250 ささやかな企み
再び戻って、作戦決行当日。
「――で、何じゃったか。お主は囮として集落に突っ込んで、我はそれを応援しておれば良いのじゃったか」
「違う!……ええっと、予定が固まるまで待機って話だったはずですよ」
「わかっておるし、言ってみただけじゃ。はあ……」
勇者に「万が一」があれば大変な事になるのはよくわかっているし、そうなる兆しがあれば、どうにか阻止せねばならないとは思っている。……あまり気は進まないけれども。
イナリはため息をついて、目の前の人の群れを見る。
そこには、テントを張ったり、馬車から荷物を降ろしたりする者も居れば、イナリの仲間たちのように、知人と会話をしたり、作戦に関する打ち合わせをしている者もいる。
その中でも、冒険者らしき者は兵士と比べると少数で、アルテミアの街ではあまり見なかった、ディルみたいな人相の冒険者が多い。さらにそのなかでもごく少数、獣人をはじめとする人間以外の種族の姿もある。察するに、今回の作戦では、他所からも幾らか人員を引っ張ってきたのだろう。
きっと皆、各々が何かしらの役目を持っているはずだ。
「……だのに、我らは待機じゃと?気に入らんのじゃ」
勿論イナリだって、何もゴブリンを屠りたくてたまらないとかではない。今回の作戦だって、やる気があるかと言われれば否である。多分、「帰っていいよ」と言われたら帰ると思う。
そんな意識激低のイナリが何故待機命令に不満を抱いているのかといえば、皆が己の役割を持っている中、自分だけが宙づり状態で放置されているからだ。何となく、自身が蔑ろにされている感じを受けてしまう。
つまり何が言いたいかというと、もしこれが「神を働かせるなんて畏れ多いから待機していてください」ということであれば、喜んで頷いていたはずである、ということだ。
……という理屈を、先ほど皆に長々と説いたところ、ディルに「面倒すぎる」と一蹴されてしまった。神に対して何たる物言いだろうか。
そんなわけで諸々の不満を露わにしたイナリに対して、カイトが俯いて答える。
「冒険者の皆さん的には微妙かもしれないですけど、僕としてはこのまま待機でいいんですよね……」
「何というか、お主も人が変わったかのようじゃな」
カイトの呟きにイナリは返事を返した。
彼がこのようになった理由は大体わかるが、それにしたってここまで意識に変化が起こるものだろうか。あるいは、他の皆がそれなりに理解を示していたのを見るに、寧ろゴブリンに手をかける前後で変化がなかったイナリの方が普通ではないのかもしれない。
「ま、我は他とは違うということじゃな、ふふん」
「……なんか、幸せそうでいいですね」
「何じゃ。そう言うお主は、散々好き放題してた割に不幸せそうじゃな」
「そうですね。夢を見ていたというか、幻想を抱いていたというか……」
カイトが空を見上げ、感傷に浸るような面持ちで呟く。
「どうだか。所詮、一時的なものだとは思うがの……」
正直、カイトがこのまま燻ってくれるのなら、行動が予測しやすくなるし、無駄にこの世界の社会情勢を搔きまわさなくなるだろうから、とても都合がいい。
ただ、偏見でしかないが、何の躊躇いもなく奴隷を解放するような者が、この程度で挫折するとは到底思えない。そんなわけで、イナリは彼を冷めた目で見ることしかできなかった。
さて、イナリが再び人群に目を向けると、此方へと歩いてくるエリックとエリスの姿があった。
「二人とも、作戦がある程度固まってきたから共有しに来たよ」
「ほう、結局我らはどうするのじゃ。帰ってよいのかや?」
「いや、カイト君にもイナリちゃんにも、ちゃんと仕事はあるから安心してね」
「そう、ですか……」
カイトは露骨に顔を顰めた。余談だが、エリックはカイトの事を君付けで呼ぶことにしたらしい。
「さて、まず作戦の概要なんだけど……ゴブリンの本拠地は、この森の奥にある洞窟数か所であることが分かっている。だから、まずは、森に点在する拠点を分散して一斉に叩いて、その後洞窟を叩くということで固まった」
「というわけで、イナリさんには、実に不本意ではありますが、先遣隊として、いつものように爆破作業をしてもらうことになります」
――ただし、不可視術の扱いには気を付けてください。万が一、魔物の中を堂々歩くイナリさんが見られてしまうと、色々とややこしくなる可能性が高いです。
――わかった。
エリスが口頭と神託で役割と注意事項を伝えてくるので、端的な返事を返す。こういう時には実に便利な能力だ。
「地図を渡すから、印がついた場所を爆破して戻ってくればいいよ。ただ、少し気を付けてほしいところがある。今まではディルに確認してもらってたんだけど、捕まった人が居ないか確認する必要があるんだ」
「む、いつの間にそのような事を?というか、人間が捕まっておるのかや」
「はい。その……装備を剥がされて利用され、さらに人質、あるいは『人盾』にされ、最終的には食料にされます」
「……なるほどのう」
エリスに告げられた、捕らえられた者の悲惨な末路にイナリは静かに相槌を打った。カイトもまた、反応からして想像していたものとは異なったようである。
イナリはゴブリンをただの害獣的な位置づけと認識していたが、中々に業が深い者だったらしい。果たして、この世界に来た当初、人間と誤解したままあれらに捕まっていたらどうなっていたのだろうか。少なくとも、「人盾」としての性能なら右に出るものは居ないと思うのだが。
そんな冗談はさておき、イナリはエリックから地図を受け取る。文字は読めないが、地図は読めるので問題ない。
「それで、誰かがいた場合は、一旦爆破はやめて引き返して、カイト君に伝えてほしい。それで、カイト君なんだけど――」
エリックはカイトに向き直り、改まった様子で告げる。
「基本的には、イナリちゃんについて爆破地点の近くの安全圏で待っていて欲しい。ただ、もし捕まっている人がいたら、救出してほしいんだ」
エリックの声にカイトは困惑した様子で小さく手を上げる。
「いや、そもそもなんですけど……イナリさんが、爆破するんですか?」
「うん、イナリちゃんはそういう能力に秀でているから、心配しなくていいよ」
「そ、そうですか、異世界すごいな……。それで、具体的に助けるっていうのはどうすれば?」
「それは勿論、貴方の力でですよ。カイトさん」
「えっ」
エリスの返事に、カイトは硬直する。
「気持ちはわかる。でも、カイト君のトラウマは早めに脱却しないと、どんどん悪化していくだろうから、早めに解決したほうがいい」
「で、でも……」
「勿論、無理にとは言わない。何人か信頼できる冒険者と兵士をつけてもらえるみたいだから、無理だと思ったらすぐに退くこともできる。だから、少し挑戦してみて欲しい。……どうかな?」
エリックとエリスは、カイトにトラウマと向き合わせる機会を設けることにしたようだ。
それに対してカイトは困った様子だが、ここにはもう一匹、それが都合が悪いと考える狐が居た。
「いや、その必要は無いのではないか?」
イナリはおもむろに手を上げ、異議を唱えた。
「詳しくは知らんが、きっとこやつ、恐怖で動けないと思うのじゃ。好んで怖い思いをしたい者など居らぬし、先日ディルが言ったように、人命も懸かっておるのじゃ。故に、ここは一つ、こやつを帰らせてやった方がいいと思うのじゃ。カイトよ、お主もそう思うじゃろ?」
イナリは黒い笑みと共にカイトの顔を覗き込む。
「……何か怪しいですね。私の知るイナリさんはもっとこう、利己的というか……理由なく他人を思いやるイメージが無いんですよね。何か企んでませんか?」
「お主、我を何だと思っておるのじゃ」
「イナリさんはイナリさんです。あ、勿論、そういうところも含めて好きですよ?ふふっ」
「いや、聞いておらぬが……」
暴言に等しいエリスの言葉に、イナリは口をへの字に曲げた。しかしどこ吹く風、エリスはイナリの頭を撫でまわした。
すると、しばし黙っていたカイトが口を開く。
「やります。やらせてください!曲がりなりにも、僕は勇者なので……!」
「よし、決まりだね!それじゃあ、一回向こうに戻って話を詰めてくるよ」
エリックはそう言うと、背を向けて人群に戻っていった。
「……ちぇ、惜しかったのう」
「やっぱり何か企んでいたのですね……」
イナリの呟きを拾ったエリスは、苦笑しながらイナリの頬を軽くつまんだ。




