268 潜入!アルテミア教会本部
朝を迎えると、イナリはエリスが起きる前にベッドを抜け出し、厨房から一つパンを拝借して、パーティハウスを後にした。
コソコソと行動しているのは、依然としてイナリと勇者であるカイトとの関係は伏せたままである以上、教会に忍び込むのに理由を説明することになって面倒だからだ。ここまで来たら、エリス辺りには全部話してもいいのではないかと思わないことも無いが、独断で動くと後が怖い。
さて、道中では何事も無く、そのまま教会本部の正面入り口へ到着したイナリであったが、そこでしばし立ち尽くすことになる。
「……何か、人が多いのう」
朝方だし人は居ないだろうと思っていたが、教会の出入り口には人が溢れかえっていた。神官の姿は勿論、一般住民らしきものも数多くいる。
時折聞こえる言葉を拾ってみると、魔王が怖いだとか、アルト神の救いが云々、などと言う言葉が聞こえてくる。
「ほほう、さてはこれ、礼拝とか言う奴じゃな?我も昔は、そんな時期があったのう……」
イナリは腕を組み、しみじみと呟いた。作物の育ちが芳しくなかった時、人々がイナリの力を得ようと祈りに来たものだ。
それはそうと、これでは教会への侵入には苦労しそうだ。不可視術を発動した状態のイナリを視認できるものが混ざっているかもわからないし、人混みを強引に抜けようものなら、小さなイナリはきっと、もみくちゃにされてしまう。
「どこか、他に入れそうな場所は……む?」
辺りを見回すと、薄汚い茶色っぽい布を被った、明らかに怪しい風貌の人影が目に入る。よく見るとイナリに似た赤い瞳を持っていて、足の間からは尻尾が覗いている。
「アレはもしや……イオリか?何故ここに居るのじゃ?」
彼女は今、己の身分を乗っ取って指名手配されているはずだ。それがどうして、こんな目立つ場所にわざわざ顔を出したのだろうか。
気になったイナリは、堂々とイオリらしき人物の隣に立って観察する。
「なるほど、確かに本当に我に似ておるのう。流石に我ほどの神々しさは無いが、これなら皆が見紛うのも無理はないやもしれぬ」
目の前の少女がイオリであると確信したとほぼ同時に、彼女はどこかへ向けて移動を開始する。イナリはその様子を後ろから眺めつつ考える。
「……こやつの動向を見るのも、大事じゃよな?」
イナリが大手を揮って外を歩けるようになる日が来るためには、どこかでイオリをどうにかする必要があるはずで、それならば、ここで動向を探っておくのも無駄にはならないだろう。
そう考えたイナリは、一旦教会の事を頭の隅に追いやり、イオリを追いかけることにした。
彼女は教会の外周をぐるりと回って人気が無い場所に移動すると、辺りを見回してから、やや高所にある窓へと軽快に飛び乗り、教会に侵入した。
イナリもそれに倣い、その場で跳躍して窓に飛び乗ることにする。
「はっ!ほっ!……とうっ!……んぐぐ……!」
……が、悲しきかな、何度も飛び跳ねてみても、イナリの手が窓に届く気配は微塵も無かった。獣人の跳躍力には、神であっても敵わないらしい。
「ぜえ、はあ、ふう……。……他を、当たるしかないのう」
イナリは肩を落としながら、大人しく別の出入り口を探すことにした。
イナリが別の出入り口から教会に侵入すると、礼拝の方に人が集中しているのか、人は殆ど居なかった。故に、不可視術が効かないランバルトだのの事は気にせずに堂々と動くことができる。
イオリもそれを分かっているのか、堂々と教会を移動していたため、発見するには苦労しなかった。
「にしてもこやつ、さっきから何をしておるのじゃ……?」
イオリは、部屋の扉を確認しては移動し、また確認しては移動し、という動作を繰り返している。何かを探しているのは間違いなさそうだが、もしかしなくても、勇者の部屋を探しているのだろうか。
話を聞いた限り、彼女は勇者カイトに異様な執着心を見せているようなので、ありえない話ではない。それに、もしそうならば本来の目的であった勇者絡みの調査も進められ、一石二鳥だ。
イナリの予想は正しかったようで、イオリはある部屋を確認すると、喜色を露わにしながら部屋の取っ手に手をかけ、ガチャガチャと音を鳴らす。
「……チッ、鍵か」
低い声で呟いたイオリは、一歩下がると勢いよく扉を蹴って開けた。
その隣に立っていたイナリは、突然の暴挙に耳を塞いで竦みあがった。辺りに誰かいたらどうするつもりなのだろう。
それを知らないイオリはズカズカと勇者の部屋に侵入し、鋭い目と共に辺りを見回す。
「……ああ、勇者様の部屋だ。帰ってきたんだ……!」
そして感激したように頷くと、そのままベッドに飛び込み、深呼吸を開始した。
「……えっ?な、何じゃ?こやつ、何をしておるのじゃ……?」
突然の奇行にイナリはドン引きした。これは、勇者に関する調査という本来の目的が頭から吹き飛ぶほどの衝撃であった。
困惑したイナリは、自ずと不可視術を解いてイオリに話しかけていた。
「のう、そこの」
「ほあッ!?だだだだ、誰だ!?」
先ほどまで恍惚としていたイオリは、顔を赤らめながら飛び上がり、ベッドの上に立ち上がる。気のせいでなければ、勢い余って天井に激突していたように見えたが、大丈夫だろうか。
「ええと、その……我はイナリじゃ。お楽しみのところ邪魔して悪かったのう。ただ、あまりにも衝撃的だったから、ついの……」
イナリは言い淀んでしまったが、要するに、「危険を冒してすることがこれって正気か?」ということが言いたかった。当然そんな思惑は伝わるわけもなく、イオリは驚いて声を上げる。
「いなり……イナリ!?確かに私によく似ているが、死んだんじゃなかったのか?」
「いやまあ、そうでもあるし、そうでもないと言えばそうでもないのじゃが……」
イナリは腕を組んで言い淀む。そも、話しかけるつもりなど無かったし、果たして、どう説明したものか。
「……もしかして、ユウレイってやつか」
「のじゃ?」
「他の奴隷から聞いたことがある。あまりにも悲惨な死に方をすると、自分を殺した奴に復讐するために、ユウレイってのになるんだろう?」
「む?んー……まあ、そんな感じじゃ。うむ」
イオリがいい感じに誤解してくれたようなので、イナリは説明を放棄した。
「まあ、それは今は置いておくのじゃ。それよりお主。何をしておるのじゃ」
「何って、勇者様を利用する神官共に一泡吹かせてやろうとしたんだ」
「ふむ?本当かの~?」
イナリは首を傾げ、イオリの供述を訝しんだ。
「ほ、本当だ。今のは、その、あれだ。ついでというか、むしゃくしゃしたというか……」
「そうか。ま、我も似たようなことをする者を知っておるし、これ以上は何も言わぬよ。それより……」
イナリはたった今思いついた考えを告げる。
「我と共に、教会について調査せぬか?」
「……それは、お前を貶めた神官に復讐するためか」
「否。勇者について調べるためじゃ。何やら不穏な様子なのでの」
「やっぱりお前もそう思うのか、そういうことなら引き受ける!……いや待て。一つ、先に聞きたいんだが」
「何じゃ」
「お前……勇者様とはどういう関係だ?」
「ただの知り合いじゃ」
試してくるように問いかけるイオリに対し、イナリは呆れつつ答えた。




