261 保留 ※別視点あり
<イナリ視点>
「……あら、信者が何か言いたいみたいね」
アースはそう言うと、机の上の指輪に手を触れてエリスと通信を始める。
「アースさん。何か、イナリさんが別人であることを立証できる決定的なポイントは無いですか?」
「いや、その偽者の見た目もわからないんだから、知らないわよ……」
エリスの問いにアースは呆れた声で答える。エリスは強制退場された機に乗じて、アースに助言を求めることにしたようだ。
「というか、今思ったのじゃが、我を騙る者にブラストブルーベリーを食べさせれば、一発で解決すると思うのじゃが、それはしないのかや」
「……あっ、そういえばそうじゃないですか。流石イナリさん、天才ですね!」
「うむ、神じゃからな。……というか、何故こんな簡単なことに気がつかんのじゃ」
「記憶喪失を理由に内面を突くのは難しそうでしたから、てっきり外見の差異でしか立証できないものと思い込んでいました。それに、イナリさんっていつもブラストブルーベリーを食べていたじゃないですか?だから、その異常性を失念していたのもあるかもしれません」
「あぁ、なるほどのう……」
イナリはひとまずの理解を示したが、どこか釈然としない部分はあった。これは、イナリの冒険者証の裏を見返せば本人確認手段としてそれが書かれているはずなのだ。
……だが、一ヶ月以上経てば、そんなことは忘れてしまうか。
イナリが密かに心を痛めていると、アースが声を上げる。
「それはそうと、偽イナリはよくイナリと成り代わろうと思ったわね。相当な偶然が重ならないとそうはならないと思うのだけれど。それとも、何かイナリと接点があるのかしら」
「見ず知らずの子ですし、接点は一切ないと思います。ただ、ちょっとした予想みたいなものはあるのですが……」
「へえ、聞かせて頂戴?」
「はい。何となく、イオリという獣人なのではないかな、と思っています」
「イオリとな?それって確か、あの……アレじゃよな」
「私にもわかるように言って欲しいわ……」
「ええと、アルテミアに行く道中で名前が挙がった方であり、カイトさんが解放した奴隷の一人です」
エリスはそう言うと、そのまま続けて偽イナリがイオリであると予想した理由を述べ始める。
「カイトさんが、イナリさんとイオリさんを間違えた事が引っかかっていまして。人間の見分けがつくのに獣人の見分けがつかないなんて、普通、そんなことは起こらないですよね?」
「まあ、それはそうね。名前も紛らわしいことこの上ないわ。……今更だけど、カイトっていうのは勇者の事よね?」
「そうじゃな」
「ふーん、そう。勇者との繋がりがあるかもしれないのね。ふむふむ……」
アースは腕を組んで何か考え始める。
「なら、しばらく、そのイオリとか言うのには自由にさせてみましょう」
「むむ??」
「いいのですか?」
アースの言葉に、イナリもエリスも困惑する。
「ええ。詳しいところは知らないけれど、放っておけばイナリじゃないことは露呈しそうなんでしょ?なら、しばらく好きにさせるといいわ。イナリ信者も、一旦話を合わせてあげなさい」
「待ってください。イナリさんはそれで良いのですか?」
「勇者絡みはイマイチよくわからんからの、殆どアースに任せておる」
イナリは両手を上げてお手上げの姿勢をとった。……エリスには見えていないが。
「そうですか……」
「そういうことよ。ああでも、どこかのタイミングで偽イナリが『イオリ』かどうかだけは見極めておいて欲しいわね。勿論、どちらでも構わないけれど」
「わかりました」
「それじゃ、そういうことでよろしくね。引き続き、うまくやるのよ」
アースはそう言うと、イナリが何か言うよりも先に通信を切り上げた。
「……アースよ。お主、何が狙いじゃ?」
「ふふ、そう難しい事は考えてないわ。でも、勇者と関係があるなら、何か影響を与えてくれるかもしれないし、最終的に貴方じゃないことは露呈するのよ?なら、少しでも複雑になった方が面白いでしょう?」
「お主、悪趣味じゃな……」
不敵な笑みを浮かべるアースに、イナリは呆れた目を向けた。
<イオリ視点>
……おかしい。
「ああ、そうですね。冷静になって見ると、この子はイナリさんな気がしてきました。やっぱり、私がおかしかったかもしれませんね」
部屋を出て戻ってくるだけで意見がひっくり返るなんて、絶対におかしい。しかも、外で説得されていたとかならまだしも、この神官は一人で頭を冷やしていただけだ。一体どういう風の吹き回しだろう?
「そっか。正直、説明されてなお、僕達には見た目の違いは殆どわからないから何とも言えないけど……」
「まあ、本人でもそうでなくても、保護はするって話で纏まったからな。エリスも異論は無いだろうし、その辺は一旦置いておいていいんじゃないか」
「そうですね。私の気の迷いということでお願いします」
「……で、どうするの?順当に考えるなら、イナリちゃんの行き先はギルドか、パーティハウスか、教会かの三択だけど」
「イナリさんは私達の仲間ですから、パーティハウスで預かりましょう。もしかしたら、何か思い出すことがあるかもしれませんし。イナリさん、それでいかがですか?」
「あ、ああ。妾はそれで構わない……」
私は言葉に詰まりながら頷いた。彼らの拠点に潜り込めるなら、私の中で「イナリ」を作る助けになることは間違いないのだが……。
やはり何か、妙な意図を感じる。この神官が部屋に戻ってきてからというもの、私にとって都合が良い事しか言わなくなっている。一体何が狙いだ?まさかこの女、私の正体がわかっているのか……?
「それでは、私が抱えさせていただきますので、早速行きましょうか」
「……ッ!……あ、ああ……」
神官に抱きかかえられ、しかもさりげなく尻尾を触られる屈辱を味わいつつ、私は彼らの拠点へと運ばれた。
……寝台から抱え上げられる際、神官の口から「あっ重」と言う呟きが聞こえた気がするが、気にしてはいけない事だと信じて耐えた。
「私は少し支度をしてきますので、イナリさんは先に寝ていてください」
「ああ、恩に着る」
部屋を後にする神官を見送り、私は寝台に腰掛ける。
妙な動きが見られたら何時でも脱走できるように構えていたが、道中から拠点に着くまで、そして、拠点についてからも、実に手厚い待遇を受けた。
一人一人丁寧に自己紹介や部屋の案内をされ、温かい食事や、清潔な着替えも用意された。……奴隷生活や獣人の色々と乱雑な生活とは違う、如何にも「人の生活」らしいものであった。それなりに身構えていただけに拍子抜けだ。
ただ、気になることはいくつかある。
まず、支給された服から、明らかに今日出会った四人以外の匂いがすることだ。獣人にしては妙に独特だが、どこか落ち着く感じがしないでもない。これがきっと、「イナリ」の匂いなのだろう。
次に、自分が割り当てられた寝室が、神官の女と同じ部屋である。神官は床で寝るから気にせず寝台を使えと言うが……色々な意味で気になることがあって、とても眠れる気がしない。
そもそも、どこか不審な印象を受ける神官と同室なのが気になるのは言うまでもないのだけれども、それ以上に、奴隷として生きてきた身で、自分が他人を差し置いて寝台を使うというのは、たとえ不信感溢れる神官であっても、少々躊躇うものがある。
そして何より……寝台から、神官の女と「イナリ」が混ざった匂いがする。なんかもう、びっくりするぐらいする。これは添い寝とかでなくて、相当密着して寝ないことには、こうはならないような混ざり方をしている。
もう一つ妙なことがある。
この部屋には神官の私物と思われるものが多いのに対し、「イナリ」の私物と思われるものがまるで無い。
普通、どのような者でも多かれ少なかれ、お気に入りの小物だとか、日記だとか、普段から使う剣や杖だとか、そういうものがあるはずだ。何せ、奴隷であった私ですらあったのだから。……なのに、それが一切見受けられない。
代わりにあるのは、やたらと種類豊富な子供用の衣装だ。確認したところ、尻尾や耳のための穴が空いているので、あの魔術師の少女のものということもなさそうだ。
……これにはどこか、妙な歪さを感じる。一体、どういうことだろうか?




