269 狐同盟
「それで、何を調べるつもりなんだ?」
「さあ?まずは何を調べるかを調べるのじゃ」
「……さっきの話は無しにしよう」
イオリはふいとイナリから目を逸らし、室内の調度品を物色し始める。
「ま、待つのじゃ。我はお主ほどカイトの事を知らんのじゃから、仕方なかろ?」
「知らないよ。……それより、勇者様を名前で呼ぶとは、やはりお前……」
いちいち話を脱線させる勇者狂にイナリは頭を抱えた。
「何度も言うが、カイ……勇者が、この世界で一番気にかけていたのはお主だと思うがの」
「そ、そうなのか!?……ふふ、そうか。勇者様が……えへへ……」
記憶が定かでないが、どこかで神官がそんなことを零していたはずだし、初対面時に人違いされたことなど、正にその典型であろう。
イナリがその事実を告げると、イオリはくねくねと体と尻尾を揺らし、喜びを露にする。見た目がイナリと似ているだけに、何とも複雑な気分にさせられる。
そう思っていると、彼女はぴたりと動きを止めて呟く。
「でも、それなら、前に話した時の反応はやっぱり変だ。勇者様は私のことをお前だと思っていたし、何なら、私の事なんて黒歴史にされていた。あんなことを言う勇者様、今でも思い出すだけで吐き気がする……」
「ふむ。我もつい先日、ちと勇者の事を見てきたが……何か、立ち振る舞いからして別人だったのじゃ」
「そうなのか。……いや、勇者様は今、魔王と戦っているはずじゃ……?」
「……まあ、アレじゃ。我、幽霊じゃから」
「なるほどな?」
イナリは、今後説明が面倒なことは全部この言い訳で押し通そうと考えつつ告げた。
「……ずっと考えていたんだが、勇者様は奴隷にされていると思うんだ」
「ほう?」
「勇者様に首輪がつけられていたんだ。あんなもの、私が別れる前は身につけていなかった」
「そうなのかや。しかし人間には防具の一つや二つ、あって然るべきではなかろうか」
「普通はな。だが、勇者様は特別な存在だ」
「……そういえばそうじゃな。しかし、教会が支給するとか、そういうことはあるじゃろ」
「それは無い。教会は勇者様に防具を支給しなかったらしいんだ。いくら体が頑丈だからといって、防具を支給してくれないのは酷いと勇者様が零していた」
「なるほどのう」
確かに、カイトが防具らしい防具を着ている様子は全く記憶にない。もしかして、執拗に冒険者を目指していたのは、防具を入手するためだったのだろうか。
「それで。私は、あの首輪は教会が渡したものだと睨んでる」
イオリは深くため息をつく。
「奴隷は、雇い主に歯向かった時の抑止策として首輪をつけさせられるんだ」
「ふむ。しかし、今のお主は着けておらぬようじゃが」
「何だ、私の出自を知っているのか……。確かに私は奴隷だったが、勇者様が首輪を壊してくれたんだよ。教会はきっと、勇者様が壊せない特注の首輪を作って、防具と偽って渡したんだ」
「ふーむ、筋は通っているように聞こえるのう」
「そうだろ?だから、その首輪と同じものを見つけるか、それに関係する何かを見つけたい。仕組みがわかるだけでも、勇者様を救いだす手がかりにはなる」
「なるほど、概ね理解したのじゃ。そうと決まれば、この我も力を貸してやるのじゃ」
捜索を手伝うべく、イナリが腕をまくって部屋の机に歩み寄ると、イオリが手を伸ばして制止する。
「お前、幽霊だから物には触れないだろう?部屋の外を見張っていてくれ」
「いや、我、実体はあるのじゃ」
イナリは、片手でイオリの手を握り、もう片方の手で近くにあった花瓶を持ち上げた。
「おお、そうなのか。……でも、私以外が勇者様の物を物色するのは何か嫌だから、部屋の外を見張っていてくれ」
「わかったのじゃ」
変に食い下がると話が拗れそうだと勘が働いたイナリは、素直に頷くことにした。
そして、その後三十分間、イナリは心を無にして立ち尽くした。
たまに遠くから話し声は聞こえるが、部屋に近づく者は一切なかった。わざわざ、イオリの視界内で不可視術まで発動したのに、完全に徒労に終わった形だ。
暇を持て余したイナリが窓から空を飛ぶ鳥を眺めていると、部屋の中からイオリが現れる。
なお、扉にはイオリが蹴った跡がしっかり残っているし、正しく閉まらなくなってしまっている。あの様子では鍵も壊れているだろうし、人が来たら、ここで何かがあったことは即座に露呈するだろう。
「待たせた。埃を被ったシャシンキがあったが……他にそれらしいものは無かった」
イオリは哀しげな表情をして成果を報告したが、イナリもそう簡単に話が進むことは無いだろうことは予想していたので、特に驚くことは無かった。
「そうか。こっちは平和じゃ」
「私はもう、これ以降の事は考えていなかった。何か、考えはないか?」
「ふーむ……。あ、そういえばなんか、研究者と何かしているみたいなのを聞いた記憶があるのう」
「研究者?」
「うむ。ちと訳あって、詳しくは聞けておらぬが……」
イナリは話しながら、勇者との初対面時、怒りに身を任せて話を遮ったことを後悔した。もしかしたら、どこで何をしているとか、もっと核心的な事がわかっていたかもしれないのだ。
……いや、だが、誰がこんな事になると予想できるだろうか?
「我は、悪くないよの?」
「ん、何の話だ?」
「あいや、何でも無いのじゃ」
イナリは手を振って誤魔化した。
「して、研究者とやらを調べるべきと思うのだが、どうじゃろうか?」
「ああ、何かしら繋がりがあるのなら、調べるべきだ。ただ、私はそういう話は殆ど知らないから、闇雲に動いても不毛なだけだと思う」
「それも一理あるのじゃ。……しかし、それを知っていそうな者には幾らか心当たりがあるのじゃ。我がその辺に当たるから、また明日、どこかで合流せぬか?」
「いいね。ただ……私がいる意味、あるか?」
「あるのじゃ。我が勇者と関係がある物か判断するより、お主の方が確実であろ?件の首輪だって、我は見たことが無いしの」
「確かに、それは重要な役目だな。それで、どこで会う?」
「我は比較的自由に動けるからの、お主が決めた方が良いと思うのじゃ」
「それじゃ、今と同じくらいの時間に、この街を流れる川を跨ぐ、レンガ造りの橋の下で会おう。多分、見たらわかるはずだから。それじゃあ、人が来る前に私は逃げる。もし正午になっても私が居なかったら、私は捕まったと思ってくれ」
「わかったのじゃ」
イナリが返事をしている間に、イオリは勇者の部屋から飛び降りてその場を去った。
ところで、特に何も考えずに発言したが、イナリが当たろうとしている人物は、教会事情に最も詳しいであろうエリスと、研究事情に詳しそうなリズ、ハイドラ、ウィルディア辺りの面々だ。
しかし、エリスはともかく、他の三名にはどのようにして会えば良いのだろう?そして、一日で全てを回って事情を把握することなどできるのだろうか?
「ちと、安請け負いしてしまったかのう?」
イナリは長髪の先端を弄りながら思考を巡らせつつ、パーティハウスに帰ることにした。
帰宅すると、丁度ディルとエリックがパーティハウスを出て街へ赴くところであった。イナリはそれを見届け、入れ違う形でパーティハウスに入る。すると、扉の音に反応してか、リビングの方からエリスが顔を覗かせる。
「あれ?お二人とも、忘れ物ですか?」
「んや、我じゃ」
イナリがそう言って軽く手を上げると、エリスは何も言わずに素早くイナリを抱き上げ、そのままリビングの長椅子へ運んで座った。
「イナリさん、やっとこちらに戻ってきてくれたのですね」
「まあ、そんな感じじゃ。ただいまじゃ」
「はい、おかえりなさい。……わざわざ外から来ないで、私の部屋に直接来てくれてよかったのですよ?」
「ま、まあ、その辺は事情があっての」
イナリは目を泳がせつつ答えた。本当はそこに転移したし、何なら一緒に寝ているのだが、彼女はそれに気づいていないようだ。
「ところで、エリックさん達とは話しましたか?」
「んや、我はまだ不可視術を発動させたままじゃから、否じゃ。……それより。お主、教会の研究者というのを知っておるかや?」
「ええと、神託の解釈論を研究する方はいらっしゃいますが……何か、イナリさんが求めているものとは違いそうですね」
「そうじゃな。こう、魔法に関連する感じのやつじゃ」
「役職的には存在しませんが……教会と共同研究している方々はいらっしゃいますね」
「……ふむ、なるほどのう」
「それがどうかしたのですか?」
「うむ。ちと、他の者に話を聞きたくての」
イナリがそう言うと、エリスは首を傾げた。




