276 教会の地下(3)
アースを除いた三人は、勇者に関する物品を求めて研究所を歩き回る。
施設内に設けられている結界などの防衛機構は、アースが作った金槌かイオリの足で攻撃すれば壊れるし、たまに研究者と遭遇することがあっても、全て相手が魔法を発動させるよりも先にイオリが迅速に倒していくので、何の障害にもならない。
「こやつら、陰湿な事してる割には大したこと無いのう。よゆーじゃ、よゆー」
「いや、ほぼ全部私がやってるんだが……」
故にイナリは、狐の威を借る狐となっていた。だが勿論、その現状に甘んじるイナリではない。
「――イオリよ、これはどうじゃ?」
「素材は近いけど……違うな」
「こわいお狐さん、首輪あったよ!おっきい!」
「……それは流石に、勇者様につけるには大きすぎると思う……」
ただの獣人であるイオリはともかく、同じ神であるアースが色々と活躍している中で、一人だけふんぞり返っているというのは頂けない。故に、イナリはサニーと共に、首輪らしき形状の物品を見つけたら手あたり次第にイオリに見せていた。
これで目的の物を見つけることが出来れば、晴れてイナリも手柄を上げられるというものだ。
そんなイナリの思惑など知る由もなく、イオリはサニーに声を掛ける。
「……その、サニーは、大丈夫なのか?」
「大丈夫って?わたしは元気だよ?」
「いや、そうじゃなくて……さっき、自分が何をされていたのか聞かされたよな。気にしていないのかと思って」
「……大丈夫だよ。くろいお狐さんが、わたしは死なないって言ってくれたから」
サニーは笑顔を崩さず返してくるが、それが奇妙に映ったイナリは、イオリに歩み寄って囁く。
「のう、人間というのは普通、この齢であのような発言が出てくるものなのかや」
「……さあ。私も普通じゃないから何とも。お前も似たようなものだろ?」
「まあ確かに。我、幽霊じゃしな」
「……その設定、まだ生きてるんだ」
「はて、何が言いたいのかさっぱりじゃ」
散々神の力が云々だのと話した手前、もはやこの設定に固執することに意味など無いような気もするが、イナリは適当に誤魔化して探索を再開した。
「……何じゃここ?」
もう二カ所ほど部屋を見てまわったところで、他とは様相が異なる部屋を発見した。
ものすごく狭く、三人入るだけでやっとという程だ。壁は金属でできており、壁には謎のボタンがいくつも並んでいる。
「とりあえず押してみるのじゃ」
「あっ、待っ――」
イオリの制止を聞くよりも先に、イナリは本能に身を任せて適当なボタンをぽちっと押し込んだ。
「……大丈夫、か?」
「何も無いのじゃ。サニーも押してみると良いのじゃ」
「うん!」
サニーは元気よく返事し、全てのボタンをポチポチと一回ずつ押していく。
「もう、どうなっても知らないぞ!?」
「こわいお狐さんも押してみよ!楽しいよ!」
「……」
イオリは静かに尻尾を揺らしながら、無言でボタンを押した。
なお、この後外に出たらすべての魔力灯が消灯されてしまっていたので、再び適当にボタンを押し直した。この部屋は、この施設を管理するための部屋であったようだ。
「――イオリよ、これ、例の首輪ではないかや!?」
「……銅っぽい色合い、魔術言語っぽい模様、勇者様の首より少し大きいくらいの大きさ、予備もある……これだ!」
イナリ達は紆余曲折を経て、遂にそれらしいものを発見した。
そろそろ研究所の薄暗く閉鎖的な空気感に辟易してきた頃合いだったので、二人の声色も自然と明るくなる。
「他には何かあるか?」
「うむ。なんか、防具らしきものが一式じゃな」
イナリが示した先には、首輪と同じような色合いの全身分の防具が飾られていた。しかし、防具というにはあまりにも防御性に欠けているような意匠で、いまいち用途が掴めない。
「……確かに、デザインからして関連がありそうだ。これ、どうやって持って行こうか」
「我らで持っていくより、アースを呼んだ方が早いと思うのじゃ。ここまで、距離はそう遠くないであろ?」
「それもそうか」
方針を固めたイナリ達は、その研究室を出てアースのところに引き返すことにした。
「この場所、どこも景色が同じで感覚が狂うのじゃ。ええと、我らはどちらから来たのじゃったか」
「わたしわかるよ!えっとね――」
「――うわあぁぁぁ!」
サニーが方角を示そうとした直後、遠くから何者かの悲鳴が反響し、サニーの肩が僅かに跳ね上がる。
「……な、何、今の?」
「アースが研究者達を処理してるんじゃないか?」
「それにしては随分な悲鳴であったが……アースならもっとこう、悲鳴を上げる間もなくやると思うのじゃ」
「……確かに、言いたいことは何となくわかるな」
イオリは頷きつつ、怯えるサニーの手を引いて廊下を進んだ。
アースが居た部屋に戻ると、結晶や木片は全て消え去り、何もない空間と化していた。そこには、アースの姿すら見受けられない。
「すごいね、全部なくなってる!」
「アースはどこに行ったんだ?」
イナリとしても現在の状況には些か不安がある。故に、指輪を使って交信を試みることにした。
「我、あやつと話す手段があるのじゃ。お主ら、どこか行っててくれぬか?」
「私達が居たらダメなのか?」
「うむ。我の力が暴走して、お主らを傷つけてしまうのじゃ」
「よわいお狐さん、本当はつよいの?」
「あー……うむ。そういうことじゃ」
ただ指輪に触れるだけなのだが、どうしても一人になっておきたいイナリは強引に理由をでっちあげることにした。サニーのキラキラとした瞳がイナリに罪悪感を持たせる。
「……まあ、そういうことなら。さっき倒した魔術師の様子を見たいから、広間で待ってるよ」
「うむ。気を付けるのじゃぞ」
イナリは手をひらひらと振って二人を見送った。そして、この部屋に人が一切居なくなったのを確かめた上で、指輪に手を触れてアースと交信する。
「イナリ、どうしたの?何か問題?」
「あいや、目的の物が見つかったのじゃが、お主はどこにいるのかと思うての」
「ああ、そういうこと。今、天界でそこの処遇についてアルトと話していたの」
「狐神様、お疲れ様です」
「ああ、うむ。お疲れじゃ。……あいや、ちと待つのじゃ」
イナリがアルトに返事を返した直後に、部屋の扉が乱暴に叩かれたので、念には念を入れて通信を一旦停止してから扉に向かう。
「イオリかや?全く、戸を叩くにしてももう少し丁寧に――」
イナリがため息とともに文句を零している間に轟音と共に扉が吹き飛び、その向こうから八つの目を持った赤黒い「何か」が顔を覗かせ、イナリの姿を捕捉する。
吹き飛んだ扉に目をやれば、それはくの字型に折れ曲がり、この何かが殴っていただろう場所は血で赤く染まっている。
「あー……これは、ちと拙いのう」
予想だにしなかった事態に一周まわって冷静になったイナリは、他人事のように呟いた。
その直後、「何か」から蜘蛛の足のようなものが伸び、イナリの頬を掠める。
「あ、あぶっ、危ないじゃろ!?」
イナリは慌てて飛び退きながら叫びつつ、ジワリと痛む頬に触れる。すると、手に赤い液体が付着する。
「全く、汚……あれ?これ、我の血……?」
自分の頬についている赤い液体が、相手の何かの一部でなく、自分のものであるという事実に、イナリの血の気が失せていく。これはつまり、目の前の「何か」は、イナリを殺すことが出来る存在だということだ。
「何か」はこの部屋に入ろうと必死に扉に向けて体を押し付けている。部屋の隅に居れば安全だが、それも時間の問題かもしれない。
そういえばアースが、人間の体に神の力を不正に付与すると化け物が生まれるとか言っていた。……もしかして、これがそれなのだろうか?
イナリは一旦深呼吸をして息を整え、もう一度アースと通信を再開する。
「アースよ、緊急事態じゃ。我、化け物に襲われておる。多分お主が言っていたやつじゃ」
「……すぐに向かうわ。もう少しでアルトとの話も纏まるから、ちょっとだけ耐えて頂戴」
「わ、わかったのじゃ。我はどうすればよいのじゃ?」
「神器は持っている?神器なら効くはずよ」
「わかったのじゃ!」
イナリは懐から短剣と金槌を取り出し、「何か」に向けて構えた。
「……風刃、効いたりしないかの?」
一旦神器を床に置き、そっと手を構えて風刃を放ってみる。すると、ゲショリとでも形容できそうな音と共に「何か」の体に亀裂が入り、明らかに動きが鈍くなる。
これを見たイナリは、もう二度ほど風刃を打ちこんでから神器を拾いあげ、念には念を入れてぶんぶんと振って「何か」に牽制しながら近寄り、一心不乱に短剣で切りつけ、金槌を振り下ろし続けた。
何度か「何か」の攻撃が体に掠りはしたが、最初ほどの機敏さは失われており、大した傷にはならない。故に、やがてそれは動きを止め、ただの肉塊と化す。
「や、やったのじゃ……?」
イナリはその事実を慎重に確認し、息を吐いた。
「アースよ、やったのじゃ。我は、勝ったのじゃ」
「流石イナリね。その調子で耐えて頂戴」
「うむ。といっても、いまのが最初で最後だと思うのじゃ。こんなのが何体も居るようなら、我、ひっくり返ってしまうのじゃ」
「ふふ、それもそうね。……アルト、人間の罪状が追加されたわ」
イナリは怒りを含んだような声色のアースの言葉を聞き流しつつ、部屋の壁にもたれかかって座り込んだ。
「あやつら、大丈夫じゃろうか……」
イナリの脳裏に浮かぶのは、つい先ほどまで一緒に動いていた二人の少女の姿だ。こんなことになるなら、別行動させるのは失敗だったかもしれない。
「……というかこれ、我以外に抵抗できる者は居らぬのでは……?」
神の力に対して一番強いのは神の力だ。その理論に則れば、今この場で化け物に対抗できるのはイナリだけだ。
流石にこんなのが何体も居るなぞ考えたくも無いが、万が一のことを考えると、イナリも出張った方がいいのかもしれない。今ならアースと話すこともできるし、その事実が恐怖心を幾らか和らいでくれる。
「……まあ、確認するだけじゃし……」
イナリは手足を僅かに震わせつつ、扉を塞ぐ「何か」を神器で切り裂いてかき分け、部屋を脱出し、廊下を歩く。床は、血か「何か」が動いた跡かも判別できないような液体で満たされていて実に気味が悪い。
だが、イオリ達がいるはずの広間はそう遠くない。少なくとも、通路で化け物と鉢合わせることは無いだろう。
そう自己暗示しつつ広間の扉を見れば、こちらも扉が破壊されており、どころか、壁すらも破壊されていた。この時点でこれ以上ないほどの嫌な予感しかないが、イナリは勇気を出して、そっと広間を覗き込む。
そこにいたのは、イオリでもサニーでも、魔術師でもなかった。代わりにいたのは、形容し難い化け物三体である。
それは、何故かイナリを一瞬で補足し、目らしき部位を一斉に向けてくる。
「あっ……ええと、こんにちは、なのじゃ……」
イナリが挨拶すると、化け物たちは大きさに対して明らかにおかしい程に機敏な動きでイナリに向けて突撃してきた。
「ああもう最悪じゃ!誰か、助けてぇぇ!」
一対一ならまだいけると思っていたが、三対一など聞いていない。イナリは涙目になりながら尻尾を巻いて踵を返した。
今日で「豊穣神イナリの受難」は一周年を迎えることが出来ました。この場を借りて、読者の皆様にお礼申し上げます!
まだまだイナリの受難は続きますので、今後とも当作品をよろしくお願いいたします!




