253 速戦即決
「どうにも、ゴブリンキングが洞窟の最奥で籠っているらしい」
「それは厄介ですね……」
事情を尋ねてきたディルが皆のもとに戻って告げると、エリスが答える。
「どういうことじゃ?」
「ゴブリンキングっていうのはゴブリンの最上位種の一種なんだけど……時間をかけて生まれるタイプの個体で、結構珍しいんだよねえ」
「罠が多かった辺り、そんな雰囲気はあったんだよな……。ゴブリンキングは、最上位種の中でも戦闘力はそこまでなんだが、指揮能力に秀でている個体だな。過去、こいつに潰された村や街はいくつもある」
「ふむ。しかし、以前リズがトレントを燃やした時のように、魔法をぶつけたら終わるのでは……ああ、そこで洞窟が問題になるわけじゃな」
「そういうこった。取り巻きも普通に厄介で、完全に籠城体制に入られているらしい」
「ま、エリック兄さんたちは大変そうだけど、時間をかければ何とかなりそうじゃない?」
「それがどうにも、火薬をチラつかせてきているらしくてな……下手に刺激すると洞窟を崩落させられるか、最悪全員巻き込んで自爆される可能性があるらしい」
「ということは、崩落する可能性があるのかや?」
「そういうことになりますね」
イナリの問いにエリスが頷く。
だとしたら、かなり拙い事態だ。もし何らかの拍子にゴブリン達が自爆した場合、たとえ救命魔道具の力があったとしても、それに巻き込まれたものは等しく地面に埋まる事になるだろう。それは、アルトの加護を受けたカイトであっても変わらないはずであり、死と言っても過言ではない。
イナリは背筋に汗が浮かぶのを感じつつ、冷静にディルに問う。
「ディルよ、この後どうなるのかは話しておったかの?」
「支援要請も無ければ、連絡に近い雰囲気だったからな。一旦洞窟を出て作戦を練り直すとは聞いたが」
「……そうか」
イナリはやや俯き、小さい声で返事を返した。
「ま、洞窟を水で満たす辺りが有力だと思うけどね。……それにしても、リズがもっと動いてたら、こうならずに済んだのかな」
「そうは言いますが、肝心の冒険者自体が居なかったのでしょう?いきなり他所のギルドと連絡を取るのも難しいでしょうし、リズさんは十分に役目を果たしていたと思いますよ」
「そうかな。ありがとう、エリス姉さん」
「リズが反省している様子、すげえ違和感が……いや、何でもない」
リズに睨みつけられたディルはすぐに言葉を止めた。
「全く、何時まで経ってもディルさんは学習しませんね。ここまで来ると分かっててやってるのかってくらいですよ。ねえ、イナリさん……イナリさん?」
エリスは先ほどまでイナリの頭があった場所を撫でようとして、そのまま虚空を撫でた。
「あれ?イナリさんが……さっきまでここに居たのに!?」
突然失踪したイナリに、エリスが立ちあがって声を上げた。
そのイナリはと言うと、ディルの言葉に返事を返した段階で、さりげなく己の背嚢を手に近くの物影に隠れて不可視術を発動し、拠点から拝借した救命魔道具を片手に、洞窟へ向けて森を走っていた。
些か早計な行動であることは否めないが、自分だけ小隊に合流したいというのは無理があるし、違和感が無い形で勇者云々の説明をすることも難しい。何より、これからイナリがしようとしていることを説明したら間違いなく止められることを確信している。
故に、順調に脱走できたのは運がよかったと言えるだろう。
「ええと、確かこっちだったはずじゃよな」
走り出す前に作戦立案用のテントに侵入し、件の洞窟の場所は抑えてある。後はその場所に向かうだけである。
イナリはブラストブルーベリーを一粒口に放り込んで齧りながら、草木をかき分けて走る。
「間に合わねば、世界が滅んでしまうのじゃ……!」
勿論、これは確定事項ではない。
勇者が撤退させられることでイナリの懸念が無に帰す可能性は大いにあるし、それならそれで構わない。しかし、少々くどくはなるが、勇者カイトの身に何かがあっては遅い。
しかも厄介なのは、カイトはこの事実を知らずにのうのうと生きていることがほぼ確定しているということと、彼の立場の都合上、危険に足を踏み入れることは避けられないということだ。
故に、面倒であっても、事情を知っており、かつ一番近場に居るイナリが対処してやらねばならない。
「全く。こんなことならば、適当に理由をつけて引き留めてやったらよかったのじゃ……!」
イナリは走りながら文句を零した。その直後、脳内に聞き慣れた神官の声が響く。
――イナリさん、今どこに居るのですか!?
――森。
――森!?戻って来れそうですか?
――無理。これは我の意志。
――な、何で……?
――こうしないと、世界は滅ぶ。
――ど、どういうことですか……!?
――詳しいことは後。
――わ、わかりましたけど。大丈夫なんですよね?あとでちゃんと聞かせてもらいますからね!?
――大丈夫、戻れる。
適当にエリスの問いかけに対処したイナリは、走ることに集中することにした。
そして三十分ほどで目的の洞窟へ到達した。道中、躓いたり道を誤ることはあったが、概ね順調である。
なお、目的地だと断定した判断基準は、何か入り口にたくさん人が居たことである。これだけだと少々怪しかっただろうが、中にはエリックやカイトの顔もあるので、間違いないはずだ。
「……ふう。覚悟を決めるのじゃ」
イナリは息を整え、一人洞窟ヘ足を踏み入れた。
「暗いのじゃ」
イナリは速やかに洞窟を引き返した。果たしてどうしたものか。
近くに松明でもあればそれを拝借しようかとも思ったのだが、火薬があるとのことだし、悪手かもしれない。ここは一つ、他人の助けを得るのも手か。
――エリス。暗いところで見える方法。
――あの、まさかですけど、洞窟に居たりしませんよね?
――教えて。
――……スターゲイザーの花弁を食べるといいですよ。イナリさんの家に植えてあったアレです。
――覚えてない。
――藍色の花です。その辺りに生えていると思いますよ。
エリスの言葉に、イナリは辺りを見回す。確かにそんな感じの花を、ここに来るまでの間に見た気がしないでもない。
「これかの?確かに、我の家に生えていたものに似ている気がするのじゃ」
イナリはその花を一つつまみ取り、花弁を口に含んだ。……ものすごく苦い。
「うぐぅ……本当にこんなので暗いところが見えるようになるのかの?」
軽く咳払いをしつつ、イナリは再び洞窟を覗き込んだ。すると、先ほどは暗闇であった洞窟が、洞窟の形状が掴める程度には見えるようになっている。
「おぉ、すごいのう。実に便利な花じゃ」
イナリは内心感動しつつ、洞窟の奥へと歩を進める。少々肌寒く、不気味な雰囲気が無いことも無い。
さて、今回イナリが計画しているのは、「自爆作戦」、つまり、人間たちが洞窟に再び乗り込む前に、そして、ゴブリンが人間たちを巻き込んで自爆する前に、逆にこちらから自爆してやるというものだ。
勿論、自分を犠牲にカイトを助けるという話ではなく、洞窟が崩落して押し潰される前に天界へ転移し、自分の身の安全を確保することを織り込んで計画を立てている。そも、神と人間の価値が等価なわけがないのだ。
勿論、失敗すると色々な意味でとんでもないことになるので、失敗は許されない。
「さて、改めて……行くか」
イナリは意気込み、洞窟の奥へと足を踏み入れた。
そして、その後を追うように少しずつ、水が流れ始めた。




