272 二分の一
「ふむ、正面突破か。具体的には?」
「まずはあの二人を殴り倒す。そしたら入って、急いで目的の物を見つけて、撤収する。以上だ」
「……あまりにも詰めが甘いと思うのじゃ」
「気持ちは分かる。私がもう少し屈強な獣人だったら、壁を殴り壊してもよかったかもしれないな」
「それも本質的に何も違わないのではないかの?」
どちらにせよ力業が過ぎるイオリのプランに、イナリは首を傾げた。
「あまり文句を言われても困るし、他にいい案があるなら教えてくれ」
「案という程ではないが、我、戦闘はからきし故、正面突破は最終手段としたいのじゃ。ちょいと先行して内側の様子を見てくるから、しばし待っておれ」
イナリはおもむろに立ち上がり、神官二人組が自分を視認できないことを確かめる。そして堂々と玄関を抜けようとしたところで、透明な壁に顔面から激突した。
「うう、痛いのじゃ。やはり、こういうのはあるよの……」
その正体は、この世界で何度もイナリの行く手を阻んできた存在、結界である。
流石に、それなりに重要そうな位置付けの施設なのに、警備が神官二人というのはおかしいと思っていたが、別の仕組みによる警備が用意されていたらしい。
それにしても、現状イナリを阻むことが出来る結界は魔物除けのみであったが、この離れの用途からすると、魔物除けの結界が張られているとは考えづらいし、他の種類の結界があると見た方がいいだろう。となると、仮に神官を殴り倒したところで、誰も中に入ることはできないのではないだろうか。
そんなことを考えつつ、イナリはイオリが隠れている場所へ踵を返す。
「どうだった?」
「もしかしたら、ここには入れぬかもしれないのじゃ。何か、面倒になってきたのう」
「あ?勇者様を教会の手から救い出す役目が、面倒?」
「ああいや、そうでなくてな……二人だと、面倒だと思うてな」
イナリは指輪に手を掛け、それに向けて一言呟いた。
「アースよ、ちと来てくれたもれ」
「――来たわ。どうしたの?」
「えっ、だ、誰!?どこから来た!?」
一瞬でイナリのすぐ隣に現れたのはアースだ。突然の出来事に、イオリは声を上げてしまった。当然、それは離れを警備する神官の注目を集める。
「……そこに誰かいるの――ぐあっ!?」
「止ま――ぐっ!?」
イオリは素早く神官を殴り倒すと、迅速に近くの茂みに引き摺って隠した。
「ふう、危なかった。手加減はしたし、致命傷ではないはずだ」
「なんか、手慣れておるのう……」
「それより、詳しく聞かせてもらおうか。そいつは何だ?」
イオリはアースを指して尋ねる。
「あら、初対面なのに酷い言われようね。でも、私からも説明を要求するわ、イナリ?」
「あー……うむ。かくかくしかじか、じゃ」
「真面目に話しなさい」
「はい」
イナリは己の行動の迂闊さに後悔しつつ、状況を説明することになった。
要約すると、イオリは勇者を救いたい者で、かつ、イナリと利害が一致している者。アースはイナリの姉で自分と同じ幽霊。ちょっとすごい技が使えるので、それで建物の中に侵入するために呼んだ。この三点を伝えた。
「なるほど、理解したわ。でも……イナリ、制約があるって話はしたわよね?」
「うむ。しかし我らには勇者の裏に潜む影を暴くという使命があるのじゃ。それは十分な大義名分ではあるまいか?」
「……本当に影とやらが暴けるんでしょうね?」
「ま、何かしらあるのは確実らしいからの、問題あるまい?」
「……全く、仕方ないわね」
アースはため息をつくと、丁度真横にある離れの壁を指さして四角を描き、手で押して綺麗に穴を空けた。
「ここまで来たら私も着いていってあげる。さ、行くわよ」
イオリはドレスを手で持ち上げつつ、器用に穴を潜って離れに侵入した。
「お、お前ら、いや、あなた方は一体、何者……?」
「ただの幽霊と言っておろうに」
穴を空けた先は物置きであった。だた、全体的に新しそうな様子のものが多く見受けられるので、人が居ないだけの実験室なのかもしれない。
「……人が居なくてよかったわね」
アースは割と考え無しに穴を空けたらしい。しかし、イナリもイオリも中に入った後の事などまるで考えていなかったのは同じなので、誰も何も言う筋合いは無さそうである。
「いやまあ、誰かいたら消し飛ばすだけだし、何も問題は無いのだけれどね?」
「我ら、何も言うてないじゃろ……」
謎の弁明を始めるアースに、イナリは白い目を向けた。
「と、とにかく。早く勇者様を救うための手がかりを見つけよう!」
やや態度がしおらしくなったイオリが、部屋の戸に駆け寄りつつ、二人の神に対して声を掛ける。
「待つのじゃ。人がいない今のうちに、ここを調べるべきではあるまいか?」
「……それもそうだ。すまない、気が急いていた」
「イナリ、この獣人、色々と心配じゃない?」
「まあ、勇者に入れ込んでいるようじゃからの、致し方あるまい」
イナリは軽くイオリにフォローを入れてから、近くの机の上に置いてあった文書を手に取った。
「……あ、我、文字読めないままじゃった。ここはお主らに任せるのじゃ」
「私も、あまり難しい言葉はわからないかもしれない。実物を見つけることしか考えていなかった……」
「貴方たち、私が居なかったらどうするつもりだったの?」
情けない言葉を零す狐二匹に対し、アースは頭を抱えた。
「もとより実物を見つけることが狙いであったからのう。我らはそちらに取り掛かる故、お主は文書を探ってくれたもれ」
「……まあ、それくらいなら構わないけれど」
……何なら、最初からアースが来ればよかったのではないかと思わなくも無いが、何かとややこしい制約がどう絡むのかは未知数だ。実際、今こうして彼女がここに居るのだって、ちょっとしたズルのようなものなのだ。迂闊なことは言わない方がいいのかもしれない。
「さて、今度こそ我が先行して、何かありそうな部屋に当たりをつけてくるのじゃ。お主はしばし待っておれ」
「わかった」
イオリが頷き返したことを確認してから、イナリは慎重に部屋を出た。
離れの廊下は白い石材で構成されていて、意匠らしい意匠も無い、ハッキリ言って何にも面白みがない場所であった。
それに、離れはそう広くない。イナリ達が侵入した部屋の向かい側に同じ大きさの部屋が一つと、廊下の突き当りに広い部屋が一部屋。あとは上の階に繋がる階段と、玄関があるのみだ。
……そういえば、エリスが離れには聖女が滞在することがあると言っていたが、部屋はどこなのだろうか。話しぶりからすると居ないときもあるような様子だったし、そもそも今日いるかどうかもわからないが。何にせよ、一階に研究室がある事は確実だ。
つまりイナリはこれから、研究室か、聖女の部屋のいずれかに侵入することになるわけだが……ハズレを引いた時に何が起こるか、まるで想像がつかない。
「ううむ、聖女の部屋と言うと……やはり、広い部屋が割り当てられるのかのう。いやしかし、アリシアの私室は狭かったし、研究室が狭い事なんてあるのかや……?」
イナリは過去の経験をもとにあれこれ考える。一番簡単なのは、一階全部研究室というパターンなのだが……。
「ええい、埒が明かんのじゃ!高い地位の人間ならば広い部屋を好む!つまり狭い部屋が正解じゃ!」
イナリは勇気を振り絞り、イナリ達が侵入した部屋の向かいの扉を開けた。
……そして、水色の髪を持った幼い少女と目が合った。
「わ、お狐さんだ」
「失礼したのじゃ」
イナリは、そっと戸を閉めた。




