257 籠る者達 ※別視点あり
イナリはアースと共に試行錯誤を重ね、天界時間で一週間ほどで部屋を創り上げた。地上では、四日ほど経っていると思われる。
完成した部屋は、イナリがかつて暮らしていた地球の社をモチーフとした和風な部屋で、縁側や広い庭も設けられている。
ただし、部屋の外側は見えないように、自然な意匠の壁が建てられている。アース曰く、エリスは天界の存在の核心にかなり迫っているが、だからといって、アルトとの繋がりまで開示する必要は無いからとのことだ。
また、備品や茶菓子など、必要な道具は全てアースが用意してくれて、欲しいものがあれば、都度もらえることになっている。
イナリは縁側に座り、茶を啜る。
「素晴らしいのじゃ。我の理想がここにあるのじゃ……」
今啜っている茶は、つい先ほどここで栽培・収穫したものだ。
というのも、天界には植物が存在しない関係上、イナリがいくら成長促進を行っても問題にならず、つまり、好きな植物を育て放題だからだ。
イナリは、何のしがらみも無いこの時間を堪能していた。後で、成長促進を使って盆栽を作ったりしても楽しいかもしれない。
あれこれ考えていると、部屋の戸が叩かれ、アースの声が部屋に響く。
「イナリ。貴方の信者を連れて来たわ」
「ああイナリさん、ようやく会えましたね!」
「ようやくっていう程の時間は経ってないはずなのだけれど……まあいいわ。私は外でアル……あるところに行っているから、どうぞごゆっくり。……帰りたくなったら呼びなさい。それと、時差には気を付けなさいよ」
アースはそう言うと手をひらひらと振って部屋を出た。ちなみに、この部屋を出るともう一つ、エリスをこちらに転移させるための小さな部屋があるので、エリスが天界やアルトを視認することは無い。
「それにしても、素敵なお部屋ですね。イナリさんが作ったのですか?」
「そんな感じじゃ。アースの助力も大きかったがの。……ほれ、茶じゃ。飲むと良いぞ」
イナリは居間へ移動し、手慣れた動作で茶を淹れてエリスに差し出した。
「ありがとうございます。……ふふ、何だか新鮮な感じがしますね?」
「当然じゃ。お主は今、我の客人なのじゃからな。……そうじゃ、折角の機会じゃ。改めて、お主に我の力を見せてやるのじゃ」
気をよくしたイナリは、立ち上がって近くの棚から適当な植物の種を数粒回収すると、庭の何も植えていない場所に撒いた。
「我の成長促進の極致じゃ、とくと目に焼き付けるがよいぞ」
そう宣言し、成長促進度を最大まで上げる。すると、先ほど撒いた種はみるみる成長し、僅か数十秒ほどで美しい花を咲かせる。
「ふふん。どうじゃ?落ち着いた状況で我が力を見るのは初めてで……何処を見ておる?」
「……尻尾が……きゅ、九本……!?」
目の前で混乱している神官を見て、イナリは、己が成長促進度を上げると段階に応じて尻尾が増えることを思い出した。
「飛び込んで……いいですか?」
「……もう、好きにするがよい」
己の能力より、それによって生じた尻尾の方に興味関心が搔っ攫われるのは複雑な心境になるが、地上では到底叶わない事だし、ここは寛容になってやってもよいだろう。
イナリは再び居間に戻り、エリスの隣に座った。すると、彼女は吸い込まれるように尻尾の中へ消えていく。
「はわぁ、モフモフです……今日からここで暮らします……」
「それは勘弁してほしいのじゃ。……ところで、地上はどうなっておるのかの?お主がアースへ報告しているとは聞いておるがの、我の方には伝わっておらんのじゃ」
イナリは、己の尻尾の中でもぞもぞと動く神官に向けて問いかけた。
「ああ、ええとですね。まず、イナリさんを知る皆さんには、今まで通りの生活をしてもらうことになりました。……皆イナリさんの事を探したがっていましたから、それはもう大変でしたよ……」
「想像に難くないのじゃ」
エリスの普段の態度からすれば、彼女は真っ先にイナリの捜索を提案するような立場のはずなのだ。その反対の態度を自然な形で取るには、相当な理屈を捏ねないといけないのではないだろうか。
「それはそうと、皆さん心配していますから、戻った暁にはちゃんと謝りましょうね。私も片棒を担いだ以上、後で一緒に謝りますから」
「……ううむ……」
イナリは腕を組んで唸った。
「それで、ポーション制作の方はハイドラさんの方で生産量を縮小して引き継いで頂いています。曰く、管理と作業が危険すぎて怖いとか」
「ま、致し方ない事じゃな。して、勇者はどうじゃ?」
「勇者……カイトさんですか。それが、完全に音沙汰無しになってしまったのですよね。教会の噂では、部屋に引きこもっているとか」
「……ううむ、そっちに転がってしまったかや。となるとお主、泣き落としせねばならんかもしれぬのう……」
「はい?」
イナリの言葉に、エリスは尻尾の間から顔を覗かせた。
<ファシリット視点>
教会本部の生活区画の一室の戸を叩き、その部屋の主へ向けて声をかけます。
「カイトさん、食事の時間です。……入りますよ」
返事が返ってこないことはわかりきっているので、合鍵を使って扉を開き、食事を乗せたカートを押して入ります。部屋はカーテンすら開けられていないせいで薄暗く、ベッドにはカイトさんが包まった毛布の塊があります。
それを後目にテーブルに移動して食事の支度を進めつつ、カイトさんに文句を零します。本当は毛布を引き剥がしてやりたいところですが、彼の力には到底敵わず、やむを得ずこの状態でいることを許している状態です。
「もう四日目ですよ。いつまで引き籠っているんです?」
「……」
「せめて何か喋ってくださいよ」
カイトさんは、先日参加した作戦で仲良くなった少女が死亡したことにショックを受け、それからというもの、ずっとこの調子です。
私が部屋を去った後で食事は摂っているようですが、このままではこの世界の未来と、僕の未来がどんどん危うくなります。ランバルト様や他の方からも、早く勇者を動かせるようにしろと催促されています。それができるなら、とうにそうしていますよ、全く……。
「……イナリさんは……」
「!」
数日ぶりに聞く、やや掠れたカイトさんの声に、僕は手を止めて向き直りました。
「イナリさんは、何処か親近感があって、仲良くなりたいって、思っていたんだ……。きっと、地球の事も、何か知っているんじゃないかって……」
そういえば、カイトさんは以前もそんなことを言っていました。
確か、「イナリ」という言葉は彼の世界のもので、服の一部も彼の世界のものと共通点があったとか。しかしこれも本人談で、彼の世界の事も、犠牲となった少女の事も最早わからない以上、真偽は闇の中です。
さて、僕はどんな言葉をかけるべきでしょうか。こういう時は、まずは理解を示してから、言いたいことを述べるべきだと聞いたことがあります。
「……確かに、カイトさんと少なくない接点のある方が亡くなられたことは、大変痛ましいことです。心中お察しします。……ですが、残酷な事ですが、この世界ではそれはよくある事なのです。カイトさんが居た世界とは、違います。私たちがこうしている間にも、アルト神の加護が及ばず、見えないところで苦しみ、失われる命は数えきれないほどあります」
「……だから気にするなって言いたいのか?」
カイトさんは毛布を剥がし、幾らかやつれた表情と共に、怒気を孕んだ声色で問いかけてきます。
「まさか。僕が言いたいのは、カイトさんの力で救われる命がある、ということです。例えば、イオリさんはどうでしょう?これだって、もしカイトさんが奴隷解放などという暴挙に出なければ、今頃魔物退治に駆り出され、魔物の餌となっていた可能性がありますよね?」
「……それは」
カイトさんはハッとした様子で目を逸らします。
それはそうと、今の話は完全にハッタリです。そもそも、イオリさん達は事務作業に割り当てられる予定だった者達のはずなので、私が言ったような可能性は皆無と言ってよいでしょう。
ともかく、一度見えた活路は活用するに限ります。僕は勇者の前に立ち、目を合わせて訴えます。
「わかりましたか?今のカイトさんは、身体に精神が追い付いていないだけで、それを克服すれば、世界を救うだけの力があるのです」
「世界を救う、力が……」
カイトさんは自分の手を見て言葉を反芻します。もう一押しです。
「そうです。我々も今回の件については重大に受け止め、適切な対処法を編み出しております。さあ、この首輪を装備してください。開発者の言が正しければ、これで貴方の精神は楽になります。今までカイトさんが協力していた研究の成果とも言えましょう。さあ、どうぞ」
僕はおもむろに魔道具を差し出し、カイトさんがそれを身につけ、魔道具が正常に動作したことを確かめました。
……これで漸く、勇者を動かせるようになります。長く険しい道のりでしたが、何とかなりましたよ、ランバルト様。




