258 乗っ取り ※別視点
<???視点>
私は、気がついた時には奴隷だった。
何歳の時だったかはわからないが、訳も分からないままに人間に連れ去られたことが原因だったと思う。両親には愛されていたと思うが、顔も思い出せなくなった今となっては、それすら私の妄想でしかないのかもしれない。
私の生活は至って単純。朝起きて、雇い主の指示に従って派遣先に出向いて、単調作業をこなして、寝る。その繰り返しだ。
たまに何もわかってない奴が私や他の奴隷に暴行してくることもあったが、そういう連中は返り討ちにしたし、殆どの場合二度と会うことは無かった。
それはそうと、他の奴隷が言うには、私の雇い主の奴隷に対する待遇は、世間的に見てかなり良いらしい。
確かに、典型的な奴隷像でもある、ボロい布切れを纏って、鞭を打たれて働かされるようなことは無かったし、比較的「話がわかる」獣人である私は、労働・戦闘要員としてそれなりに丁寧に扱われていた。最低限度の文字は読めたのも大きかったかもしれない。
だがそれは、「人に対する愛」ではなく、「物に対する愛」に近いものだった。そんなだから、雇い主に対して恨むとまでは言わないが、感謝の念も湧かない。言うなれば、仕事の関係なのだ。尤も、私に回ってくる利益なんて塵ほどでしかなかったけれど。
そんな生活に変化が起こったのは、アルテミアで魔術災害が起きた時だ。
確かあの日も、教会から使者が来て、支援のためにアルテミアに奴隷を派遣して欲しいなどと言っていたと思う。それなりに金も積まれたようで、雇い主は二つ返事で引き受けた。
そして稼ぎ頭であった私や他十名程度の奴隷が馬車に乗せられ、アルテミアに向かって……そして、何故か雇い主が馬から殴り落され、「今のうちに逃げろ」と言われた。
これが、私と勇者様の出会いだ。
出会い方こそ衝撃的なものだったが、勇者様は素晴らしいお方だ。突然のことに茫然としていた私の手を取って導いてくれて、奴隷の身である私のことを一人の人として接し、業務以外の話をしてくれた。しかも、それまで番号で呼ばれていた私に名前を授けてくれた。それも、彼がもう帰れないかもしれない故郷に由来するものなのだそうだ。それはつまり、私に対して運命を見出してくれていると言って差し支えないだろう。勇者様は、私の凍り付いていた心を溶かし、温めてくれたお方なのだ。
……でも、そんな日々は一瞬にして終わりを告げる。
あろうことか、勇者様の挙動を怪しんだ神官が不意を突いて私と勇者様の部屋に乗り込んできたのだ。勇者様が身を挺して逃がしてくれて何とかなったけれども、それが無ければ今頃、奴隷生活に逆戻りしていたと思う。
ともかく、その後は全力で逃げ隠れ、最終的には飛竜便の貨物の中に紛れて国外に逃げた。奴隷としての経験のおかげで、チェックが甘くなりやすい部分は僅かながら知っていた。ちなみに、普通に死にかけたし、上空で凍死しなかったのは本当に奇跡でしかない。
国外に逃げることに成功した私は、茫然とした心持ちのままナイアで浮浪者として彷徨い歩いた。そしてある時、風に吹かれて足元に飛ばされてきた、勇者様に関することが書かれた広報紙を見た時、天啓が舞い降りた。
――教会があるから、勇者様と私は引き裂かれたのだ。
――教会が無くなれば、私はまた勇者様と暮らすことができるようになる。
――勇者様さえいれば、魔王なんて余裕だ。教会なんていらない。
そうと決まれば、行動は早かった。
まずは日雇いの仕事で最低限の身なりを整えて、魔王が出現した影響でテイルから流れてきた獣人達とコンタクトを取った。そして「魔王が沸いたのは教会のせいで、教会を潰せば獣人が虐げられることは無くなる。今こそ団結の時ではないのか」と吹き込み、獣人の間で団結するように仕向けた。
でまかせだと思われるのは心外なので断っておくと、私は本当にこの主張が正しいと信じている。
そもそも、神託だか神の声だか知らないが、そんな一部の人間の間で示し合わせれば何とでも言えるような制度が罷り通っている時点でおかしいし、あの卑怯な教会がすることだ。どうせ、人を都合よく動かすための方便に決まっている。
それはそうと、この計画を推し進める中で、リーダーとして担ぎ上げられるところまでは想定していなかった。けれども、その方がやりやすいこともあったので、甘んじて受け入れることにした。獣人達のおかげでアルト教の影響が及んでいない村も確保できたし、概ね順調に事は進んでいた。
しかし、この計画が嗅ぎつけられたのか、妙な妨害工作を食らうことになった。
よりによって私が出払っている間に、神官を名乗る輩が獣人を洗脳する魔道具を持ちこんで狂わせたうえ、得体の知れない化け物の餌にしようとしていたらしい。つまり、私達は教会の実験の被験者にされかけていたということになる。
最終的に村の近くの教会に居た人間が救ってくれたらしいけれども、私はそれを信じるつもりなんてまるで無かった。
ともかく、この一件で、獣人達の教会に対する疑心は一気に高まり、私が何かするまでもなく獣人同士の協同は進み、一ヶ月もすれば、戦争をする機運が高まった。
だが、今思えば、もっと素早く行動を起こすべきだったのかもしれない。当然といえば当然だけれども、私達の動向は監視されていて、私達が侵攻するまでもなくナイア側から教会軍が攻め入ってきたのだ。
不意を突かれた獣人にまともな連携などとれるはずもなく、しかも人間側は魔法によって連携してくるものだから、抗戦むなしく、いずれ限界が来た獣人が一人、また一人と撃破されていった。
そしてそのまま私も……そう思ったところで、今度は妙な人間に助けられた。
名前は知らないが、妙に獣人と仲良くなろうとする様子を見かけることが多かった、穴掘り人間だ。確か、村の近くのボロ教会に住んでいた奴だった。
そいつは予め掘っていたという穴に私を案内し、「穴を抜けた先の果物屋に声をかければ、行きたい所に連れて行ってくれる。君が教会の闇を暴け」と言い残して村に戻っていった。……あいつは、一体何者だったのだろう?
真相はわからないまま、その後は、「果物屋」のおかげで再び逃亡に成功した。
そして今、私は、かつて私を主導者として崇めた皆を見捨てて、アルテミアのどこかを彷徨い歩いている。
こちらに戻ってきた理由の一つは、「スライムが隠れるのは水の中」という言葉があるように、アルテミアの連中が私を探すことなど無いだろうからだ。そしてもう一つ。もう一度勇者様に相見えることができれば、もう死んでもいいと思っているからだ。
正直、もう生きる気力なんて無いし、そもそも生きられる場所も無い。きっと、次に人間に会えばそのまま打ち首だし、獣人に会っても、碌な最期は迎えられないだろう。
「……『この先、アルテミア』……」
私は手入れがされておらず、やや傾きかけた看板を持ち上げて読み上げた。
少なくとも、自分が歩いている道は誤っていないらしい。このまま進めば、最期の姿を勇者様に看取ってもらうことくらいは叶わないだろうか?そうすればきっと、勇者様の心の片隅に居続けることはできるはず。
アルテミアの方角を向いたところで、その隣にあった簡易掲示板が目に留まる。建付けが悪く、何故こんな場所にあるのかもわからないような掲示板だ。そこには、失踪者の似顔絵を付した捜索願が貼り付けられていた。
……残念だけれども、経験からして、この手の掲示板に載る時点で生存は絶望的なことが殆どだ。大抵は魔物の餌になっているか、どこか遠くに連れ去られているか、あるいは「見てはいけないもの」を見てしまって湖に沈められているか……とにかく、掲示板を見たところで虚しくなるだけだ。
そう思いながら横を通り過ぎたところ、視界の隅に一つの捜索願が目に留まり、私はそれを食い入るように見つめた。
人を探しています:イナリ 目撃情報は最寄りの冒険者ギルドまで
そこにいたのは、私だった。……いや、名前も含めて、私と瓜二つの存在だった。
妙に精巧に描かれたその似顔絵は、私を何とも言えない気分にさせる。まるで、「お前もこれからこうなる」と囁いてきているような……。
「いや、違う……」
私はにはまだ、勇者様に会うという目的がある。生きる気力は失っているけども、死に方を選ぶ権利くらいはあるはずだ。
そう思ったのに、私の足は少しずつ震え、視界がぼやけ始める。
「あ、あれ?おかしいな……」
この震えは、恐怖か、それとも体力の限界によるものか。この視界の悪さは、単なる眠気によるものか、それとも……。
思考がどんどん悪い方に転がっていくにつれて足の力が抜けていき、立っていることすらままならなくなる。じきに視界は暗くなり、そしてそのまま、私は地に倒れ伏した。
「う、ううん……あれ、私は……?」
目が覚めると、知らない天井が視界に入る。少し首を傾ければ、そこには魔術師らしき少女が杖を抱いて立っていた。
「あ、イナリちゃん、起きた?大丈夫?」
「……う、うん……うん?」
経緯は不明だが、どうやら私はこの少女に拾われたらしい。
ただ、目覚めてややぼけた頭で返事をしてしまったが、私は「イナリ」ではない。だが、相手は私を「イナリ」として扱っている。いったい……一体、何が起こっている?
私の心境など知らず、目の前の少女は声をかけてくる。
「イナリちゃん、道端で倒れてたんだよ?あちこちボロボロだし、体に流れてた力もこんなに無くなっちゃって……いくらイナリちゃんといえど、大変だったんだね」
「ま、待ってくれ。わ、私は……私が、イナリなのか?」
「……え、大丈夫?どこかで頭ぶつけたりした?」
少女は私を訝しむように問いかけてくる。だがこれは……好都合かもしれない。
「……いや、大丈夫だ。私が……私は、イナリだ」
「なるほど、何か変なことになってるのは間違いないっぽいね。とりあえず皆を呼ぶから、ここで安静にしておくこと!いいね?」
魔術師の少女はそう言うと、力強く扉を開けて外に出ていった。
……どうにも、私の返答は正解とは言えないものであったらしい。




