251 人質救出
準備が完了すると、早速イナリは発信機と爆薬を持って、ゴブリンの集落に向かった。
道中、カイトや見知らぬ冒険者も同行していたが、お互い名乗る以外には大した会話も無く、取り立てて言及すべきことは無かった。「虹色旅団」で動いていた時は和気あいあいとしていたものだが、こういう雰囲気の方が普通なのかもしれない。
「にしても、命に関わることを見知らぬ者に命を預けることについて、何も思わないのじゃろうか。まあよいか」
イナリは独り言を呟きながら茂みをかき分けて進んだ。既に不可視術を発動して皆のもとを離れているので、イナリの声に答える者は居ない。
……そういえば、不可視術を使うと記憶がおかしくなるみたいな話があったが、今回は大丈夫だろうか。一応、爆破を終えたら都度不可視術は解除しておこう。
元々この森はそこまで生い茂っている森では無かったのだが、イナリの力の影響で日に日に草木が成長し、緑化が進んでいる。
流石に魔の森のようにトレントが歩き回るようなことは無いが、とはいえ木の根に躓きそうになったり、茂みが邪魔で通行に苦労する機会は増えつつある。
こうなると、行方不明とされている「樹侵食の厄災」の動向が観測されるのも時間の問題だろう。本来これは「魔王の侵略」ではなく「豊穣神の恵み」のはずなのだが。
「……我、人間社会での生活は向いておらんのかのう」
勇者関連の話が落ち着いたら、魔の森に籠るのが一番幸せなのかもしれない。問題は、どうやって落ち着かせるのかの見通しがまるでないことだが。
イナリがあれこれ思いを馳せているうちに、最初の目的地である集落に到着した。粗末な小屋が三軒、周辺に数体のゴブリン達がいるし、地図と実際の地形を照らし合わせても、ここで間違いないはずだ。
「さて、早速爆破……の前に、中を見てまわらねばいかんのじゃったな」
イナリは堂々と小屋の中を覗き込む。
一軒目と二軒目は床に草を敷き詰められていて、一匹、いびきをかいて眠るゴブリンの姿があった。ここは寝床だろう。
三軒目は武器らしいものから何にもならなそうなものまで、様々なものが積まれていた。きっと、人間から奪ったものも含まれているに違いない。
「しかし、人は居なそうじゃな!」
イナリは引き返し、いそいそと爆薬を設置し始めた。何度も爆破を経験してきたイナリは、丁度良い配合や配置方法、安全な着火方法を編み出しつつあり、いよいよ専門家を自称しても良さそうな領域に至っていた。
そんなわけでイナリが手早く爆破作業を終えると、すぐに別動隊が乗り込んで生き残ったゴブリン達を屠っていった。これにて、一つ目の目標は達成である。
「さて、次に行くかの」
イナリは懐にしまっておいた布切れで手を拭うと、再び森に潜っていった。
その後、五カ所の拠点をまわってはいつも通りの仕事をこなし、そのまま最後の目標地点まで辿り着いた。ここまで、大所帯で動き始めた割には大したことが無いというか、今までの延長線の域を出ない印象を受けるし、トレントに囲まれていた時の方が余程大変だったと言えよう。
あるいは、イナリの仕事以外の部分で大変なことがたくさんあるのかもしれないが、それは知る由が無いことだ。
「さて、ここも誰も居らんとは思いたいが……何か居そうな感じがするのう……」
今までのゴブリン集落と比較すると、ここだけと比べて妙に規模が大きいというか、元々あった石造りの建物を乗っ取って展開しているようだ。
辺りをうろつくゴブリンも妙に強そうで、中には剣や杖を持つ個体も居る。
「ま、何が居ようが我には関係ないがの」
イナリは彼らを後目に、石で組まれた建物の中に侵入して部屋を見てまわり、間もなく捕縛された人間を発見した。
そこに居たのは、男三人、女二人。多くは語らないが、粗雑な作りの木の柱に括りつけられ、中々見るに堪えない状態になっていた。
「……実に悪趣味じゃな」
この部屋には監視役のゴブリンが二体居る。彼らを風刃で倒すことは可能だろうが、その後どうしたらいいのかはわからない。
「これは、あやつのもとに戻る他無いのう……」
イナリはため息をつくと、カイト達が待機することになっている場所へ引き返すことにした。
「――というわけで、お主らの出番じゃ。後は任せたのじゃ」
「イナリさんはどうするんです?」
「む?我は遠くから応援しておるのじゃ」
「そ、そうですか」
呑気なイナリの言葉に、カイトは脱力して返事を返した。
「それより、よいのか?他の皆はもう行っておるぞ?」
「え?あ、ちょ、待ってください!」
イナリが促すと、カイトもすぐに後を追っていった。何というか、他の仲間は皆、仕事第一というか、不愛想な感じらしい。
「さて、我もどんな感じか見ておるとするかの」
待っているだけというのもつまらないので、イナリは再び不可視術を発動し、堂々とカイト達についていった。
彼らは集落の近くまで忍び寄り、カイト達と別の襲撃組と合流すると、迷いなく電撃系の魔法を放ち、密かに孤立しているゴブリンを気絶させた。
そして、ある程度ゴブリンの数を減らしたところで、二組に分かれ、片方は建物の中へ、もう片方では剣士系の役職の者が突撃していく。カイトは後者の一員で、彼は果敢に近くの剣を持ったゴブリンに斬りかかった。
ここまではよかったのだが、彼は剣で両断するのではなく、そのまま剣の側面で殴り飛ばしていて、イナリはぽかんとしてしまった。恐らくアルトによって増強された腕力に物を言わせているのだろうが……。
「あれでは、剣を持つ意味がないじゃろ……」
これならば棍棒とかで十分だし、何なら素手でもいいだろう。あのような力を持っているのにゴブリンが怖いとか言っていたのは理解に苦しむし、どうしたら袋叩きになるようなことがあるのだろうか。
余談だが、イナリにも腕力増強の加護をもらえたりしないだろうか。そうしたら、毎回重い扉を開けるのに苦労しなくなるし、どこぞの神官から濁ったような眼で「無力で可愛いですねえ」などと言われることも無くなると思うのだが。
そんなことを考えながら集落の様子を見ていると、冒険者の一人が背後に忍び寄った杖を持ったゴブリンに魔法を撃たれ、負傷している様子が目に留まった。それに対処するために近くにいる冒険者が彼を物影まで連れていくが、無慈悲にそのゴブリンは連続で魔法を放つ。
すると、それに気がついたカイトが魔法の射線上に飛び込み、その身で受けて床に転がった。彼の反射神経は中々のものらしい。
「なるほど、ああして袋叩きに遭うわけじゃな」
イナリもそうだが、体が傷つかないとはいえ、痛覚はあるのだ。故に、痛みに悶えている間に囲まれてボコボコにされるというのは、想像できない話ではない。
さて、そうこうしているうちに魔術師のゴブリンを含むゴブリンが全滅し、それに引き続き、建物の中から捕縛されていた人間たちが現れる。一体中で何が起こっていたのかはわからないが、少なくとも、解決はしたらしい。
「……ふむ、これにて落着といったところか」
イナリは不可視術を解除し、皆のもとに合流することにした。
「はあ、はあ……あ、イナリさん、お疲れ様で――」
「お主、動くでない」
「えっ」
「――ゴギャッ!?」
イナリは風刃を放ち、勇者の背後に忍び寄っていた、死んだふりをしていたゴブリンに止めを刺した。エリック達と行動を共にしていた時によく見た、ゴブリン達の常套手段である。
「……よし。さて、ご苦労じゃ」
「は、はい……」
したり顔で告げたイナリに対し、カイトは震えた声で返事を返した。
てっきり称えられるだろうと思っていたイナリは、萎縮したカイトの態度に首を傾げた。




