237 弛緩、緊張
エリスとウィルディアは神官の男性に案内されて教会の一室へ移動したので、イナリもそれにくっついて移動した。
なお、ここに来るまで、イナリを視認した者はいない。そして、勇者らしき人間も視認していない。
……いや、あるいは、既にすれ違ったりしたのかもしれない。だが、イナリは勇者を認識する術を持っていないのだ。せめて、外見的特徴くらいは聞いておくべきだったと、イナリは内心後悔していた。
「……はあ」
イナリはいつぞやの聖女の時のように部屋の窓辺に座って、溜息をついた。
一方のエリスとウィルディアはと言うと、ポーションを渡すだけだというのに、一体何をそんなに話すことがあるのかという程、神官の男と話し込んでいる。
一体どうしたら、「お互い大変ですが、頑張りましょうね」と言うだけの内容を五分も十分も話すことができるのだろうか。しかも、元々仲がよく会話が弾んでいるとかならともかく、皆、終始真顔である。
……本当に、何が楽しいのだろう。イナリは心底疑問に思いながら、生産性のある会話が始まるまで窓の外を眺めて待った。
「――さて、本題に入りましょう。件のポーションをお見せいただけますか?」
「んあ?ようやくか……」
日に当たってうとうとしていたイナリは、「本題」という言葉に反応して目を覚ました。皆の方を見れば、ウィルディアが鞄から群青色のポーションを取り出している様子が目に入る。
「なるほど、これが……。見たところ、特に特別な雰囲気はありませんが。ちなみに、何か名前は無いのですか?」
「あー……今思い出すから待ってくれ。エリス殿、何だったかな」
「え?ええっと……何でしたっけ?」
二人はそう言いながらイナリの方に目配せしてくる。察するに、今考えろということだろう。突然の無茶振りに、イナリはしばし一考する。
「ブラストブルーベリーポーション」と名付けるのが一番端的だが、あまりにも無骨だし、長くて呼びづらいので無しだ。ここは、イナリが作ったポーションで、ブラストブルーベリーもとい、群青の実を使ったポーションだから――
「……『群青神薬』と名付けておくのじゃ」
イナリがそう言うと、ウィルディアは小さく頷き、芝居がかった声色で声を上げる。
「ああそうだ、『群青新薬』とかいったかな」
「なるほど、『群青新薬』……」
「ああ。これのおかげで、私と私の教え子がこれを飲んで魔力欠乏症を回避することが出来た。先ほど一般市民の子供に飲ませて数分で症状が回復したことも確認した。製造者がはるばるこの国まで来てくれたから、毎日五十本前後の供給が期待され、したがって、最終的な事態の解決にも目途が立っている。……ただ、これは予め断っておきたいのだが……製造過程は秘匿情報ということで理解してほしいのだが、原料が少々特殊だから、それだけは留意して頂きたい」
ウィルディアが畳みかけるように群青神薬の売り文句を並べて行くと、神官はそれに頷いた。
「なるほど。その原料とは?」
「ブラストブルーベリーらしい」
「なるほど。ブラストブルーベリーとは、爆薬の代用として名高い、あの……」
「……私は関与していないから推測でしかないが、さぞかし特殊な製法を採用しているのだろう。一応念押しだが、少なくとも、これを一瓶摂取したことによる人体への悪影響は確認されていない。予備も含めて三本提供するので、司祭……様に一つと、後は任意の、魔力欠乏症で苦しんでいる者に使ってみてくれ」
「……仮に、後日副作用が出た場合はどうなさいますか?」
「そうだな、その場合は――」
ウィルディアは長々と予期せぬ事態が起こった際の対応策を述べ始めた。
あまりにも話が進まないことに辟易してきたイナリは、窓辺の座り心地が悪くなってきたことも相まって、机と椅子の間に体を捻じ込み、エリスの膝の上に座って待つことにした。
――暇ですよね、わかりますよ。
――長すぎ。
――まあまあ。司祭様……この国の実質的な最高権力者の一人にポーションを献上するわけですから、慎重に事を進めないといけないのですよ。気長に待ちましょう。
――そう、じゃあ寝る。進んだら起こして。
イナリはそう伝えると、返事を待たず、エリスに身を預けて目を閉じた。
「……イナリさん、終わりましたよ」
「んむ?」
イナリが目を開くと、既に神官の姿はなくなっており、ウィルディアは呆れたような表情を向けてきているのがわかる。
「全く、姿が見えないのをいいことに好き放題し過ぎではないかね」
「あまりにも話が進まなかったのじゃから、仕方なかろ……ふぁあ……」
イナリは、目を擦りながら大きく欠伸をした。
「して?話はまとまったのかや」
「ああ、おかげさまで。やや交渉は難航したが、司祭にポーションを献上してもらえそうだ。ついでに王の方へも連絡をしてくれるようだし、結果的にはプラスと見做していいだろう」
「ああそういえば、まだ渡さねばいかん者がおるのか……」
イナリは露骨に顔を顰めると、ウィルディアも両手を上げてため息をつく。
「必要な事だから仕方がない。さて、王城の方へは私だけで行っても問題無さそうだから、特に問題が無ければ、今日はこのまま解散しようと思う。問題無いかね」
「はい、私は問題ありません」
「我も異論無しじゃ」
「わかった。では、私はこれで失礼する」
ウィルディアはそう断ると、先んじて部屋を退室した。
「……私達はどうしましょうか」
「我、教会を見てまわりたいのじゃ」
「あら、少し意外です。でも、いいですね。では、先ほどと同じように動きましょうか」
「うむ」
二人は部屋から出て、イナリがエリスについていく形で教会内を歩いて回った。そして全体をさらっと見渡して大体一周したところで、見知らぬ中年の神官に話しかけられた。
「これはこれは、エリス殿ではありませんか。少し見ない間に大変ご立派になられた」
「貴方は……ランバルト様。ご無沙汰しております」
ランバルトと呼ばれた男性は、他の神官と比べると妙に身なりの良い服装に、質量のある白い髪が特徴的な中年だ。……イナリの直感で評するなら、「胡散臭い」である。認識が間違っていなければ、エリスもやや緊張しているように見える。
彼は、エリスの挨拶に頷いて答える。
「ええ、ええ。エリス殿の噂は時折耳にしておりますとも。回復術師と上位冒険者を両立していらっしゃるとか。ほんの一時とはいえ貴方に術を教えた身としても、実に鼻が高い」
「あ、あはは、それほど大したことはしていませんが……。ありがとうございます、ランバルト様」
「謙遜せず、胸を張りなさい。アルト神が常に見ているのですから、神官たるもの、誇りを持って堂々と振舞うべきです」
「は、はい。……ええと、ランバルト様は何を?」
「ああ、そうでした。現在は勇者に指導をしております。噂はご存じでしょう?」
「はい、最低限は伺っております」
「それは結構。世間は彼の事を常識が無いだのと咎めますが、それは異次元から来たのだから当然の事。真摯に話し合えば、大変すばらしい人材とすぐにわかりましたよ。……ところで、エリス殿。この獣人は、アルト教についてどうお考えですか?」
彼の言葉に、イナリは恐怖を感じた。ここまで一切見向きすらしなかった男が、突然イナリを認識し、やや冷めた眼差しでもって妙な問いを投げかけてきたのだ。普通、初対面でそんな質問はしないだろう。彼の態度は、あまりにも異様と評価する他ない。
「ええと、この子は……イナリ、です」
「イナリじゃ。我、アルトと友達じゃ」
イナリがそう言うと、一瞬の静寂が訪れる。エリスが目に見えて動揺しているが、イナリもまた、若干子供らしく振舞おうとして変な事を言ったと、内心後悔していた。
二人は緊張した状態でぽかんとした表情のランバルトを見る。
「……ハハハッ、それは面白いことを仰る!なるほど、友達ですか、素晴らしい。エリス殿、折角の機会ですから、勇者を一目見て行っては如何でしょう?お連れのイナリ殿もご一緒に」
「……では、お言葉に甘えて」
エリスは微笑みながらランバルトに言葉を返した。
――イナリさん、一旦不可視術を解いてください。必要に応じて指示を出しますので、落ち着いて。
それと同時に、やや緊張した声色でイナリに指示を伝えてきた。
この男は、聖女でもないのにどうしてイナリが見えるのか。エリスは何を緊張しているのか。色々と聞きたいことはあるが、それは追々考えればいいだろう。
それより今、対応を誤らない事の方が重要だ。イナリの勘が、そう訴えていた。




