236 純粋な感謝
「とりあえず、そろそろリズはギルドの方に行こうかな。そろそろ報告の兵士さんも来るはずだし。……めんどくさいよ、イナリちゃん……」
リズは弱音を吐きながらイナリの尻尾をもふりと触る。
「どうせ暇なのじゃからよかろ。……と、言いたいところじゃが、人間にとって暇は苦痛なのじゃよな……」
「そう。ぶっちゃけ、細かい理屈はどうでもいいから、さっさとギルド長を起こして欲しい」
「リズ君、聞こえているぞ?……もう少しの辛抱と思って頑張ってくれ。きっといい経験になるし、君は十分よくやっているよ」
「それは間違いないんだけど……うーん、釈然としない」
リズは尻尾を撫でまわしながら唸り、突然手を止めて声を上げる。
「あっ!そういえば、一応ポーションの効果の確認をした方がいいんじゃない?」
「む、そちら側では特に試していないのか?それは頂けないな。取り急ぎ臨床試験と行こう。安全性は問題無いはずだが、効果量も合わせてみておかねば、一人一瓶の計算も考え直さないといけない」
ウィルディアはそう言うと、背負子からポーションを一つ抜き出して手に取り、部屋を出た。
イナリとリズもそれに続き、再び被災者が寝かされている広間に戻ってきた。そこには、先ほどはこの場に居なかったエリスの姿があり、彼女はイナリの姿を認めると、笑顔で歩み寄ってくる。
「お二人とも、今朝ぶりですね。例のポーションの配達ですか?」
「うむ。それで、今はポーションが効くか確認したいらしいのじゃ」
「なるほど。……それでしたら、あちらの少年に飲ませてあげてください。ここにいる人の中でも、特に状況が芳しくないらしいので……」
エリスは小声で告げる。
「確かに、そういった情報は他の者からも聞いているな。よって、それは構わないが……一応臨床試験だから、万が一の可能性も視野に入れてほしい。その点の承諾は取れそうかね?」
「ああ、ええと……今、聞いて来ます」
エリスはそう言うと、教会の端の方で寝かされている、イナリと同程度の外見年齢の少年の傍にしゃがんで、そっと手を握りながら慎重に質問を始める。この辺の所作は、流石に手慣れているようだ。
彼女は数言、少年と会話を交わした後、近くの救護者に何かを尋ね、少し離れた場所に座らされた男女と会話を交わして戻ってくる。
「大丈夫だそうです。ご両親の承諾も得られました」
「わかった、助かるよ。本当はハイドラ君がいるのが一番いいのだが……」
ウィルディアが腕を組んで呟くと、リズが手を上げる。
「あ、じゃあリズが今パッと行ってこようか?久々に風魔法を使って全力で走りたい!」
「余計な怪我人が出そうだからやめておくんだ。ああそれと、もうギルドに戻っていても構わないよ。万が一の事態があれば、ハイドラ君は私が呼ぶことにしよう」
「……了解。何かあったらちゃんと呼んでね、先生」
「ああ、頼りにしているよ」
ウィルディアは背を向けて手をひらひらと振りながら、少年の方へと歩いて行った。それを見たリズは、渋々といった態度でローブを翻して教会の外へと歩いて行くので、イナリとエリスもそれに続く。
「それじゃ、リズはギルドの方に行くね」
「うむ。ま、程々に頑張るがよいのじゃ」
「あっ、ちょっと待ってください。今夜も私達の家に来ますか?」
「うーん、今日は先生の様子を見たいからいいかな。先生が徹夜しないか、監視しないといけないから!」
「ふふ、そうですか。では、頑張ってください」
「うん。またね!」
リズはそう言うと、転移魔法を発動させてその場から消えた。
その後、二、三分ほど経つと、ウィルディアが歩ける状態まで元気になった少年を連れてイナリ達のもとへやってきた。
「ひとまず、ポーションの効果は期待通りだった。これで事態の改善に、確かな目途が立ったと言えよう。……それで、この少年がイナリ君に言いたいことがあるそうだ。さ、伝えるといい」
「うん。ええっと……狐のお姉ちゃん、ありがとう!」
「む?あ、ああ、うむ……?」
一体何か言われるようなことをしたかと身構えたイナリだが、純粋な感謝を受けてやや面食らった。……何より、「お姉ちゃん」という響きは、上位者感があって悪くない。
ややズレた感想を抱くイナリをよそに、少年は言葉を続ける。
「ねえ、皆、元気になるんだよね?パパもママも、他の皆も……」
「……うむ、多少時間はかかるじゃろうが、きっとそのはずじゃ。我の勘がそう告げておる」
「……うん。そうだよね」
イナリの言葉に、少年は頷いて返した。まだ子供だというのに、随分落ち着いているように見える。……いや、その目には涙が浮かんでいるし、思うことはいくらでもあるのだろう。
「えっと、それじゃ、僕は行くね。本当にありがとう!」
少年はそう言うと、やや恥じらいを隠すような態度で、彼の両親と思しき人間のもとへと去っていった。それをイナリが目で追っていると、エリスが頭に手を乗せながら話しかけてくる。
「……よかったですね、イナリさん」
「うむ」
「最初は私が感謝されたんだが、それを真に受けるべきは私ではないからな。……さて、エリス殿、この後の話をしたいから、一旦私の部屋に行こう」
「はい、わかりました。……イナリさんはどうしますか?」
「お主らと行動しようかと思うておるのじゃ」
「そうなのですか?私は嬉しいですが、きっと楽しくはありませんよ……?」
「それはお主らの話を聞いて判断するのじゃ」
「そう、ですか」
「まあ、いいだろう。行こうか」
イナリの言葉に、三人は再びポーションを置いた部屋へと移動した。
さて、話し合いを踏まえた結論から言うと、予定は変わらず、ウィルディアとエリスに同行し、教会……厳密には、教会本部へと赴くこととなった。
目的はエリスが何をするのか気になるから……と言うのが建前で、一番の目的は勇者を見つけることだ。ここで教会本部の場所と勇者の姿を確認しておけば、後々イナリがこっそり行動して怪しまれたり、目的地がわからず右往左往して時間を無駄にする危険性を排除できるはずだ。
とはいえ、教会に着くなり別行動というのはあまりにも不審極まりないので、基本的には二人に同行し、辺りを見回すことになるだろう。しかし、人はそんなにいないだろうし、そう難しくはないはずだ。
それと、二人に交渉し、不可視術を貫通する聖女などの存在がいるかどうかも試すことにした。
具体的には、教会に行くにあたって、イナリは終始不可視術を発動し、他者から指摘されない限り、イナリはあくまで存在しないものとして扱われる。そして、他者から指摘されたら、その者は不可視術を貫通したと分かる、という算段である。
さて、前置きはこれくらいにして、アルテミアの王宮から少し離れた場所にある、教会本部を見てみよう。
「ほわあ……」
これが、教会本部を見上げたイナリの第一声である。
何というか、どこを見ても、人やら模様やらのやたらと精巧な彫刻や、丁寧に手入れと造形を施された草花が見えて、「すごい」という感想しか出ないのだ。この建物を基準にすれば、他の教会は小屋のように見えてしまうだろうし、イナリの小屋なんて並べようものなら、犬小屋以下に見えてしまうだろう。
……ただ、気になる点を挙げるなら、草花に関してはやや形が崩れている。きっと魔術災害のせいで整形する人員が居ないせいであって、決してイナリの力の影響で形が崩れているわけでは無いはずだ。よく見るとちょっとずつ草花が成長しているように見えなくも無いが、きっと目の錯覚だ。
イナリが現実から目を背けていると、脳内にエリスの声が響く。
――すごいでしょう?入口の上に大きく掘られている模様がアルト教の紋章で、壁に彫られている武具は全て神器がモチーフなのです。
――そうなんだ。
「モチーフ」とはどういう意味だとか、どうやってこんなものを彫ったのだとか、そういうことは一切聞かない。エリスからイナリへはいくらでも情報を詰め込めるが、イナリからエリスへ語り掛ける時は、口調なぞ気にせず、少しでも情報を削ぎ落して返さなければならない。つくづく意味不明な仕組みである。
なお、これが可能だということは、依然としてイナリとエリス以外誰も知らない事である。
さて、ウィルディアとエリスが教会へ入っていくので、不可視術を発動させたイナリもそれに続く。
教会内もまた、あちこちに様々な絵や彫刻が存在し、この世界では味わったことのない雰囲気だ。それに、魔術災害後にも関わらず、神官が盛んに行き来している。やはり、聖地の本部というのは、他とは存在からして一線を画しているらしい。……それに、勇者を見つけるのは骨が折れるかもしれない。
そんなことを考えてげんなりしていると、再びエリスの声が脳内に響く。
――聖女が複数いることもあります。離れないように、何があっても慌てず、気を引き締めて行きましょう。
――わかった。
イナリは頷くと、エリスの服の裾をつまみ、気を引き締め直した。




