279 我がやりました ※別視点
<エリス視点>
私達の間に流れる空気が微妙なものになりましたが、引き続きゲルムさんに状況を聞いていきます。
「被害状況を聞いても?」
「ああ。子供達、計十四名は皆無事だが、今日ここにいた学者たちは半分程度、行方が分かっていない。うち三名は怪物に捕まってしまったのを見ている。他のメンバーも生存しているとは考えづらいだろうね」
彼は特に感情の籠っていない喋り方でそう告げると、隣に座る三十二と呼ばれた少女に目を向けます。
「私達の手は既に汚れてしまっているし、命を落としたところで思うことも無い。だがここにいる子供達は皆、実験を乗り越えた、未来に可能性をもたらす存在だ。この子たちだけでも、無事の外に送り出して欲しい」
ゲルムさんの言葉は、子供に対する慈愛など微塵も感じられない、エゴに満ちたものでした。あまりにも酷すぎて、もはやかける言葉も見当たりません。
「そういえば、ここから外には行けないの?シェルターって安全に外に出られないとダメでしょ」
「出られない。ここは、脱出するための場所ではないのだよ」
「えーっと……?」
「つまり、有事の際は少しでも成果の保全に努め、あるいはこの研究所の秘密を抱えて密かに死んでいくことが期待されている、ということだ」
「……ごめんなさい。全然理解できないし、しようとも思わない」
リズさんはゲルムさんから目を背けて言い放ちました。彼女は今、著名な魔術師の裏の顔を目の当たりにしているわけですし、魔術に対する考え方に悪影響を及ぼさないと良いのですが。
「俺たちはまだ遭遇してないんだが、その化け物について聞きたい。それは俺たちの手に負えるものなのか?」
「否。怪物は魔王の一部を体に含んでいるため、普通の装備や魔法、魔術で攻撃したところで、すぐに肉体を修復してしまう」
「でも聞き間違いじゃなければ、貴方達の業務に『処分』があると言っていましたね?何か対抗策はあるのでは?」
エリックさんが先ほどの不毛な口論から汲み取った情報を元に尋ねます。
「ある。……いや、あった、というべきだね。そこにあるボウガンがそれなのだが――」
ゲルムさんは近くの箱の側面に立てかけられている武器を示します。確かにそれは、素材が特殊そうな点を除けば、一般的なボウガンのように見えます。
「……これ、弾倉を使って自動装填ができるタイプのやつだよね。魔道具展で一回だけ見たことがあるよ」
「ご明察だ。それは怪物を倒す際に有用な専用のボルトを撃ち出せるのだが……それが何者かに抜かれていたせいで、一発しか打てなかった。それは私達がここに来る道中で使ってしまったから、補充用のボルトを見つけない事にはどうにもならないだろうね」
「言っておくが、私は何もしていないからな!」
後方で延々と口論をしていたイオリさんが割って入ります。口論しながらこちらの会話も聞くとは、随分器用な事をしますね……。
「……というか、イナリモドキの共犯者はどうなってんだ?聞いた話だと、他に二人いるはずだよな」
「私は口を割るつもりは無い。……そもそも、今どこにいるのかが分からないし」
「何だそりゃ。逸れたのか?」
「……」
ディルさんの問いに対し、イオリさんは沈黙でもって返しました。
……今更なのですが、いくらイオリさんの名前を知らないとはいえ、「イナリモドキ」という呼称は如何なものなのでしょうか。
あるいは、私からイオリさんの事を教えればいいのかもしれませんが、そうすると芋づる式にイナリさんに関する諸々に矛盾が生じてしまいます。何とももどかしい状況です……。
「ひとまず、ここの安全を確保するためには、そのボルトの予備を見つける必要があるという考えでいいのかな」
「その認識で構わない。それと、理論上は聖魔法も効かないことは無いが、あてにはしない方がいいだろうな」
「わかりました。ゲルムさんに同行して頂くことは可能ですか?」
エリックさんが問いかけると、ゲルムさんはおもむろに首を振って返します。
「私を含め、ここに来るまででかなり疲弊している。歳も歳だし、足手まといになると分かって着いていくことはできない」
「なら私がついていく。多少ここの構造は分かっているし、化け物の動きもわかる。その、ボルトとか言うのは分からないが、少なくとも、ここの牙無しのクズどもの数倍は役に立つ」
「こわいお狐さんが行くなら、わたしも行きたい!」
「三十二、それはやめなさい!」
ここまで落ち着いた口調で話していたゲルムさんが初めて大きな声をあげます。しかし、三十二と呼ばれる少女も黙っているわけではありません。
「だって、外にまだお狐さんがいるんだよ!わたし、お狐さんが居ないとイヤ!」
三十二さんは目に涙を浮かべ始め、頑として態度が揺るがなさそうな雰囲気を漂わせています。しかし、それを見たイオリさんはおもむろに三十二さんの近くに歩み寄り、ここまでとは打って変わって穏やかな口調で語り掛けます。
「サニー、ここは今、この場所でただ一つの安全な場所なんだ。つまり、私達が外にいる間、ここを守る人も要る。今私にとって一番信じられるのはサニーだから、ここを守ってほしい。出来るか?」
「……わかった」
「よし、いい子だ。……おい、私はいつでも行ける。もう行くのか?」
イオリさんは三十二さんの肩を二度叩くと、私達に向き直って刺々しい口調で話しかけてきました。
こうしてイオリさんを加えて研究所の探索を再開し、特に何も起こらないまま、居住区と研究区の間、つまりこの施設の入り口にやってきました。
「……何も無さ過ぎるな」
「本当だよ。リズの緊張を返してよ!」
エリックさんとリズさんが言葉を零しますが、事実、ここまで魔力灯が破壊されていたり、壁に何かが通過したような跡が増えていたりしたにもかかわらず、肝心の怪物の姿はどこにもありません。
「あの、イオ……イナリモドキさん」
「お前までそう呼ぶのか……。いや、いいよ。何だ?」
呼び方が定まらない以上、今のイオリさんはイナリモドキさんです。便宜上、仕方がない事なのです。イオリさんもそれを理解してくれているのか、一瞬眉を顰めつつも会話に応じてくれます。
「怪物って何体ぐらいいるのか、わかりますか?」
「わからないが、最初に襲われた時は三体同時だったから、最低三体、最大……十五体か?」
「じゅ、十五体!?」
「サニーから聞いた話を擦り合わせると、実験に使われた子供の内半分はもう居ないらしいからな。三十二の半分と言ったら……大体それくらいだろう?」
サニーというのは三十二さんで間違いないでしょうから、居なくなった子供が全体の半分程度で、かつ全員が怪物と化していたら、十五体くらいになるという話なのでしょう。
「嫌な話ですね、本当に」
「ああ。……だが、お前にそんなことを言う権利があるのか?」
「……確かにそうかもしれませんね」
この研究所がアルト教の管轄であるとすれば、アルト教の神官である私も同罪と言えるのかもしれません。
そう考えていると、イオリさんが私の耳に囁きかけてきます。
「忘れるな。私は、お前がしたことを知っているんだ」
「……は、はい?」
少し疑問符が浮かぶやりとりもありましたが、今は重要ではなさそうだと判断して流すことにしました。
「……おい、通路の前方が塞がっているぞ。あれが例の化け物じゃねえのか?」
「確かに、あれは私を追いかけてきた個体に見える。この距離で何もしてこないってことは、多分もう死んでいるな」
イオリさんの言葉を信じて近づいていけば、そこには到底元が子供だったとは思えない、肉の塊と評する他無い何かの姿があります。
「何か大型の刃物で斬りつけたような跡が二つ、小型の刃物とハンマーか何かで、尋常でない回数刺したり殴ったりした跡がある。……とてもじゃないが、人間ができることとは思えないな」
ディルさんが怪物の死骸を調べ、端的な評価を述べます。確かに、示された場所を見れば、同じ場所を何度も何度も刺したような痕跡が見受けられます。
「よく見ると、そこにある部屋の扉に向かって密着したような跡がついている。部屋の内側から一方的に攻撃したのかもしれないね」
「にしたって、相当な殺意が無いとここまでやらないだろうな。例えば……仇討ちとかか?」
「そもそも普通の武器は効かないんだったよね。しかも、最低三種類武器が無いといけないわけだし……これ、誰がやったんだろう……?」
「もしかしたら、敵味方なんかは一切区別しない、厄介な個体が居るのかもしれないね」
「私が見た限り、化け物は全部それなりの個性がある。お前たちの推測も、間違いとは言い切れない」
イオリさんの言葉に、一層警戒心が高まっていきます。
そんな状態でさらに進むと、壁に大きく穴が空いた場所が現れます。その奥は広い空間で、魔力灯の殆どが正常に動作しているため、視界も良好です。
「ここは広間、クズども曰く実験場らしい。私とサニーはここで化け物と遭遇した」
「確かに広いから、魔法を撃つにも魔道具を動かすにもうってつけだろうね。……怪物の死骸が無かったら、もっと良かったんだけどさ」
リズさんが視線を横に逸らしながら呟きます。
その言葉の通り、この部屋には複数体の怪物の死骸があります。巨大な蜘蛛のようなもの、蛇のようなもの、形容すら困難な形態の物……どこからどこまでが一個体なのかの区別すら困難ですが、恐らく三体はいるはずです。
こちらについても先ほどと同様に調査しようとすると、エリックさんがそれを手で制し、声を潜めつつ口を開きます。
「……中央で何かが動いている。まだこっちには気が付いていないだろうけれど……どうする?」
「……多分、私の仲間だ」
「多分って何だよ?」
「……説明はできない。でも、近づいても問題はないはず」
何やら不穏な様子はありますが、イオリさんの言葉に従い、一定の警戒態勢を維持しつつ、怪物の方に向けて歩み寄ります。
そうすると少しずつ、怪物の中で動くシルエットの正体が見えてきます。
一心不乱に両腕を振り上げ、一定間隔で何度も何度も怪物を刺し、殴っているそれは、返り血で染まっていようと、見紛うことなどありません。
「……イナリ、さん?」
今は留守番しているはずのイナリさんが、何故かこの研究所で、濁った瞳をして何かぶつぶつと呟きながら、既に動かなくなった怪物に攻撃を加え続けていました。




