274 教会の地下(1)
イナリの精神は既にボコボコだが、当然引き返すわけにはいかない。もはや意味を為さなくなった不可視術を解いて、地下へつながる階段に足を踏み入れた。
階段はイナリの片腕を広げたくらいの幅の螺旋状のものであった。表面が磨かれた石で造られていたり、一定間隔で魔力灯が配置されていたりと、かなり整備されていることがわかる。
「サニー。地下に出入りできる場所はここだけなのか?」
「うん。わたしはここしか知らないよ」
「そうか。うーん……」
「何か問題があるのかや?」
「ああ。極力隠密行動をしてきたとは言え、これがバレるのも時間の問題だ。仮に勇者様に関する手掛かりが見つかったとして、もし出入り口を封鎖されたら……脱出はかなり骨が折れる」
「もし決定的な証拠が見つかった時は私が干渉できるようになるから、その心配は不要よ。もし何も見つからなかったら……勇者を助けようとした心意気に免じて、転移くらいなら考えてあげるわ」
「……この際、貴方が何者なのかは聞かないでおくよ」
「ふふ、勘が鋭いようで何よりよ」
獣人は力社会という話をいつだか聞いた記憶があるが、この会話からするに、イオリはアースを上位者として認識している様子だ。勇者の間にある関係を探ろうとしないのも、きっとそれが理由なのだろう。
「のう、我、この景色に飽きてきたのじゃ。何時になったら地下に着くのじゃ?」
「もう着くよ。……ほらここ!」
サニーが一行の先頭をとてとてと走り、その先にある重厚感のある扉を示して振り返る。
「わたしじゃ開けられないから、お狐さんたち、開けてくれる?」
「我は……無理じゃな。ほら、幽霊じゃから」
イナリはふいと目を逸らしつつ告げた。決して、力の無さ故に扉が開けられないなどと言う醜態を晒したくないからではない。
「なら、私が開けよう」
イオリが先頭へ移動して扉に手をかけ、ゆっくりと押し開ける。
その先には、左右に向けて、離れの廊下にさらに閉塞感を加えたような、全体的に冷たい印象の廊下が広がっていた。イナリはメルモートの要塞の記憶が思い返され、幾らか不安になる。
そこに、サニーがイナリの袖をつまんで話しかけてくる。
「ね、わたしって何を案内すればいいの?」
「あー……どうするのじゃ?」
「え、もうそっちで話し合ってるものだと思ってたんだけど……違うのか?」
イオリが尋ねると、一同の間に沈黙が流れる。
「……ここに『居住区』『研究区』って書いてあるわよ」
「多分研究区が目的地じゃ。早速行くのじゃ」
「わたし、そっちには全然行ったことないよ?すこししかわからない……」
「わかる範囲で構わぬよ」
一行は静かな廊下を連れ立って進み、適当な研究室を見繕って入室した。なお、部屋の扉は鍵と結界による二重防護がなされていたが、アースがそれごと穴を空けたので何の問題も無かった。
そんなわけで、イナリ達は適当に部屋を物色する。
この部屋も地上階と同じような風貌ではあるが、全体的に管理が徹底されている印象を受ける。一番多く見受けられるのは文書の類だが、依然として文字が読めないイナリは、適当に部屋を見てまわることしかできない。
「何じゃコレ?」
イナリの目に留まったのは、いくつか突起が付いた横長の金属だ。片側の先端部には魔石らしきものがついているが、一体何のための魔道具なのだろうか。持ち上げて眺めたい気もするが、重くて落としそうだと判断してやめておくことにした。
イナリがペタペタと魔道具を触っていると、ガコンという音と共に突起の一部が外れて落下する。
「む?何か、部品が外れたのじゃ。何もしてないのに壊れたのじゃ!」
「いや、部品が外れた時点で、何もしてないは嘘だろう……」
「よわいお狐さん、ウソはダメだよ」
「……本当に何もしてないのじゃ……」
仲間達からボコボコに言われ、イナリは肩を落とした。だが、ちょっと触ったくらいで壊れる魔道具の方が悪いのではなかろうか?
そう言っても賛同は得られなさそうだし、アースも文書を読み漁っていて擁護してくれそうにないので、イナリは話題を切り替えることにした。
「ところでここ、どれくらいの人が居るのじゃ?ここに来るまで、ぜんっぜん人とすれ違わなかったのじゃ」
「んー……三十人くらい?」
イナリの呟きにサニーが首を傾げつつ答える。
「そんなに居るのに、誰とも会わんのじゃな。いや、我らからすれば、そっちの方が都合が良いけれども……」
それなりに人がいるだろうと思っていただけに、あまりにも人が居ないと、逆に何かあるのではないかと勘繰ってしまう。
「もしかして、研究者は少ないんじゃないか?だってほら……サニーは三十二、だろう?」
「確かに、それはありそうじゃな」
実際、地下はそう広くは無いし、そもそも人がたくさん行き交うことを想定した造りではないように見えた。それに、サニーと同じような境遇の物が他に三十人程度いるとすれば、必然的に研究者の人数が少ないことも想像できる。
「サニーよ、お主と同じような者は他に居るかや?」
「うん。今は……私も含めて十四人」
「……そうか」
俯いて答えるサニーの姿に、「他は?」と聞くのは憚られた。やや気まずい沈黙にイナリがそわそわしていると、アースが声を上げる。
「……イナリ、ちょっといいかしら」
「む、何じゃ?」
アースが手招きしてきたので、イナリは近くに歩み寄って耳を傾けた。
「敢えて詳しくは言わないけれど、やっぱりここ、やってるわ」
「ほう」
「だから、証拠を集めて潰すことも確定ね。それで、まずはこれ。後でまとめたいから、持っておいて頂戴」
アースが文書の束を渡してきたので、イナリは言われるがまま、それを懐にしまった。それほど多くは無いが、微妙に厚みがあるせいでごわごわする。
ところで、懐にしまった文書には何が書いてあったのだろうか?敢えて言わない辺り、何か碌でもない事なのは確かであろうが。
「さて、私はもうこの部屋は十分。そっちは?」
「こっちも大丈夫。勇者様を操る首輪は無かった……」
「こわいお狐さん、首輪を探してるの?」
「ああ。一緒に探してくれないか?」
「いいよ!わたしが手伝ってあげる!」
イオリの言葉に、サニーは笑顔で返した。
「……のう。この部品、どうしたらよいかの?」
「その辺に捨てておきなさい」
イナリはアースの言葉に従い、手に持っていた部品をその辺の棚に無造作に置き捨てて、その研究室を後にした。
次に訪れた部屋は、照明以外何もない、ただただ広い部屋であった。部屋の扉にも一切細工が無いので、研究室では無いことは確かだ。
だが、それ以上に重要なのは、部屋の中央辺りに七人ほどの人間が居たことだ。
彼らは部外者の存在に気がつくと、杖を取り出して構える。
「……三十二番。その獣人達は誰だ?」
「あ、あの、えっと……」
「まあいい。先にそいつらを始末して――」
「いや待て。あの子は……ああ、間違いない!あの時の!」
サニーを咎める研究者を差し置いて、魔術師らしき風貌の翁がイナリを指さして声を上げる。
「え、誰じゃ……?」
「あの時連行された魔術師だ。あれ以来私は、君のことが忘れられなくなって、四六時中君の事ばかり考えて――ごふっ!?」
翁が言葉を連ねながら一歩、また一歩とイナリに迫っていると、突如その頭上に亜空間が出現し、そこから腕が現れて翁を殴りつける。
「ごめんイナリ。何か、気持ち悪いから殴っちゃったわ」
アースは右腕を亜空間に伸ばしながら、露骨に顔を顰めていた。
「うむ、それは一向に構わんのじゃが……」
後でリズから聞いたのだが、この魔術師はその界隈では名が知られていて、革新的な理論をいくつも打ち出してきた者らしい。
神的にあまり歓迎したい事態ではないし、相手の言い方に多分に問題が含まれているのは確かだが、かといって、不意打ちで殴り倒すのは同情心が湧かないことも無い。
イナリが翁を憐れんでいると、彼はよろよろと姿勢を立て直しながら言葉を続ける。
「……はあ、はあ……今のは、黒髪の君の力かね。もっとよく見せてくれないか?君たちのことを、もっと私に教えてくれ。もっと、もっとだ……」
「ひえっ、やっぱりこやつ、ろくでなしの変態じゃ!アースよ、ボコボコにするのじゃ!」
イナリの一声で、戦いの火蓋が切られた。




