248 我は?
ゴブリンについての騒動があった翌日。
例に漏れず、イナリの一日はポーション配達から始まる。今日はエリスと共に過ごす予定になっているので、パーティハウスからハイドラのラボ、そして配達先の教会まで、終始エリスが同行している。
「そういえば、もし我らが殲滅作戦に呼び出されたとして、お主は参加する予定なのかや?」
「ええ、ほぼ確実にそうなると思いますよ。自分で言うのは何ですが、冒険者として活動できる回復術師というのは貴重ですから」
「ふむ、前にも似たようなことを聞いた気がせんでもないのじゃ。……ちなみに、我はどうなるのじゃろうな?」
「どうなる、とは?」
「ほら、我、たくさんごぶりんを爆破しておるじゃろ?となると、今回も皆が我の力を求めるのではないかと思うての」
「ああ……きっと、イナリさんも声がかかるかもしれませんね。一緒に活動できるのは嬉しいのですが、色々と複雑な気分ではあります……」
「我が危険な事をしておるからかや?それなら、我は平気じゃと再三説明したじゃろうて。それに、本当に危険な時はお主が守ってくれるのじゃろ?」
「……そうでしたね」
エリスは微笑みながら、白昼堂々、路上でイナリを抱き寄せて撫でた。
なお、本人は失念しているのだろうが、アルテミアにおいて、イナリは移動中ずっと不可視術を使っている。つまり、傍から見たら今のエリスは虚空に話しかけ、虚空を抱く不審者でしかないのだが……周囲に人は居ないし、別に教えなくてもいいだろう。
さて、目的地の教会の手前に到着すると、不可視術を解除し、教会へと入る。
いつもならば真っすぐ裏にある倉庫へ進みポーションを収納するのだが、今日に限ってはそうではなかった。
「あれ、狐ちゃんだ」
「む?お主、何故ここにおるのじゃ?」
イナリを呼び止めたのは、会う度イナリにお菓子を渡してくる冒険者の女性だ。名前こそ知らないが、イナリの中ではそれなりに親しい関係である。
「いやあ、昨日依頼でマズっちゃってね、ちょっと生死の境をうろついてたみたいなんだ。あいてて……」
「大丈夫ですか?傷は塞がったとはいえ、すぐに動くのは危ないです。安静にしていてください」
「いやあ、教会から出られないし、知っている顔を見たら挨拶くらいはしたくなっちゃって。すみません、エリスさん」
「気持ちはわからなくもないですけど……」
エリスは小さくため息をつく。察するに、昨日エリスのもとに運ばれた急患は彼女のことなのだろう。あるいは、他にもいるのかもしれないが。
「ところで、一日経ちますが、何か異常はありませんか?」
「はい、おかげさまで!……ごめんね狐ちゃん、私今こんなんだからさ、今日のおやつは準備できないや」
「んや、構わぬよ。早く治るとよいのう」
「へへ、ありがとう。呼び止めちゃってごめんね!」
彼女はそう言うと、少し離れた場所の寝具に移動して横になり、イナリに小さく手を振った。
それを見届けたイナリは今度こそ教会の奥へ移動し、背負ったポーションを机に降ろしてため息をついた。
イナリがこの二週間ほどアルテミアで生活してわかったことだが、健康な状態にない人間がそこかしこにいる状況というのは、イナリにとって精神衛生上あまり良くないらしい。
最近はそれにも慣れてきたと思ったが、先ほどの女性との会話が、再びイナリの中に漠然とした不安感を喚起させた。今回もまた、原因を考えたいようで考えたくない、そのような心情が沸きあがり、やきもきすることになる。
「大丈夫ですか?」
そんな心情を察してか、エリスがイナリの尻尾に軽く触れて話しかけてくる。
「……んや、問題無いのじゃ」
「そうですか。辛くなる前に、いつでも相談して頂いて構いませんからね」
「うむ」
イナリは軽くエリスに体重を預け、心を落ち着かせた。
そのまま一分ほどの時が経つと、エリスが改まった口調で話しかけてくる。
「それはそれとして、少しお話があるのですが」
「む?何じゃ?」
イナリが聞き返すと、エリスはしばし言い淀んだ後、口を開く。
「その……誰からでも物を受け取るの、やめませんか?」
「む?しかしそれは、我の流儀に反するのじゃが」
「そうかもしれませんけど、私、心配なんです。お菓子を餌に、イナリさんが誑かされてしまうのではないかと……」
「いや、メルモートで毒入りの飴を渡された時を思い出すのじゃ。我にだって、流石に最低限の分別はある。それに、お主にも似たようなことを幾度とされた記憶があるのじゃが、その点どう考えておるのかの?」
「あー……この話、やめましょうか。焼き菓子、食べます?」
「うむ」
イナリは焼き菓子を受け取り、口に放り込んだ。思ったより硬く、咀嚼に苦労した。
さらに二日経つと、漸く殲滅作戦に目途が立ったらしく、イナリを含む「虹色旅団」はギルドへ召集された。ここにはぽつぽつと冒険者の出入りは増えているが、とはいえまだまだ人は少ない。
そんなわけで、一同が酒場のテーブルを一つ占領すると、リズが一枚の紙をそこに広げる。
「ええと、これが今回の作戦の依頼書なんだけど……リズ達は、結構全体的な仕事が要求されてるよ」
「……偵察、陽動、補助、攻撃……確かに、大まかな役割は満遍なく、って感じだね」
「ま、俺たちに出される依頼としては、いつも通りではあるな」
エリックとディルがそれぞれ反応する。
「ただ、今回はイナリさんも指名対象に含まれていますよね?イナリさんは何が期待されているのでしょうか?」
「順番に見ていこうか。偵察は……ディルとエリスが対象だね。ここはいつも通りだ」
「ああ。何も言うことは無えな」
「そうですね」
エリックの言葉に対象の二人が頷く。
「次に陽動と攻撃。ここはリズと僕か」
「うん。多分いつも通り、ぼかんとやってドカッ!って感じだよね」
「それでは何もわからんのじゃ……」
「で、補助はエリスか。……これもいつも通りだ」
エリックはそう言いながら、紙を降ろして顔を上げた。イナリはその動作に不穏な空気を感じつつ口を開く。
「……え、我は?」
「えーっと、ちょっと待ってね……」
イナリが問うと、エリックはやや焦燥感を伴いつつ、再び依頼書に目を通し始める。
「まさか、載っていない……?我、あんなに活躍したのに……?我……我は……?」
「イナリさん、落ち着いてください。何か、闇に堕ちそうな感じになってますよ。それはそれで可愛いんですけど、一旦落ち着いてください、ね?」
「お前はお前で、本当にブレないな……」
必死にイナリを宥めるエリスがふと零した言葉に、ディルが呆れた目を向ける。
「あった!イナリちゃんの名前、書いてあったよ!」
「そ、そうか。そ、そうじゃよな。この我を差し置くなんて、そんなことするわけがないのじゃ。して、我は何をすればよいのじゃ?」
エリックの声にイナリは気を取り戻し、尻尾を振って尋ねた。
「……ええっと。要約すると、よくわからないから好きにしてください、みたいな感じらしい」
「……そうか。じゃ、我、帰るのじゃ」
拗ねてイナリが立ち上がろうとしたところを、エリスが全力で抱き止めた。




