238 勇者カイト・キクノ
密かに不可視術を解いたイナリは、エリスと手を繋いで、恐る恐る問いかける。
「のう、あやつは何者じゃ?」
「私が幼い頃、師事して下さった方の一人です。主に礼儀作法が中心で、僅か半年程度ではあったのですが……」
「ああ、懐かしいですねえ。あの頃から、エリス殿は実に才能のあるお方でした」
ランバルトがしみじみと頷く傍ら、エリスはイナリの脳内に発言の続きを送る。
――彼はアルト教の幹部の一人で、いわゆる過激派です。先ほどの問いかけも、回答次第ではとんでもないことになっていた可能性がありました。まったく、ヒヤッとしましたよ……。
――すまん。
その件に関しては自分でもどうかと思っていたぐらいなので、イナリは素直に謝罪した。
それにしても、過激派なる概念は、メルモートを初めて訪れた日に少し聞いたきりであったが、そんな大層な派閥を名乗るのだから、てっきり腰や背に武器を五本くらい携えて、返り血で染まった装備で身を包んでいるくらいのものを想像していたのだが、そういうわけではなかったらしい。
それに、彼が何とも言えない胡散臭さを纏っているのを除けば、イナリがアルト教信者か探りを入れる程度で、それ以外には特に変な様子は見られない。
……まあ、エリスの言うように、返答を誤るとそうはいかなかったのだろうけれども。
「ところでエリス殿、差し支えなければ、そちらのイナリ殿とのご関係を伺っても?」
「ええと、森で迷子になっていたところをほか――保護したのです」
「今、捕獲と言いかけておらんかったか?」
「……それで、今は私が加入する冒険者パーティに加入しまして、共に生活しています。今では、私にとってかけがえのない存在です」
エリスはイナリの指摘を受け流しながら頭に手を置いて、何だかいい感じにまとめた。それを受けて、ランバルトはうんうんと頷く。
「なるほど、なるほど。……エリス殿も、大切に思えるものを見つけられたのですね。それは素晴らしいことです。……最近は獣の動きが不審ですから、少々気になりまして。それもこの間、獣の集団の対処をしたばかりですから」
「……そう、ですか」
エリスは静かに返事を返した。
あくまで推測でしかないが、彼はアルト教信者以外をとことん下に見ているようなきらいがある。
よって、アルト教に対立する獣人という種族は侮蔑の対象に他ならず、しかしイナリは先のやりとりのおかげで例外に置かれたのだろう。二元論的で、如何にも人間らしい考え方だ。
「ところで、勇者様というのはどのような方なのでしょうか?巷では噂が錯綜していて、それを聞いた限りだと、その……」
エリスが言葉を濁すと、ランバルトは苦笑して口を開く。
「民は噂話が好きですからね。……全く、アルト神直々に派遣された勇者に、何たる物言いか」
「……アルト神直々に、ですか」
「そうです!我々が苦しんでいるこの状況下、アルト神より神託が下されないということは、彼は神器に代わって召喚されたものと見るべきでしょう!」
「は、はあ……」
ランバルトが歩いていた足を止めて興奮したように声を上げると、それに反比例するようにエリスが小さく返事を返す。事の真相を知るイナリもまた、冷めた目でそれを見つめる。
「……んん、失礼。少々日々の鬱憤が漏れてしまいました。それで、勇者については……そうですね、噂による先入観もあるでしょうし、実際に見て感じ取ってもらう方が確実でしょう」
ランバルトは軽く咳ばらいをして、再びイナリ達に背を向けて歩き始めた。
しばらく歩き教会の裏口を出ると、広い庭に出る。
そこには、木刀を振る少年の姿があった。イナリには人間の年齢感がはっきりとはわからないが、見たところ十六歳前後だろうか。
「カイト。来客です、挨拶を」
「ランバルトさん、わかりました!初めまして、僕、カイトキクノで――イオリ!?」
木刀片手に歩みよりながらカイトキクノと名乗った少年は、イナリを見ると声を上げる。
「……のじゃ?我か?」
「イオリ、あの後、大丈夫だったのか!?」
「いや、知らんが……」
イナリはカイトに肩を揺すられながら困惑していた。エリスもまた、困惑しつつカイトの手を払い、イナリを抱きとめて護る姿勢に入る。
「……カイト。彼女はイオリではなく、イナリ殿です。失礼のないようにしなさい」
「えっ、あ、す、すみません。獣人の見分けがあまりつかなくて……」
カイトは己の間違いに気がつくと、頭を下げた。
「聞きたいことは色々あるが……まあよかろう」
獣人の見分けがつかない事なんてあるだろうかという疑問こそあるが、それはさておき、イナリは肩をパタパタとはらいながら、エリスに神託を飛ばす。
――イオリ、ここではよくある名前?
――いえ、旅路で聞いたもの以外は一度も。
――そう。じゃあ、探って。
「すみません、その、イオリという方は一体……?」
「イナリ殿とそっくりな獣人で、カイトが以前解放してしまった奴隷の一人です。……まずはその件からお話しましょう。さて、どこから話したものやら……」
ランバルトがエリスの問いに答えながら、周辺にあった人数分の椅子を向かい合わせて座ったので、イナリ達もそれに倣って座った。
「魔力災害への対応について、臨時対応部が他所の街から救援活動のための奴隷を要請しまして、いくつかの商会や街、さらには他国からも奴隷を派遣されたのです。勿論、それらは法に則り、適当な契約を交わした奴隷たちでした」
ランバルトはそこまで話したところで、一度深くため息をつく。
「しかしどうにも、カイトはあらゆる奴隷の存在を悪しき事と思っているようでして……」
「……解放してしまった、と」
「はい。何なら、御者に襲い掛かりましたからね。それはもう、後処理で揉めに揉めました。……いや、進行形で揉めている、といった方が適当ですね」
「その節は本当にすいませんでした……」
カイトが本当に申し訳ないと思っているのかよくわからない態度で謝罪する。
「それで、解放された奴隷たちは、大人しく残る者も居ましたが、中には己の処遇に不満を抱いており、脱走する者も少なくなく、現在も捜索中の者が数多くいます。イオリもまた、その一人というわけです」
ランバルトがそう言うと、カイトが机に手を置いて立ち上がり声を上げる。
「でも、イオリはもともと名前も無いし、望んで奴隷になったわけでもなかったんですよ!……僕のしたことについて、反省はしていますが、後悔はしていないです」
このお手本のような開き直り様にイナリは呆れた。エリスもきっと同様だろう。
流石に、イナリでもここまで堂々と開き直ったことは過去一度も無い。……いや、何度かあったかもしれないが、イナリは神だからいいのだ。
「カイトの主張には難がありますが、確かに、そのイオリなる少女が奴隷になった経緯に不審な点が見つかったことは事実です。故に、我々としても保護したいところなのですが、消息が完全に絶えておりまして。果たしてどうなっていることやら」
……イナリの予想が正しければ、多分、陰謀論でもって獣人達をまとめ上げ、教会に戦争を吹っ掛ける準備をしているのではないだろうか。過激派もいることだし、わざわざこの場で伝えるつもりも無いが、もしそうだとしたら皮肉なものである。
「……ところで、その、イオリとやら。名前が無いのに名前があるというのは矛盾しておらぬか?」
「ああ、ええと……僕が名前を付けたんです。地きゅ……ええと、僕がいた世界の言葉に由来する名前です。三日くらい匿っている時に、流石に不便だし、可哀そうに思って。……最後には、教会の人に見つかってしまって、何とか逃がしたんです。でも、その後どうなったかは……」
「なるほどのう」
こいつ全然反省してないな、などとイナリが思っていると、カイトが改まったように声をかけてくる。
「ところで、イオ……イナリさん。あなたの名前も、そうなのではないですか?」
「……はあ、お主が何を言いたいのかわからぬし、人の名前を間違える様な者に答える言葉など無い」
イナリは腕を組んで椅子にもたれかかり、もうお前とは話さないとばかりに不機嫌さを露わにした。
「カイト。貴方の居た世界では、人の名前を間違えることは無礼に当たらないのですか?」
「す、すみません……」
ランバルトがカイトを諫める様子を見つつ、イナリは密かに冷や汗を流していた。
イナリとカイトは、地球という同じ世界の存在である。
しかし、イナリはエリス達の前ではあくまでこの世界の存在として振舞っているし、地球の存在を示唆するようなことは殆ど話していない。理由は単純で、それを説明するにはアルト無しでは語れず話がややこしくなるし、芋づる式にアース等の方へも迷惑がかかる可能性があるからだ。
だというのに、この勇者ときたら、この様子からして地球の事をペラペラと話しているだろうことは明らかだし、それに飽き足らず、イナリまで地球に関連付けて巻き込もうとしてくるのだから救えない。
名前を間違えたことを口実に一蹴できていなかったら、かなり返答に苦しむ問いであっただろう。
ともかく、先ほどの対応で、この場でカイトが絡んでくることはもう無いはずだ。……そう思いたいのだが、この常識のない男が何をするかはわからないし、エリスもエリスで、依然として緊張状態のままだ。
色々と気になることが山積しているが、探るにも慎重に動くべきだろう。引き続き、イナリは警戒することにした。




