243 とある日の冒険者ギルド
イナリがゴブリンの拠点を爆破したことで、イナリのアルテミアでの生活は概ね定まり、そのまま二週間ほどの時が経った。
ここで簡単に、イナリがどのような一日を過ごしていたのか説明しよう。
朝は朝食を食べながら皆と一日の予定を擦り合わせ、ハイドラのもとへ赴いて「群青神薬」を回収・製造し、指定された配送先へ届ける。
……余談だが、初日に試験的に少年にポーションを渡した時以降、ハイドラから秘匿性を維持するよう念押しが入り、毎日ポーションを届けるイナリは、ただのお手伝いということになっている。なお、肝心のイナリが秘匿性の重要さを失念していたのはここだけの話である。
閑話休題。その後はリズと冒険者ギルドで駄弁ったり、エリックやディルと共にゴブリン拠点を潰したり、エリスと共に昼食を食べ、そのままの流れで、毛布を運ぶなどの簡単な仕事を手伝ったりすることもあった。
そして夜はパーティハウスでゆっくりとした時間を過ごし、始めに戻る。多少変動こそあるが、概ねこの繰り返しである。
今日もまた例に漏れず、イナリはポーションを教会に届けて、今回はリズと共に冒険者ギルドで一日を過ごす予定だ。
そんなわけで二人がギルドに入ると、二名のギルド事務員と、数名の冒険者と会うことになる。
「お、リズちゃんに狐ちゃんか。いい朝だな!」
「うん、おはよう。今日も頑張ろうねー」
「おはようじゃ」
彼らは皆、元々魔力欠乏症で倒れていた者達で、「群青神薬」を飲んで回復した者達でもある。
この二週間でイナリは平均して一日七十本程度の群青神薬を生産し、順当に見積もって千人程度が魔力欠乏症とかいう状態から回復している見込みだ。
実際この成果は目に見える形で表れていて、冒険者ギルドもこうして所謂「閑古鳥状態」では無くなったし、街も多少活気を取り戻し、小規模ながらに営業を再開した店なども現れ始めた。
まだまだ解決までの道のりは長いけれども、これはよい兆しと言って差し支えないのではないだろうか。
「リズさん、今朝守衛団から届いた報告書と依頼書です」
「ん、りょーかい。後で見ておく」
リズは今もなおギルド長の代わりとして働いており、冒険者や事務員とは顔見知りの関係になっている。どころか、見た目に反して妙な貫禄すら漂い始めている始末だ。
その関係上、時々共に行動するイナリも「狐ちゃん」などと呼ばれ、男女問わず友好的な関係を築けている。
この呼称に神としての威厳こそまるで無いが、イナリは呼称について特にこだわりは無い。一定の敬意や好意さえあれば、何とでも呼べばいいと思っている。
「狐ちゃん!はい、今日のおやつ!」
「うむ」
イナリは冒険者の女性から少量の菓子が入った袋を受け取り、それを一つ摘んだ。供物を得られるのも、イナリの神としての威厳の賜物である。
「ところでリズさん、ギルド長はいつ復帰しそうでしょうか?」
「んー、教会の厳正な抽選次第だね」
「そうですか……」
細かいところは知らないが、イナリのポーションが誰に配られるかは、重篤な状態の者を除き、基本的には無作為で決定されるらしい。曰く、アルト神が全てを決めることになるのだとか。
「でも、俺はギルド長のおっさんよりリズちゃんの方が接しやすくていいし、構わねえけどな」
「そこ、不謹慎な言葉は慎むように」
「へーい。んじゃ、早速今日の仕事、行ってきますわ」
「はい、お気をつけて。アルト神の御加護がありますように」
「行ってらっしゃい、気を付けてねー」
リズが手を振って見送ると、冒険者たちも手を振り返して歩き去っていった。イナリもそれに倣って小さく手を上げた。
「さて、今日はどんな感じかなっと」
リズは定位置となっている受付カウンターの左端の椅子に座り、報告書の束を持ち上げて眺める。イナリもその隣に座り、何となく雰囲気で報告書を眺める。相変わらず何が書かれているのかはさっぱりだ。
なお、イナリが堂々と事務室に侵入していることについて言及する者は誰も居ない。
さて、アルテミア周辺の魔物事情であるが、これも人員の増加によって人手不足は改善はされつつある。しかし、それよりもゴブリン達の拡充速度の方が上回っている状態のため、油断はできない状態らしい。
ただ、それだとゴブリンは一日何体というペースで増加していることになり、色々とおかしいのではないかという疑問が起こる。
それについてエリスに尋ねたときは、「謎に包まれている」という簡潔な回答が返ってきた。
一方、リズとウィルディアの二人に尋ねると、魔力学が何だとか、世界循環マナがどうだとか、三時間にわたる講義が展開された。なお、理解できた話は一割にも満たなかったし、最終的には「謎に包まれている部分が多い」という結論に着地した。十分な知識を身につけない限り、彼女らに質問はしない方がいいのかもしれない。
そんな、この世界の神秘については置いておくとして。この二週間の間に無事手続きが完了し、イナリは冒険者等級2に昇進した。昇進による利点は、箔がつくことらしい。
「とは言うがの。等級が一上がったところでつく箔なぞ、たかが知れておるじゃろ……」
「イナリ様、それは違います。本来、等級1というのは信用は皆無に等しく、等級2になるというのは、それなりの意味を伴っているのです」
「そうそう。でもイナリちゃんの場合、等級よりもリズ達のパーティのメンバーっていう事実の方が強すぎるからね。あんまり意味が無いのは事実かもしれないね……」
事務員の一人の言葉にリズが同意しつつ、イナリの言葉にも同意する。なるほど、所属している集団というのは信用基準として重要な要素となるようだ。
「あ、イナリちゃん、ちょっとこの依頼書を掲示板に貼ってくれる?どうせ誰も取らないから、適当でいいよ」
「む、わかったのじゃ」
リズの言葉に頷き、イナリは依頼書の束を持って受付を出た。
そして足場となる台を設置し、その上に乗って紙を貼り付けていると、ギルドの入り口に見覚えのある男が現れる。
「リズさん!今日こそ僕を冒険者にしてください!」
「うげ……」
道場破りのごとく大声を上げる男の正体は、現時点でイナリが苦手な人間最上位の男、カイトであった。リズの方を見やれば、彼女もまた、中々に愉快な表情になっている。
それにしてもカイトは、初手で大声を上げる時点でかなり悪印象を与えているのだが、彼はこの後どう動くのだろうか。
「……あ、イナリさん!この前はすみませんでした!」
彼は視線をイナリの方へと移動させてその姿を認めると、そのままの声量でイナリに謝罪する。
「……いや、それはもうよいのじゃが、今じゃないじゃろ……」
物事の段取りが滅茶苦茶だし、人が少ないとはいえ公の場で謝罪するとは何事か。これでは、色々落ち着いたらエリスと共に謝罪に出向く話も意味を為さないだろう。イナリはため息を吐きつつ、手早く残りの依頼書をぺたぺたと掲示板に貼り付けてリズの隣に戻る。
すると、リズはジトリとした目と共に、改まった口調でカイトに喋りかける。
「……こんにちは、勇者さん。前も言いましたけど、貴方を冒険者にはできません。理由はお分かりですね?」
「わかっています。僕が……弱いからですよね?」
「違います」
カイトの言葉をリズは食い気味に否定した。
「お忘れのようなのでもう一度お伝えしますが、勇者としての責務を全うすべきとの判断から、教会より冒険者登録を認めないよう通達が届いております。以上より、勇者さんの冒険者登録を認めることはできません」
「……やっぱりそうですか……」
「え、まさかわかってて来たの?それ本気で言ってる??」
リズは困惑のあまり、取り繕った口調が剥がれてしまった。リズがこれまで何度もこんなやりとりをしていると思うと、同情を禁じ得ない。
「すみません。やっぱり、諦めきれなくて……。今日もこっそり来たんですけど」
「いや、こっそりとか堂々とか、そんなのはどうでもいいんだけど……。あ、でも、教会の人が来るまではここに居てね」
リズは自然な流れでカイトに滞在を促した。
「そも、お主は何故そんなに冒険者に拘るのじゃ?我も詳しいことは知らぬが、大して変わらんじゃろ」
「いや、何というか……憧れ、とでも言いましょうか」
「……それだけかや。お主の境遇には幾らか同情するが、まずは役目を全うするべきではないかの?」
「……うん。憧れる気持ちはちょっとわかるけど、でもダメです」
「そ、そんな。異世界は自由に暮らせるって聞いたのに……」
「そんな根も葉もない話、一体誰から聞いたのじゃ。そも、お主がこうして我らと会話できているのは、偏に教会に保護されておるからじゃろ。それを反故にするのは、道理が通らぬと思わないのかや?……保護だけに」
「……イナリさん、幼い割に、結構つまらないダジャレを言うんですね……」
「リズ、こやつの口を二度と開けぬようにするのじゃ」
「い、いやあ、気持ちはわかるけど、それはダメじゃないかな……?」
「お二人とも、仮にも勇者様なのですから、もう少し敬意を持って接して差し上げるべきですよ……」
「え、無理」
「うむ、無理じゃ」
「そ、そうですか……」
「女の子にここまで露骨に嫌われたの、人生で初めてかもしれない……」
子供二人組の言動をやんわりと咎めた事務員の言葉は容赦なく突っ撥ねられ、カイトは天井を見上げて涙した。
そして間もなく駆け付けた神官によってカイトは連行されていった。その背中は実に哀愁漂うものであったが、多分懲りずにまた来るだろうことを考えると、同情心はさほど湧かなかった。
 




