255 碌でもない作戦 ※別視点あり
イナリは茶菓子を齧り、長考しては遠くのアルトに話しかけ、再び考えこむという動作を繰り返すアースを眺めながら考える。
「……そういえば、我が爆破せずとも、放っておけばゴブリンらは全滅したのでは……?」
あの濁流は明らかに洞窟を埋めんばかりに流れ込んできていたし、何も、イナリが直接手を下す必要など無かったのではないだろうか?
「いやいや、万が一にでも生き残ったら拙かったのじゃからの、我の判断は間違っておらんのじゃ」
イナリは己に言い聞かせるように頷いた。わざわざゴブリンの血まみれになってまでしたことなのだ。それが無駄であっただなんて、あまりにも悲しいことだ。
ちなみに、イナリが着ていた服はアースが召喚した物干し竿に干されている。まだ洗ったわけではないので、後で血を落とさなくてはならない。
「そういや、地上はどうなっているじゃろか」
イナリの予想では、そろそろエリスが安否確認のために言葉を送ってくるのではないかと思っていたのだが、未だにそういったことは無い。普段のエリスの様子からしたら中々に考えにくい事なのだが、何かあったのだろうか。
そう訝しんでいると、アースがイナリの方に向き直って口を開く。
「……よし。イナリ、決まったわ」
「ふむ?一体何が決まったのじゃ」
「その、誤解しないで欲しいのだけれど。イナリには一旦死んでもらおうと思うわ」
あまりにも過程を飛ばして結論を述べるアースに、イナリは驚きのあまり思考が停止した。「誤解しないで」とは言うが、何が誤解で、何が正解なのだろうか?
「地球神様、流石にそれでは、狐神様に伝わるものも伝わらないのでは……?」
遠くで世界の調整作業をしているであろうアルトがやや呆れ気味に問いかけると、アースは手を前に出して答える。
「まあ落ち着きなさい。順を追って説明するわ」
「う、うむ……」
イナリは動揺しつつ、椅子に座り直した。仮にここで「お前の命はここまでだ」などと言われたらすぐに逃げる準備はしていたのだが、それは杞憂に終わりそうだ。
「して?詳しい説明を求めるのじゃ」
「ええと、簡単に言うと、転移者が歪みに対処するためのモチベーションを上げたいのよ」
「な、何じゃ?餅、平……?」
「ええと、つまり、やる気を出させたいってことよ」
「……ふむ?関連性がまるでわからぬが」
ますます積もる疑問に、イナリの首はどんどん傾いていく。
「確認だけど、アルトは転移者に歪みを対処させたい。私は転移者を無事に、出来る限り早く返して欲しい。イナリは転移者に討伐されたくない。そうよね?」
アースの確認にイナリは頷く。これは以前話したことと相違ない。
「でも、聞いた限り、今の転移者はまるで歪みに対処できそうな様子ではなさそうなのよね?」
「そうじゃな、ただでさえ魔物に怯えておるのに、魔王……歪みを対処できるとは到底思えぬ」
「そうよね。だから、このままダラダラしてたら、アルトと私の望みはどちらも達成されない。これをどうにかするために、転移者にはちょっと頑張ってもらいたいのよ」
「……具体的には?」
「まず、今回の一件でイナリを死んだことにするわ。皆貴方の行方を知らないみたいだし、普通の獣人だと思われているのなら、問題ないわよね」
「それはそうじゃが……」
あまりに躊躇なくとんでもないことを口走るアースに、イナリは面食らった。
「それで、転移者には己の無力を嘆いてもらうの。それはもう、たっぷりと」
「はあ」
「そして、二度と同じような事態を起こさないと決意させる。そして率先して魔物を倒すようになり、人を、世界を救いたいと願うようになり、やがて魔王も討伐する。そして私の世界に帰ってくる!……これを短めのスパンでやらせれば完璧よ。どう?」
「いや、どうじゃろうか……」
途中からさも名案と言わんばかりに興奮した様子でまくし立てるアースに対し、イナリは首を傾げた。そっとアルトの方に目をやれば、彼は諦めたような表情で首を振る。
「そも、転移者はお主の世界の人間じゃ。お主、転移者が精神的な影響を受けることは受容できるのかや」
「勿論、何の変化も受けずに帰ってくるのが最善ではあったのだけれど、異世界に入って一定期間が経ってしまった時点で精神への影響は計り知れない以上、ある程度は許容してあげるわ」
「なるほどのう……」
「勿論、今すぐ返してくれるならそれに越したことは無いとは念押ししておくけれどね。アルト、感謝しなさいよ?」
「はい、本当に……」
アースが話を投げかけると、アルトは死んだ目で答えた。それを後目に、イナリはさらに問いかける。
「そも、転移者はそう望み通りにうまく動くじゃろうか。寧ろ、死を恐れて引き籠ったりすることも考えられぬか?」
「……まあ、その時は貴方の信者に泣き落としでもさせましょ」
「碌でもないのじゃ……」
「まあ、必要なことと思ってちょうだいな。というわけで、『イナリの犠牲を乗り越えて成長してもらおう作戦』、どうかしら?分かりやすいし、アルトは歪みに対処出来て、私も少しでも早く転移者を返してもらえて、イナリも討伐されない。名案でしょう?」
「色々と粗が目立つように思うが、試す価値はありそうじゃ。……ただ、我の生活はどうなるのじゃ?」
「しばらくはここで過ごしてもらうことになるわね。……何?あの信者と一緒に居られないのが悲しいの?」
「……まあ、そうじゃ」
イナリはやや羞恥心を感じつつ頷いた。
「そう。……多少の融通は効かせてあげられるから、その辺は安心していいし、貴方の仲間に限っては、適度にぼやかしつつ事情を私の方で説明してあげる。それに――」
アースは立ち上がり、イナリの耳元に顔を寄せて囁く。
「ここに居てくれる限り、欲しいものは何でも提供するわよ?地球の娯楽も、食べ物も、何でも、好きなだけ。……それでも嫌?」
「喜んで引き受けるのじゃ」
イナリは即答した。
<ディル視点>
イナリが突然居なくなってから、一時間ほど経った。
俺たちはイナリに発信機を持たせたエリスの言葉に従い、ゴブリンキングが居た洞窟の入り口に来ていた。
……そう、「居る」ではなく、「居た」だ。洞窟は既に崩落したようで、三十秒ほど歩けば最奥に到達してしまう程に短くなった。この様子では、ゴブリンキングも死んだとみていいだろう。
そして今、土魔法を使える魔術師を動員し、かつて洞窟だった場所に埋まっているであろうイナリを掘り出す作業が始まろうとしている。
ただ、建前上は救出なのだが、洞窟の様子と常識を勘案したら生存している可能性など皆無で、死亡確認の側面が強そうだ。そんな中でも、イナリについてよく知るリズは、今にも採掘作業を始めようとしている。
その間、俺は辺りを見回し、イナリが洞窟以外のどこかに向かった可能性に賭けて痕跡を探している。……ただ、今のところ、見つけた痕跡は全て洞窟の中に侵入することを裏付けるものばかりだ。
それと、勇者はえらくショックを受けたようで、現在エリックが付き添って様子を見ている。俺はこういう時に気が利いた声が掛けられない以上、エリックに任せるしかない。勇者のヤツ、心が折れてなければいいんだが。
そう思っていると、視界の端にただ立ち尽くして空を見上げているエリスの姿が入る。そういえば、一番イナリの身を案じるはずのあいつが騒がないのは変だ。現実逃避でもしているのか?
「……ディルさん今、私の事を内心馬鹿にしましたよね?」
「いや、そんなつもりは無いが」
こいつもイナリみたいなことを言うようになったのか。親しい者の口癖は移るとか言うが、これもその一環かもしれない。
「まあいいです。ところで、採掘作業を中止させて頂けませんか?」
「何故だ?」
「イナリさんはもう、ここには居ないからです」
エリスはそう言うと、再び空を見上げた。




