256 口裏合わせ ※別視点あり
<エリス視点>
「――さい。……起きなさい」
イナリさんが居ない寂しいベッドで一人寝ていると、突然体が揺さぶられる感覚があります。
「んん……何ですかもう……」
まどろみながら手を伸ばすと、そこにはモフモフとした感触が。こ、これは……!
「イナリさん!?」
「違うわよ。貴方、尻尾が付いていれば誰でもいいわけ?」
「あ、何だ。はあ……」
「そういうわけじゃないみたいね。……一途なのは結構だけれど、露骨にテンションを下げられると、それはそれで腹が立つわ」
私達はお互いにため息をつきます。イナリさんが戻ってきたと思ったのに……。
さて、目が覚めてきたので改めて、私が寝るベッドに腰掛ける自称イナリさんの姉、アースさんに目をやります。
「全く。貴方に会うだけだったのに、前と全然違うところに居たせいで無駄に時間がかかったのよ?しかも、こんな辺鄙な場所に住んでいるし……」
「仕事ですからね。それで、私に何か用ですか?イナリさんの事ですか」
「ご名答よ。話が早くて助かるわ」
「……もしかして、イナリさんが神天星にいることに関係しますか」
「神天星?」
「はい。神託の直前に瞬く、アルト神様が居ると言われている星です」
「……どうしてそう思ったのかしら?」
「イナリさんに持たせていた発信機の挙動からの推測です。この羅針盤の指す先と神天星の方角が一致していますから」
私が羅針盤を手渡すと、アースさんは窓際に移動して空を見上げて確認します。
「なるほど、適当を言っているわけじゃないみたいね。このことは他の誰かに話した?」
アースさんは目を細めて私に問いかけます。
「いえ。……そもそも『神天星に行く』と言うのは死の婉曲表現の一つですし、言ったところで、という感じでしたので」
「賢明な判断ね。……そういえば、何か変な物持ってたわね。今後は持ち物も確認すべきかしら」
アースさんは纏っていた険悪な雰囲気を霧散させると、そう言いながらベッドに再び腰掛けました。もしかしなくても、選択肢を誤ったら消されていたのでは……?
ちなみに、今回の件で確信に至っただけで、イナリさんは前々から何か転移的な行動をしているだろうとは考えていました。きっと話せない事情があるのでしょうし、変に探って嫌われてしまってもいけないので、あえて触れてきませんでしたが。
「さ、本題に入りましょ。……まず断っておくけど、これから話すことはイナリのためであり、私のためであり、あなた達のためでもあるの。それを前提に聞いてちょうだい」
「は、はい」
改まった様子で前置くアースさんに、私の体にも緊張が走ります。きっと、彼女が神であることが一層それに拍車をかけているのでしょう。
「……しばらくの間、イナリは死んだことにして欲しいの」
「何故ですか?」
「詳しくは話さないわ。でも、この件についてはイナリも賛同してくれているし、決して悪い話では無いのよ」
アースさんの態度には揺らがぬ意思を感じるとともに、質問することすら許さないような雰囲気があります。この件に関して深堀りは難しそうですね。
ここはアースさんの言葉に頷いて、それと同等くらいに大事なことを確認することにします。
「今、イナリさんはどうしているのですか?会うことはできますか?」
「イナリは今、天か……神天星で元気にしてるわ。ただ、少なくともこちらに連れてくることはできないわね。まあ、あなた達の間で神託のやりとりは出来ると聞いているし、それで十分だと思うけれど」
「いえ、ダメです。私はもうイナリさんが居ないと生きていけない体になっているので、最低でも二日に一回は触れ合わないと正気が保てません」
「その発言がもう正気じゃないわね」
アースさんは私に白い目を向けてきますが、これは本当の事なので仕方がありません。イナリさんはいずれ万病に効くようになります。
イナリさんとの脳内会話は、普段と違って淡白な応答しか返ってこないので満足できないのです。……普段と違う口調で話すイナリさんも悪くはないのですが。
「はあ……まあいいわ。イナリも貴方に会いたそうにしてたし、どうにか面会できる手立ては考えてあげるわ」
「イナリさんが、ですか?……そ、そうですか。ふ、ふふ、えへへ……」
「その代わり、貴方は貴方の役目を全うしてもらうわ」
アースさんはそう言うと、何か小さなものを投げ渡してきます。
「これは……指輪ですか?イナリさんがつけていたものと似ていますね」
「私が関与しているのだから当然よ。さて、貴方には最低一日一回、地上での出来事を私に報告してもらうわ。基本的には人間界での出来事と、勇者とゆが……魔王の動向を確認しておいて欲しいの」
「……そんなことで良いのですか?」
「ええ。残念だけど、私はこの世界を見渡すことはできないし、イナリが地上に居られなくなると、地上の情報が断絶されてしまうの。だから、割と責任重大よ?」
「なるほど……」
私は返事を返しつつ、手中の指輪を眺めます。
「それに触れて光った状態にすると私と通信することができるわ。周りに人が居ないことを確認してから使ってちょうだい。それと、何かわからないことがあったらそれを使って聞くことも許すわ」
「わかりました。他の皆さんにはどうしたら?」
「他の?ああ、あの男達の事ね。んー……今、イナリはどういう認識になっているの?」
「イナリさんを知る皆さんは失踪として扱っていますし、世間的にも同様ですが、半ば死亡扱いです」
「そう、それは都合がいいわね。それなら変に動かず、仲間を失って悲しむ神官として振舞うこと。あと、もしその指輪について聞かれたら、イナリの形見とでも答えたらいいわ。……とにかく、イナリが死んでいるという認識を維持することが何より大事なの」
「わかりました」
わかりました、とは言ったものの、全くもって意図はわかりません。ただ、今更それを蒸し返したところで何にもならない以上、頷くほかありません。
「それじゃ、言いたいことは言ったから、そんな感じでよろしくね。それじゃあ――」
「待ってください!」
アースさんが明らかに帰る雰囲気を醸し始めたので、私は慌ててそれを引き留めます。まだ一つ、重要な問題が残っています。
「最後に、イナリさんはいつ帰ってくることができるのでしょう?」
「さあ?魔王が討伐された後辺りじゃないかしら。『実は生きてました!』とでも言って合流すれば、大団円よ」
「え、そんな三流小説みたいな展開で良いのですか……?」
「煩いわね、別に何でもいいでしょ。じゃ、任せたわよ」
アースさんはそう言い残すと目の前で姿を消し、後には私一人だけが残されました。
<イナリ視点>
真っ白な雲のような地面が広がり、用途不明の歯車が回転して音を鳴らす天界。
その一角の開けた場所にアースが手を掲げて壁を作り上げ、大きな箱を作っている。
「のう、お主は先ほどから何をしておるのじゃ?」
「貴方の部屋を作っているのよ」
「あの、一応ここ、私の世界なんですけど……」
イナリの問いに答えるアースを見て、アルトが小声で声を上げる。
「計画を進める上で必要なことよ。拒否権は無いわ」
「それは承知しています。でも最近、地球神様の横暴っぷりが加速している気がします……」
「まあ、何じゃ。元気出すのじゃ」
「ありがとうございます……」
イナリはアルトの背をぽんと叩いた。なお、こうしている間にもアルトの手は世界の調整作業のために動き続けている。
「よし、できたわ」
アースはそう言うと、壁に手を付けて扉を作って開ける。中にはただただ白い面に囲まれた空間があるのみだ。
「……何も無いのじゃ」
「安心して。これから貴方と相談してちゃんとした部屋にするわ。基本的には私室として自由に使ってもらって構わないけれど、あの、貴方の信者の女との面会所でもあるから、そこは気を付けるのよ」
「うむ、助かるのじゃ」
「ただ……面会の方法を考えてなかったのよね。私が転移してやるしか無いとして、何時面会させようかしら」
「確か、連絡用の指輪を渡したのじゃろ?多分、その都度連絡が来ると思うのじゃ」
「それもそうね。それなら気にしなくてもいいかしら。早速模様替えと行きましょう」
「うむ。我は温かみがある感じの部屋がよくての――」
アースの言葉にイナリは頷き、尻尾を揺らしながら理想の部屋を創り上げていった。
なお、この後、アースはものすごい頻度でエリスに面会を要求されて頭を悩ませることになるのだが、それはまた別の話である。




