235 ポーションを届ける
アルテミア生活二日目。
一日目と同様、エリスと共にブラストブルーベリーを増やして、リズと共にハイドラのラボに向かうところから始まる。
昨日の反省を活かし、移動は不可視術を使った上で、旅の道中全然役に立たなかった狐耳つきの赤いローブ等を、リズがイナリの体に流れる力を感知できない程度にまで着込み、神バレ対策はバッチリである。
……ついでに、発信機も取り替えられ、しかも二つに増量された。エリスによる監視体制の強化もバッチリである。何と有難いことだろうか……。
それはさておき、ハイドラのもとに合流したら、瓶に漬けていたブラストブルーベリーを抜き出し、それをそのままゴミ箱にまとめたら、今度はまた別のブラストブルーベリーを新しい瓶に漬ける。これで作業は終了だ。これ自体は単純労働すぎて、話すべきことは殆ど無いだろう。
このような仕事ならばハイドラにでもできそうなものだが、ハイドラ曰く、「どれだけ価値があろうと、一歩間違えたら死ぬような実には絶対に触りたくない」だそうだ。イナリは――奇跡的に、というべきかもしれないが――誤爆した経験など無いのだが、相変わらず、この実の世間からの評判は最悪らしい。
さて、昨日はこれで終わりだったが、今日はまだ仕事が残っている。完成したポーションをウィルディアのもとに届けるという仕事だ。
幸い、予めポーションを運搬するための背負子のようなものが用意されており、ウィルディアのところに届ければ後は上手い事分配するようで、何度もあちこちを往復する必要は無いらしい。この仕事は手早く終わらせて、勇者についてどうするかを考えよう。
イナリは今日の予定をあれこれ考えつつ、手早く瓶を背負子に積み込み、背負いあげた。
「それでは行くのじゃ。リズよ、我に続くのじゃ」
「うん。ええと……大丈夫?代わろうか?」
リズはイナリを見て心配するように尋ねてくる。
それも無理は無いだろう。今のイナリは、背負った荷物の重量により、まるで生まれたての狐のような姿勢になっているのだ。しかし、それで弱音を吐いては神の名が廃る。イナリは精一杯強がって首を横に振る。
「だ、大丈夫じゃ。これは我のぽーしょんじゃ。故に、我が届けるのが道理じゃ……」
「そ、そっか。えっと、風魔法で下から支えようか……?」
「……別に要らぬが。まあ、お主が我を手伝いたいというのなら、それを拒否する理由は無いのう、うむ……」
「あ、じゃあいっか」
「そ、そんな、そこは渋々頷くところであろ!?ちょ、た、たすけて……」
イナリがふらつきながら涙目で訴えると、リズは笑いながら杖を手に取った。その直後、背中にかかる重量が半分程度に軽くなる。
「お、おお、軽くなったのじゃ。助かるのじゃ……」
「リズちゃん、あんまり意地悪したらダメだよ?」
「えへへ、ちょっとやってみたくなっちゃって。ごめんね?」
「うむ。我の寛容さに感謝することじゃな。……さて、そろそろ行くのじゃ」
イナリがリズを引き連れて部屋の扉に手をかけると、それをハイドラが手を振って見送る。
「二人とも気を付けてね。あと、転ぶときは前に倒れるんだよ!」
「ハイドラちゃん、イナリちゃんが転ぶ前提で話してない……?」
「お主ら、もうちょっと我が神であることを覚えておくべきじゃ」
イナリの言葉は、扉が閉まる音で遮られた。
イナリとリズがウィルディアに指定された教会に入ると、そこでは長椅子や床に毛布が敷かれ、たくさんの人間が寝かされていた。察するに、彼らが魔術災害の被災者にあたる者達だろう。その周辺では計十名に満たない程度の人間が、体を拭いたり、食事を用意して被災者の世話をしている様子が見受けられる。
察するに、このような場所がこの街には何か所も点在しているのだろうが……この様子を見ていると、言い知れぬ不安感に襲われる。一体この気持ちは何だろうか?何となく、これは考えない方がいい気がする。
イナリがそう考えて思考を切り替えた直後、教会の奥から見知った女性が小走りで近づいてくる。
「リズ君、イナリ君。二人ともよく来たね。まずはポーションを貰おうか。着いてきてくれ」
「うむ」
ウィルディアに率いられて、イナリは教会の奥へと案内された。まだ最初の広間と通路しか歩いていないが、見た限り、この教会の構造は、概ねメルモートと同じように見受けられる。
「……よく考えたら、街に教会が点在するというのは妙ではあるまいか?」
「いや、ここはアルト教の聖地なんだ。当然、アルト教信者で溢れかえっているわけだし、教会の数が増えるのは必然と言える。何も変なことは無いだろう」
「……そういえばそうじゃったな」
「……イナリ君。分かっていると思うから詳しくは言わないが、十分に気を付けるように」
「うむ、分かっておるのじゃ。……それで、お主らは毎日あのような事をしておるのかや?」
「ん?ああ、災害被害者の救護活動のことか」
ウィルディアの言葉に、イナリは頷いた。
「……まあ、その通りだ。一応、体調が完全に回復した者には活動への参加も呼び掛けているが……まだまだ人手は足りないな」
「大変じゃな」
「だがそれも今日までの話だ。今後はイナリ君のポーションにより、一気に事態は改善する見込みだ。……そういえば、ポーションはいくつ用意出来たのかな」
「ええっと、確か五十六本だったはずだよ」
「なるほど。単純計算で百日はかかるペースか、どうしたものかな……。まあいい。さて、この部屋だ。机の横においてくれればいい」
ウィルディアが部屋の扉を開くと、そこは狭い個室で、必要最低限の意匠しか施されていない机が三つ連結して置かれていて、その前には座り心地の良さそうな椅子が一脚。辺りにはたくさんの書類と、敷き詰められた毛布。
「……先生、また徹夜したでしょ」
「……仕方ないだろう、必要な事だったんだ」
リズがジットリとした目をウィルディアに向けると、彼女はそっと目を逸らしながら小声で返した。
イナリはそれをよそに机の隣まで歩み寄り、背負った背負子を降ろした。……肩が軽くてすっきりする。
「さて、これで君たちの仕事は終わりだ。明日以降も引き続き頼む。それと、支援に関する依頼は改めてギルドに出し直すことになると思うから、前に手紙で伝えたことは忘れてくれても結構だ。勿論、報酬はしっかり出すし、魔法学校の予算だけでなく、うまく行けば国からも出してもらえるかもしれない。何にせよ、最後にまとめて計算することにするから、その旨理解しておいてくれ。必要ならば誓約書等を用意してもいい」
「……ええと……わかったのじゃ??」
「……最終的にお金が貰えるってことだよ」
「なるほどの、理解したのじゃ!」
そっと耳打ちしてきたリズの言葉に、イナリは元気よく頷いた。
「よろしい。それでは、私はこれから、エリス殿と共に教会の司祭と王にこのポーションを渡しに行くから、リズ君はギルドの方に戻るといい」
「ええ、そろそろ飽きてきたよ。先生、倒れてる冒険者ギルド長にもポーションを渡していいんじゃない?」
「それは検討したのだが……保留だ。第一に、王と司祭を蔑ろにすると心証が良くない。……つまり、下手を打つと支援が打ち切られたり、不要な諍いの種になりかねないということだ。これは政治的で、実に嫌な話だが」
ウィルディアは顔を顰めつつ、指を立てながら解説を続ける。
「第二に、冒険者ギルド長だけいても、冒険者が居ないのでは意味がない。ギルド長ならば他所に支援を求められるという考えもあるかもしれないが……何にせよ、即効性を考えると優先順位はやや低くなる。事実、リズ君だけで現状は回っているわけだしな。……ついでに、これは冒険者ギルド以外のギルドも同様だ。人の命に優先順位をつけているようで嫌な気分だが、エリス殿曰く、回復術師にとっては茶飯事らしい。ともかく、バランスを見つつ、だな」
「人間って大変じゃなあ……」
「わかる。特に大人になると、本当にめんどくさいよね……」
子供二人はうんうんと頷きあった。




