言われてみれば。私達、アースさんに自己紹介していなかった気がします」
「そうよね。だからあなたはいつまでも『イナリ信者』で、そこの男二人も『人間』でしかないの。イナリ信者なんて、初対面で私をイナリと間違えて抱きついてくるくらいだし、お似合いでしょう?」
アースの言葉に男性陣二人組は気まずそうな表情をつくり、エリスは顔を赤くしながらイナリの体を拭き続けた。
「……さて、貴方達がここにいる理由なんて聞くまでもないし、さっさと用事を済ませるとしましょう。イオリ、ここの研究者はどこに逃げた?」
「ん、シェルターだ。案内するか?」
アースがイオリに問いかけると、彼女は垂れ下がっていた耳をぴんと立てて返した。
「ええ、お願いするわ。イナリと、それに『虹色旅団』だったかしら、貴方達も付いてきなさい。あなたたちにも頼みたい仕事があるの」
「それは内容次第です。一応、僕達も依頼を受けている身なので」
「まあ、お堅い人間ですこと。でも、こんな事をしている場所に義理立てする必要なんてあるのかしら。私は人間の事はよく知らないけれど、よく考えるべきじゃない?」
アースはおどけた様子でそう告げながら歩き始める。しばし遅れて、皆もそれに続く。
一同が部屋の出入口に差し掛かると、エリスの姿形をした人影がぬっと顔を覗かせ、常套句を口にし始める。
「イナリさん、大丈夫で――」
「出たな偽者め!とっとと去ね!!」
既に本物が隣にいる状況において躊躇する要素など無い。イナリは全力で偽者のエリスを両断した。
「ふう、偽者は滅んだのじゃ。くふふ、仕掛けがわかれば何も怖くないのう!」
イナリが満足気な表情と共に振り返ると、アース以外の面々が目を丸くしていた。
「む?皆よ、どうしたのじゃ?」
「ええと、イナリさんを悩ませていたのはこれだったのですね。……その、複雑な気分です。あまりにも容赦なくて……」
エリスの言葉に皆が頷いていたが、もはや偽者に対して殺意以外何も抱いていないイナリには関係のない話であった。
シェルターへ向かう道中、様々な場所に化け物の亡骸を見かけた。
どうにも、イナリは知らない間に、研究所内の化け物をほぼ全て殲滅してしまったらしい。きっと偉業を成し遂げたはずなのだが、無意識のままにそれを行ったせいで達成感がまるで無いのが本当に悔やまれる。
ただし、イナリの知人を模倣する化け物だけは、未だにしばしばイナリの前に現れては瞬殺されていく。何故イナリだけこんな目に遭わねばならないのか不思議で仕方が無いが、ともかく、何かしらの奇妙な性質を備えているとみるべきなのかもしれない。
閑話休題。シェルターなる場所は居住区にあり、イナリが未だかつて見たことが無い程に厳重な扉が取り付けられた部屋であった。
……それも、アースが扉に穴を空けるまでの話だったが。
「な、何だお前は!?」
アースが優雅な足取りでシェルター内部に乗り込むと、きっとここの研究者やサニーと同じような境遇であろう、内部にいた人間らが悲鳴を上げる。この部屋の用途を鑑みれば、アースが化け物と思われているのだと思われる。
「あっ、つよいお狐さんだ!」
しかしアースを知っているサニーだけは、笑顔でそれを迎える。
「おおぉ、再び尊い存在に相まみえることが出来ようとは……」
前言撤回、変態翁も笑顔で迎えている。何も嬉しくない。
「落ち着きなさい。扉については申し訳ないけれど、開けるより空ける方が早いのよ、ふふっ。……さて、ここの外はもうほぼ安全だから、先に子供達を外に連れて行ってちょうだい。戻ってくる必要は無いわ」
アースが変態の歓迎の言葉を無視して「虹色旅団」に向けて指示を出すと、強面のディルは静かに子供達から離れ、人当たりの良い他三人が励ましながら子供達を集めていく。
しかし、その集団から一人の幼女が抜け出し、イナリ達の前にとてとてと歩み寄って話しかけてくる。
「お狐さんたちはどうするの?」
「私とイナリはもう少しやることがあるの。……そうね、イオリと一緒に外で待っていてちょうだい?」
アースがサニーの頬に触れながらイオリに目配せすると、彼女は頷いてサニーの手を握り、子供達の集団に混ざっていく。
その様子を眺めながら、イナリはそっとアースに囁きかける。
「……のう、イオリって指名手配されておるはずじゃが、大丈夫なのかや?」
「勿論、大丈夫だからそうしたのよ。全て丸く収まる筋書きを用意してあるわ」
「そうか、なら良いのじゃが」
勇者更生計画に代表される、色々と荒い筋書きに定評のあるアースの言葉をどこまで信じたものだろう?
イナリはそんなことを考えながら、子供達がこの場を去る様子を見届けた。
およそ五分程待てば、「虹色旅団」に連れられて子供たちは姿を消した。
「さて、今度は貴方達の番よ。ここに入ってちょうだい」
アースはどこかへ繋がる亜空間を開き、手でそこに入るよう促した。
さりげなくイナリがその中を覗き込むと、その先には地面も空も何もない、ただ黒だけが続く世界であった。
「な、何だそれは?」
当然、そんな得体の知れないものに触れる程研究者も愚かではない。明らかに危険な雰囲気であると察した研究者は立ち上がり、子供達が去っていった方角に向けて走り出す。
「あら、聞こえなかったのかしら?」
アースは先ほど穴を空けた扉を何らかの力を使って塞ぎ、再び口を開く。
「入れと言ったんだ、人間。何度も言わせるなよ」
「っ!な、何なんだお前はっ!『インフィニットインフェルノ』!」
アースによる威圧に錯乱した研究者の一人が異様な挙動の火炎を放ってくる。しかしアースは、それを正面から受け止める。
「そうか。それがお前の答えか」
「あつっ、ちょ、あっづいのじゃ!我の尻尾、燃えておるのじゃ!」
じたばたと暴れて消火に励む狐もいる中、アースは一言呟くと魔術を放った研究者に手をかざし、囲むように輪を生成して強引に締め上げ、乱暴に抱え上げて亜空間へと放り込んだ。
研究者は一瞬だけ悲鳴を上げるも、二度と声が聞こえることは無かった。
「お前らはどうする。大人しくここへ行くならそれでよし。今のを見てなお反抗するなら、それもよし。どうせ結末は同じだ、好きな方を選べ」
アースがそう告げると、何人かの研究者がアースに向けて魔術を放つ。しかしそれは全て、隣にいたイナリが無駄にダメージを受けるだけに終わった。
いよいよ反抗が無に帰すと悟った研究者達は、諦観、あるいは恐慌した面持ちと共に、一人、また一人と亜空間へ入っていった。
それともう一人、ジスとか名乗った人間はイナリに助けを求めてきたが、その前に煽りを受けた魔術のダメージでそれどころではなく、ようやく落ち着いて話を聞いてやろうと思った頃には、既に姿が消えていた。
……まあ、イナリと何の接点も無い男との交渉が成功する余地など無いだろうし、無駄に希望を見せるようなことが無かった分、寧ろ良心的と言えるだろう。多分。
「さあ、ゲルムとか言ったか、最後はお前だ」
「ああ、わかっているよ」
最後まで残っていた研究者ゲルムは、アースの言葉に素直に頷いた。




