245 事後報告(前)
勇者が冒険者ギルドに乗り込んできた日の翌朝。
イナリはパーティハウスの戸に備え付けられた鐘が鳴る音で目を覚ます。
「……んん、うるっさいのう……」
メルモートの家と比べると、イナリがエリスと共に寝ている部屋はより玄関に近く、しかもご丁寧に来客用の鐘までついているものだから、気持ちよく寝ているところで鳴らされると不快以外の何物でも無いのだ。
「誰でしょうか?……まあ、今私がすべきことは、イナリさんと一緒に寝ること以外ありませんし、多分ディルさん辺りが出てくれるでしょう」
エリスも目を覚ましていたようで、僅かに身を起こして窓の外を確認すると、再び毛布を被り直して、イナリの方に身を寄せてくる。
「さあ、一緒に二度寝と決め込みましょう」
「うむ」
エリスの言葉に頷き、イナリもまた、もぞもぞと彼女の方に身を寄せる。最近は少しずつ寒くなってきているので、お互いの温もりが心地良く、再び二人を眠りへと誘う。
だが、それを妨害するかのように、再び鐘が何度も鳴らされる。これではせっかくの朝のまったりとした雰囲気が台無しである。
「……これ、私が出ないとダメですか?」
「んー……んや、大丈夫じゃろ。ディルかエリックの足音がするのじゃ」
イナリがそう答えると、扉の向こうから扉の開閉音とエリックの声、続いて、リズの声が響く。
「あ、本当ですね。……でも、すっかり目が覚めてしまいましたし、私達も動きましょうか。はあ、イナリさんとの貴重な時間が……」
「貴重とは言うが、ほぼずっと一緒に居るではないか」
「そうは言いますが、私がイナリさんと一秒離れることによって生じる損失がどれほどか、予想がつきますか?」
「いや知らんが」
一体、目の前の神官は何を言っているのだろうか。イナリは呆れた視線を向けつつ立ち上がり、衣装棚に手をかけた。
手早く普段着の着物に着替えて部屋の外に出ると、間もなくリズが手を上げながら駆け寄ってくる。
「おはようイナリちゃん!ごめんね、多分寝てたよね?」
「んや、良いのじゃ。それで、お主はどうしたのじゃ?」
「ああそうそう、ええと……何かさっきね、ベイリアさん?って人から『虹色旅団』宛ての手紙が届いてたから、皆で読もうと思って」
リズはそう言うと、手に持っていた巻物状態の紙を見せてきた。そこにはいつぞや見た、解くと変色する赤い紐が巻き付けられていた。
「それで、エリス姉さんは起きてる?」
「はい、起きてますよ。あれだけ鐘を鳴らされれば、ねえ?」
「……ごめん」
「ふふ、冗談ですよ。わざわざありがとうございます」
エリスはそう言うと、リズの頭を三角帽子越しに撫でた。……どうでもいいことだが、彼女がイナリ以外の人物を撫でている様子は初めて見た気がした。
「それじゃ、読もうか」
エリックが代表して巻物の紐をほどき、手紙を広げる。すると、パサリと四つ折りに畳まれた紙きれが零れ落ちる。
「ん、何だこれ?……グレイベルさんからの手紙か。しかも、イナリちゃん宛て?」
「む、まさか恋文ですか?ダメですよ、イナリさんにはもう私という存在が――」
エリスは勝手に手紙の内容を断定し、それに基づいた謎の主張を展開し始めた。
「リズが知らない間にエリス姉さんの脳内がお花畑になってる……」
「いや、こいつはお前と別れる前からこんなんだぞ」
「……確かにそうだったか」
「そんなことはどうでもよいのじゃ。ひとまず、ベイリアの手紙を読んでほしいのじゃが?」
「そ、そんなこと……?私とイナリさんの関係が、そんなこと……!?」
「あいや、誤解するでないぞ?議論する必要なぞないということじゃ」
「あ、そういうことでしたか。なんだ、ふふふ……」
エリスは微笑みながらイナリを抱え上げて膝に乗せた。この一連の流れを見て驚愕するのはリズである。
「……イナリちゃんも結構すごい事言うようになってる……リズが居ない間に一体何が……??」
「……とりあえず、ベイリアさんの手紙を読もうか」
困惑するリズを置いて、エリックは手紙の内容を読み始めた。
少しずつ冷えつつある今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
先日はお世話になりました、アルト教会ニエ村支部教会長、ベイリアです。
先日の取り決めにより、此度のニエ村における異変に関する調査結果と、依頼完了処理に関してお伝えさせていただければと思います。
結論から申し上げますと、アルト教ナイア支部は、ニエ村の異変について黙殺する方向に舵を切っています。
原因は、第一に、元よりニエ村がアルト教に対して特殊な関係にあった上、今となっては住人の行方すらわからなくなってしまった事、第二に、被害者の大半が獣人であり、アルト教の庇護下に無く、あまつさえアルト教に本格的に反抗する兆しを見せているため、いずれも救済の必要が無いと判断されたためです。
そして今、私はニエ村……厳密には、元ニエ村の支部に再度配属されました。今度は獣人の動向観察の任だそうです。助けてください。今この手紙を書いている時も、涙で紙が滲んでしまいそうです。
ただ、グレイベルさんも一緒に居てくれることになりましたので、その点は不幸中の幸いと言えましょう。寧ろ、私に被害が及ばないよう、元ニエ村に屯する獣人と良い関係を構築しようと試みてくれています。彼は本当に素晴らしい方です。
さて、今回の一件に関する細かい点についてのうち、皆さんが気になるであろう部分に絞ってお伝えさせていただきます。教会からの調査結果は以下の通りとなります。
・ニエ村に魔道具を持ちこんだ者 不明
・ニエ村に魔道具が持ち込まれた理由 不明
・ニエ村に持ち込まれた魔道具の効果 損傷過多により調査不可
・魔道具によって被害を被った者への救済 無し
また、私が冒険者ギルドに救援を求めた依頼は、始めから存在しないことになっていました。よって、冒険者ギルド経由の依頼完了手続きも不可能ということになりました。
お手数ですが、私が「虹色旅団」宛てに、「依頼を受けて完了する」旨の指名依頼を出しましたので、それを受理し、完了手続きをしていただけるとありがたい限りです。
具体的な報酬に関しましては、依頼の方にて詳細にお伝えさせて頂いております。何卒よろしくお願い申し上げます。
以上、報告とさせていただきます。
お体に気を付けて、アルト神の御加護と共に、皆様のご活躍をお祈り申し上げます。
エリックが読み上げ終わると、一同の間に沈黙が流れる。それを破るのは、リズの呆れ果てた声であった。
「……話は多少聞かされてたけど、酷いね、色々と……」
「ああ。『何もわからなかった』を限界まで引き延ばしたらこんな風になるんだろうな」
「途中、ベイリアさんの本音が見え隠れしてましたね……」
「それで、もう一通の、我宛ての方は何じゃろか?」
「それも気になるね。わざわざ別で用意するってことは、きっと何か意味があるはずだよ」
「恋文だったらすぐに教えてください。燃やしますので」
「んなわけなかろうに……」
イナリは過激派エリスに呆れつつ、自分宛ての手紙を取って広げた。
「……あ、そうじゃ。我、文字がわからんのじゃった。エリスよ、ちと――」
イナリはエリスに手紙を読ませようとして逡巡した。
グラヴェルがわざわざイナリに宛てて手紙を書くということは、彼の後ろめたいあれこれが絡む可能性があり、エリスにそれを読ませるのは少々拙いのだ。
となると、彼の事情を多少なりとも察している者が適任だ。イナリはエリスの膝から降り、ディルの前に手紙を差し出す。
「ディルよ、先にここにある内容に目を通して欲しいのじゃ。そして、ひとまず我にだけ内容を教えて欲しいのじゃ」
「俺か?まあいいけどよ……」
ディルは訝しみつつも渋々と手紙を受け取り、広げて目を通し始めた。
その傍らでは、自分を差し置いて他人を頼られたことにショックを受け、イナリから手紙を受取ろうとした姿勢のまま硬直する神官の姿があった。




