240 反省
エリスが教会をやや速足で歩いて後にしたイナリの後を追いながら、先ほどのイナリの暴挙について尋ねる。
「イナリさん、先ほどは一体どうしたのですか?」
「別に、なんでもよかろ」
「何でもよくはないでしょう。イナリさんがあんなに怒るところ、初めて見ましたよ」
イナリはその場に立ち止まり、目を細めてエリスを見る。
「何じゃ。まさか、謝れとでも言うのかや?」
「……いえ、イナリさんが理由もなく怒るような子ではないことは知っていますし、私からあれこれ言ったりはしませんよ」
「……なら、いいのじゃ」
これ以降会話は途切れ、二人は微妙な空気感のまま家路についた。
こうして二人が街の外れにあるパーティハウスに帰ると、特に何も言わず、エリスがあり合わせの物で適当に昼食を作ってくれた。
二人で机に向き合ってそれを食べていると、エリスが覗き込むようにイナリを見ながら口を開く。
「……イナリさん、落ち着きましたか?」
「……いや」
「そうですか」
二人は淡々としたやりとりを交わした。
イナリは教会から出て以降、ずっとモヤモヤとした気持ちに苛まれていて、それは今も変わらない。
……まさか、食事をすれば機嫌が治るとでも思われているのだろうか。そのような例は過去数回程度しかないし、そんな単純な神だとは思わないでほしいものだ。
その後、食事と片づけを済ませたら、そのまま各々自由時間に入る。といっても、イナリは基本的に、茶を淹れて窓際や外で飲むか、ソファやエリスのそばでくつろぐだけだ。
今回は後者で、エリスが先ほど手に入れた写真を自前のアルバムに保存する作業にあたっているところを漠然と眺めていた。
前々からエリスには、何らかの記念として、新聞の切れ端や文書などをアルバムとして保存する習慣があるようで、今回の旅にも最新のアルバムを持ってきたようだ。イナリの写真の数々もその一環として、一つ一つ丁寧にアルバムに綴じられていく。
「……これ、楽しいのかや?」
「楽しいですよ。あんなことがあったな、などと思い返しながら過去の出来事を保存するのです。しかも、後で当時の事を思い出すことができて、お得です」
「ふーむ、そうか。我は過去なぞ思い返したところで、別にじゃな……」
「それは……何も、楽しかった思い出などは無いのですか?」
「鮮烈なものは無いのじゃ。強いて言うなら祭事が挙げられるじゃろうが、それも当事者としての我は無く、ただの傍観者に過ぎなかったのじゃ」
「……では、最近は……最近は、どうですか?つまらないですか?」
「最近?うーむ……そうじゃな、こちらに来てからは、楽しいと思えることも幾らかあるのじゃ」
「そうですか」
エリスはそう言うと、微笑みながらイナリの頭を撫でた。
「……というか、お主の定義じゃと、我は『嬉しい事』なのかや」
「うーん……何というか、私にとっては、イナリさんと居ること自体、『嬉しい事』ですから。いつでもこれを見て、イナリさんの存在を感じることが出来るのは、素晴らしいことだと思いませんか?」
「……ふむ」
イナリは一言返事を返すと、机に広がった写真の内、エリスが写った写真を一枚手に取り、それを懐にしまった。
それを見たエリスは、しばし硬直した後、感動したように震えた。
「イナリさん。少し、お話しましょうか」
「……話、とな?」
アルバムの整理が一段落したところで、改まったようにエリスが口を開く。
「はい。今のイナリさん、ものすごく落ち着きがありません。もしかしなくても、先ほどの件を引きずっているでしょう」
「何故、お主にそんなことがわかるのじゃ」
「先ほどから、イナリさんの尻尾に何度もビンタされているからです」
「……ああ」
イナリは己の尻尾を見やり、気の抜けた声を漏らした。
完全に無意識だったが、勇者の一件での苛立ちを鎮めるためか、ずっと己の尻尾が左右に揺れていたようだ。それがエリスの顔面にに当たってしまったのか、あるいは当たりに行ったのかもしれないが、ともかく、感情が表出してしまっていたらしい。
「我も、もう少し感情を抑える練習でもすべきかの」
「いえ、それはダメです。何故とは言いませんが、ダメです、絶対に」
「そ、そうか……?」
イナリは、全力で止めにかかるエリスに困惑した。
「イナリさんは今のままで良いのです。……いや、それは一旦置いておくとして。もし、イナリさんが落ち着かない理由があるのなら、教えて頂けませんか?私も、力になりたいのです」
「……それはできぬ」
「何故ですか?」
「勘違いしてほしくないのじゃが、これは決して、お主を信用しておらぬとか、そういう話ではないのじゃ。……ただ、話せぬ事情があるのじゃ」
「なるほど。……では、私の勝手な想像で話します。もし的外れだと思ったのなら、戯言と思って聞き流していただいて結構です」
「は、はあ」
イナリが間の抜けた声を上げるのをよそに、エリスは彼女の推理を話し始める。
「突然ですが、イナリさんとカイトさんには共通点があるのです。何かわかりますか?」
「……ま、まさか……!?」
イナリは身構えた。まさか、二人とも地球からやってきたことが既に見透かされているのだろうか。
「それはですね、お互い、全然この世界の事を知らない、ということです」
「む?ああ、そっちか……」
「……そっち、とは?一体何だと思ったのです?」
「あいや、気にせんで良い。続けるのじゃ」
イナリは慌てて取り繕い、エリスに話の続きを促した。
「……少し引っ掛かりますが、いいでしょう。さて、お二人にそういった共通点がある一方で、決定的な違いもあるのです。それは……不快にさせてしまったら申し訳ないのですが……カイトさんは、イナリさんと比較すると、圧倒的にわかりやすく活躍しているのです」
「それは否、じゃ。我も現に、ぽーしょんの件で活躍はしている最中であろ?それに、ようわからん魔道具を破壊したし、よくわからん組織に潜入もしたし……魔の森の件も解決に貢献したのじゃ。……植物だけに、自分で撒いた種じゃが」
「……最後の一言はよくわかりませんが、概ね仰る通りです。ですが……イナリさんとしては、現状に満足できていないのではないですか?」
「む?」
「言ってしまえば、聞く限り、カイトさんは、彼の世界の話などで研究者に持て囃されているようでした。かたやイナリさんは、相対的に活躍に乏しく、どころか、世界の敵として認知される始末で、広く認められるような功績は少ないと言えるでしょう」
「……要するに、何が言いたいのじゃ」
「つまり、イナリさんは……劣等感を感じて、彼に嫉妬しているのではありませんか?」
「嫉妬?そんなわけ……」
反射的にエリスの言葉を否定する前に、イナリは少し考えてみることにする。
確かに、科学文明云々について説明することもできず、余計な事を重ねていく勇者に対する苛立ちはあった。とはいえ、普段から寛容を自負するイナリが激怒する程のことでは無かったであろう。
故に、先ほどのような行動を起こした理由として、嫉妬や現状に対する不満を挙げるのは、ある程度的を射ているように思える。
「実に認め難い事じゃが……お主の言うことには、一理あるかもしれぬ」
神ともあろうものが、たかが人間ごときに劣等感や嫉妬心を抱くなど、あまりにもみっともないことだ。イナリは己を恥じるとともに、腑に落ちた感じがした。
「やはり、そうでしたか。ほぼほぼ予想でしかありませんでしたが、イナリさんの悩みを解決する一助になったようでよかったです。……それに、イナリさんはこれから、色々な事を成し遂げることが出来るはずですし、そもそも、私はイナリさんの良いところやすごいところをたくさん知っています。ですから、決して、劣等感を感じる必要など無いのです」
「……そうじゃったな」
イナリは静かに返事を返し、エリスにもたれかかった。
「なので今から、私の考えるイナリさんの良いところを列挙します」
「……ん??」
イナリは身を起こし、エリスの方に向き直った。
「まず第一に、尻尾の柔らかさですね」
「それ、我の良いところではなくて、我の尻尾の良いところじゃろ。……って、そうではなくてじゃな!別にお主に言われずとも我の事は我が一番分かっておるし、わざわざお主が言う必要なぞ――」
「次に――」
「聞いておるのか!?エリス!止まるのじゃ!」
エリスによるイナリの良いところ発表会は、イナリが羞恥心から渾身の尻尾ビンタをお見舞いするまで続いた。そこまでの間に、十四点の「良いところ」が挙げられた。




