239 写真機
「ああ、いけません。この後に面談の予定が入っているのでした。私はこれで席を外しますので、皆さんはごゆっくりどうぞ」
ランバルトはそう言うと立ち上がり、礼と何か祈るような動作をして去っていった。
彼が去ると、エリスは軽くため息を吐きながら立ち上がり、イナリを抱え上げて膝の上に乗せて座り直した。
――エリス、大丈夫?
――心配してくれてありがとうございます、大丈夫です。ちょっと気を詰めて疲れていただけですので。
――そう。
実際のところは不明だが、エリスは、アルト教の世界観を壊しかねないイナリと、過激派とやらに属する男と同じ空間にいることに対して不安を抱いていたのだろう。あるいは、礼儀作法関係で小言を言われるのを避けていただけかもしれないけれども。
さて、二人の男のうち過激派の方は一旦置いておくとして、今度は勇者の方だ。地球とイナリが関連付けられることを避けつつ、上手い事情報を引き出さねばならない。先ほど勇者を引き離す態度を取った手前、はたしてどうしたら自然に会話ができるものだろうか。
そんなことを考えていたイナリであったが、イナリより先にカイトの方が動いてきた。彼は、しばしそわそわとした後、意を決したようにイナリに話しかけてくる。
「あ、あの。先ほどのお詫びも兼ねて、写真を一枚撮らせていただけませんか」
「ほう、写真とな」
「……シャシン、とは?」
カイトの言葉にイナリとエリスが各々反応を示す。
「僕が向こうから持ってきた機械……こっちだと、魔道具と言うんでしたっけ。それを使い、写真を撮る……ええと、空間を切り取って保存することが出来るのです。ちょっと待っていてください」
カイトはそう言うと立ち上がり、やや離れた位置にある鞄から何かを取り出して戻ってくる。彼の手には、手のひらよりやや大きいくらいの大きさの四角っぽい機械が握られていた。
「空間を切り取る……何か似たようなことを聞いたような気がしますね。その小さい道具でそのようなことが出来るのですか。危険は無いのですか?例えば、イナリさんの尻尾が切れてしまうとか……」
「お主、何を言うておるのじゃ……」
「はい、空間を切り取るというのは言葉の綾で、切り取られたら魂が抜け落ちるとか、そんなことはないですよ」
「なるほど、そうなのですね……」
エリスの問いに、カイトは慣れたようにそれを否定した。きっと、他の者からも似たようなことを聞かれたことがあるのだろう。
カイトの答えを聞いたエリスは、イナリの尻尾を撫でながら問いかけてくる。
「イナリさん、どうしますか?」
「……まあ、よかろ」
「わかりました!では、そのままの姿勢で座っていてください」
イナリが頷くと、カイトが機械を構える。
境内で写真を撮る人間は何度か見たことがある。記憶を探れば、確か、あの写真機とか言う機械が音を鳴らすまで待っていればよかったはずだ。
イナリの知識は正しかったようで、しばらくするとパシャリという音が鳴り、続いてカメラの側面から手のひらほどの大きさの紙きれが、時間をかけてゆっくりと出現する。それが止まったところで、カイトがそれを手に取り、イナリに手渡してくる。
そこには、教会を背景に、神バレ対策にやたらと服を着込んだイナリと、白い神官服に身を包むエリスの姿があった。
「これはすごいですね……」
「うむ」
イナリの手元を覗き込んだエリスが感服しながら呟く。イナリもまた、写真の何たるかは知りつつも、己の姿が写されたそれを見るのは初めての体験で、内心感動を覚えていた。
「……でも、一枚だと物足りませんね。もう少し撮れませんか?」
「いいですよ!予備もありますし」
エリスの言葉にカイトが頷きながら写真機を構えた。
――そして、一時間が経った。
「はあぁぁ、満足です。私のアルバムが充実しますよ……!」
「我は飽きた」
そこには、大量の写真を机に並べてご満悦の神官と、大量の写真撮影にぐったりとした豊穣神の姿があった。
「あ、あはは……喜んでもらえてよかったです」
流石にここまで長丁場になるとは思わなかったのか、これにはカイトも苦笑する。
「ところでずっと不思議に思っていたんですけど、この世界にはこういった技術は無いのですか?」
「そうですね、画家の方ならたくさんいらっしゃいますが、こういった魔道具は私が知る限りは無いと思います。リズさんなら知っているかもしれませんが」
「リズって……あの女の子ですよね?ギルドにいる、魔女っ子の」
「魔女ではなく、魔術師です。……本人に言ってはいけませんよ?」
「大丈夫です、もう言った後なので……。何なら、子ども扱いして本気で怒られたので……」
「そ、そうでしたか……」
悲しきかな、勇者は既にリズの逆鱗を撫でまわしてしまっていたらしい。通りで、リズの勇者に対する好感度がやたらと低いわけである。
「僕も冒険者になりたくて、どうにか仲良くなれないか頑張ってるんですけど……もしお知合いなら、少し助けてくれませんか?」
「いえ、私はしがない回復術師でしかないので……」
エリスはカイトからの相談をやんわりと断った。冒険者を勇者にする利点など皆無に等しいだろうし、当然と言えば当然である。
寧ろ、彼はリズとの対立を要因として捉えているようだが、奴隷を解放した一件だとか、本質的な問題は他にいくらでもありそうなものだが、そういった思考には至らないのだろうか。……奴隷を解放するくらいだから、至るわけがないか。
それはさておき、今回の写真機の件で気になることが出来たので、それを探ってみることにした。
「この写真機、すごいのじゃ。これを皆が持つことができればすごいと思うのじゃが、どうじゃろうか?」
かなり遠回しかつ知能指数の低そうな表現になったが、要するに、「これを量産する予定はあるか」という問いである。
何故それを聞くかと言えば、写真機が科学文明の産物だからだ。それが普及するということはつまり、魔術文明に変化を及ぼし、あわよくば神陣営が苦難を強いられる未来が回避できる可能性があるということだ。
そういった目論見のもとに投げかけられたイナリの問いに対し、カイトが答える。
「ああ、簡単な仕組みは知っているので、それを共有して、魔道具を作ろうという計画はあるんですよ」
「あ?ああ、なるほどのう、そうか……」
何ということだろうか。あろうことか、写真機という科学文明の産物は、見事魔術文明に取り込まれつつあるようだ。
確かにイナリの予想には希望的観測が多分に含まれていたが、それにしたって、ここまで徹底的に科学文明が芽吹かないとは思っていなかった。
そんなイナリの心境は露知らず、カイトは聞いてもいないことを喋りはじめる。
「いやあ、異世界に来たら、ただの趣味知識でも社会の役に立てるって、すごいですよね?こういうの、その手の小説だと、『知識チート』とか言うんでしたっけ?友達がよく、そういう話をしてたんですよ」
「はあ」
「他にも、いくつか知っている機械の話もしたんです。研究者さんが喜んで話を聞いてくれるので、すごい楽しいんですよね」
「……そうか」
「あ、それに、何故かこの世界に来てから、古代言語とか、魔術言語とかも読めるようになってて。魔法学校の文献を研究者の人と一緒に読んだりしてるんです。おかげで、失われた魔法の復元にも目途が立って。僕の役目は魔王を倒すだけとは言われていたのですが、こういう面でも役に立てて――」
そこまで聞いたところで、イナリは全力で机を叩き、目の前の男の言葉を遮った。やや当たり所が悪かったようで手がヒリつくが、今はそんなことはどうでもいい。
「……もういい。貴様、己が何をしておるか、本っ当に、何一つとして分かっておらぬな」
「い、イナリさん?」
「ど、どういう……?」
困惑するエリスとカイトを見て、イナリは少し冷静になった。ただでさえ思慮の浅いカイトに魔術文明がどうこう言うわけにもいかないし、結局のところ、今の言葉は八つ当たりでしかないのだ。
それに気がついたイナリは、大きくため息をつき、やや痛む手をさすりながら席を立った。
「……萎えた。エリスよ、帰るのじゃ。今日はもう、何にもする気が起こらぬ」
「え、ちょ、ちょっと……?」
イナリは困惑するエリスをよそに教会の方へと歩を進めた。エリスもまた、机に並べた写真を丁寧にまとめて懐にしまい、カイトに礼をしてイナリの後を追った。
後に残されたカイトは、ただ茫然としていた。




