266 さむい
「さむい……さむいのじゃ……せなか、つめたい……あし、つめたい……」
イナリはアースが即席で創った小屋に籠り、身を寄せて震えていた。アースが生やしている尻尾に包まることで、多少暖かくはなる。
「全く、最悪なタイミングで来てしまったみたいね……」
アースは、イナリの背を摩って温めながら外を見て呟く。
先ほどまで乾燥していた周辺は既に凍結しており、別の意味でまともに過ごせたものではない。吹雪が無いのは不幸中の幸いと言えよう。
二人とも神である以上このような状況でも死にはしないが、辛い事には変わりない。
「のう、転移者を待つにしても、もう少し時期を遅らせて良いのではないかや?ここで待っていては身が持たんじゃろ」
「一理あるわね。ここに移動できるように場所だけ覚えておこうかしら」
「何でもいいから、一旦帰りたいのじゃ……」
「そうね」
アースが亜空間を開いた瞬間、イナリはそこに転がり込んだ。その先には、世界の調整を済ませ、休憩しているアルトの姿があった。
「おや、狐神様に地球神様。……うわっ、寒いですね。北極にでも行っていたのですか?」
「違うわ。貴方の世界の歪みを見に行ってきたのよ」
アルトが亜空間の奥を覗き込んで尋ねると、アースは服についた霜を払い落しながら答えた。
「あ、あぁー……。ええと、如何でした?」
「あったかい……あったかいのじゃ……」
「見ての通りよ」
「なるほど」
地面に蹲って天界の暖かさを享受している豊穣神を見て、アルトは静かに頷いた。
「ねえアルト。本当にアレ、人間がどうにか出来るの?話には聞くけど、人間風情じゃ到底敵わないと思うのだけれど」
「はい。多少お膳立てすれば後はいい感じにやってくれますし、実際、結構なスパンで歪みの対処をさせていますね」
「何か、四年に一回くらいの頻度と聞いたことがあるのじゃ」
「凄まじいわね……」
アースはやや引き気味に呟いた。察するに、本来は別の対処法があるのだろう。
「これは魔法文明の良いところですよね。……まあ、それと絡み合って今、私の首が締まりかけていますけど」
「もっと言えば、普通は歪みの実体化自体あり得ない話だから、そのメリットもあってないようなものよね」
目を逸らして呟くアルトに対し、アースは容赦なく追撃した。
「とりあえず、我は布団に入るのじゃ。おやすみじゃ」
「あ、おやすみなさいませ、狐神様」
「おやすみ。あとで暖房を持って行くわね」
イナリは二神に見送られつつ自室へ移動し、手早く寝間着に着替えて布団に潜った。
そんな事件から数日後。
イナリが庭に植えた盆栽を眺めていると、アースが勢いよく部屋の戸を開けて声を上げる。
「イナリ、転移者っぽいのが居たわ。行くわよ!」
「のう、我、行かなきゃダメかや?元の予定通り、転移者が街に戻るのを待ってからの調査でよかろ」
期間が開いてしまったことで、イナリは完全に萎えていた。もうこれ以上、熱いのも寒いのも嫌だし、氷と背中がくっついてそのまま冷凍狐になる体験など、二度と御免である。
「気持ちは分かるけれど、転移者の話を抜きにしても、人間が歪みと戦うところが見たいの。それに貴方が居ないと、転移者に何かあったときに私の独断で動くけれど、それでも大丈夫?」
「……何か嫌な予感がするし、我も行くのじゃ」
「イナリが望まないことをするのは本意ではなかったから、そう言って貰えて嬉しいわ」
イナリがため息をつきながら返すと、アースは微笑する。
「ほら見て。安全に見学できるように、ちゃんと防寒具も用意したの」
「周到じゃな」
アースが笑顔でお揃いの防寒具を見せてくる辺り、元々イナリに拒否権は無かったのかもしれない。
何だかアースもエリスに似てきたなあ、などと思いながら、イナリは防寒具を身につけた。
「うう、寒いのじゃ……」
「でも、前ほどじゃないでしょう?さ、行きましょ」
アースは小屋を出て凍った地面を歩いて進むので、イナリもそれに続く。普段履いている草履ではなく長靴なので、足が重くて変な感じだ。
それに、前回に続いて夜間な上に、辺りの草木からパキパキと物が凍結する音が聞こえるせいで、一層気温が低いように感じられる。
「今更じゃが、もっと楽な方法は無いのかや?例えば……そうじゃ、アルトが我を見つけた方法とかはどうじゃ?それを使えば、我の部屋で暖かくして過ごしながら、地上の様子も見られると思うのじゃ」
「ああ、千里眼の事かしら。アレは……まあ、使えないことは無いけれど」
「ならば――」
「でも、力を結構使うし、使い勝手が悪いのよ。世界全体から見たい場所を絞り込まないといけないし、画角の調整が大変で、実質的には定点観測しかできないの」
「ふむ?……ああ、つまり我はずっと社に居たから、それで見つけられたわけじゃな……」
「私が話したことも原因かもしれないけれどね」
イナリは納得した。てっきり、アルトが地球全体を見回してイナリを見つけたものかと思っていたが、裏にはそういう事情があったらしい。
「千里眼でも、頑張れば人間が作る映画みたいに個人を追跡したりもできるだろうけれど、多分、と言うか絶対に酔うと思うわ」
「それは嫌じゃな。……して、えいがとは何じゃ?」
「……今度、見せてあげるわね……」
あまりにも時代に置いていかれているイナリの言葉に、アースは密かに心を痛めた。
「話は変わるけれど、ここの歪みは一日ごとに極寒と極暑が切り替わるみたいなの。多分、天気を司る神辺りになるはずだった因子なのでしょうね」
「あー……何か、神の出来損ないってやつじゃよな」
「そうそう。よく知っているわね」
「アルトから聞いたのじゃ」
「それで、転移者達は極寒の間に勝負するつもりみたいよ。暑さより寒さの方が対策しやすいのでしょうね」
「なるほどのう。……いや、それはどうやって知ったのじゃ」
「貴方の信者から軽く話を聞いて、後は人間が見つかるまで、何回も小さい亜空間を開けて覗いたの」
「思ったよりも力業じゃな。……この防寒具と言い、さてはお主、暇なのかや?」
「ち、違うわよ。ただ、地球の管理は殆どしなくて大丈夫だから、こっちに集中しているだけよ。諸々済んだら、こんな風に過ごす予定は無いわ」
「……それはつまり、お主と会えなくなるということかや?」
「まさか。定期的に顔を見せたいとは思っているわよ」
「それはよかったのじゃ」
そんな会話をしているうちに、二人は辺りの景色がよく見える崖に辿り着いた。
「おぉ、これは……すごいのう」
全て凍てついた森は、歪みが発する青い光に照らされ、幻想的な光景を生みだしている。
中でも目を引くのは、歪みが地面に根を張るように伸び、その根元の土地をぐしゃぐしゃに混ぜているところだ。橙と青が混ざっている辺り、加熱と冷却が繰り返されているのだろう。
また、その近くには村か町の一部と思われる建造物や、かつて人間が耕していた畑であっただろう土地も混ざっているのがわかり、歪みが実体化する前の事を考えると、どこか悲しい気分になる。
「何か、オーロラっぽいわよね。……言っても伝わらないかしら」
「うむ、わからぬ」
「まあ、それも今度教えるわ。それで、転移者が居るのは……あそこね。焚火が上がっているわ」
アースはどこからか望遠鏡を取り出し、イナリに手渡してくる。……金属製なので、ものすごく冷たい。
それを使って示された方角を見れば、確かに煙が上がっている場所が見つかり、その下には仄かに橙に照らされている場所があった。
「確かに見つけたのじゃ。して……あやつらは何時動くのじゃ?」
「さあ。動きがあるまで気長に待つしかないわね」
「そ、そんな……」
「ま、私達神からしたら一瞬よ、一瞬。適当に時間を潰して待ちましょ。私、寒い場所でカップ麺を食べるのが好きなの。これを考えた人間は称賛に値するわよね。イナリも一緒に食べましょ?」
アースは椅子や机を取り出し、その上に地球の食品を置いて、いそいそと準備を始めた。
「……あ、お湯が凍っちゃったわ。これはダメね……」
「何かお主、楽しそうじゃな……」
一人楽しそうにしているアースを見て、イナリは寒さに震えながら呟いた。




