234 勇者は迷惑? ※別視点あり
<ウィルディア視点>
私は今、エリス殿と共に、アルテミアに設営された臨時救護施設の一つである教会で物資整理の業務をしていた。
私には現場監督だとか仰々しい肩書がついているが、有事の際に話を取りまとめるだけで、基本的には雑用事務要員の一人でしかない。そもそも、監督が任命された理由は「唯一まともに動ける学者だから」だ。人付き合いが苦手だとか、そんな事情はまるで考慮されなかった。
別にエリス殿だって見知った関係ではないが、リズ君と接点がある分、名前もよくわからない神官と共に行動するよりかは、幾分精神的に楽である。尤も、彼女は休憩時間になっても私の手伝いをしてくれているので、少々申し訳なさを感じてしまうが。
「エリス殿、すまないね。災害被害者のための物資を運搬したら、軽く休憩してくれて構わなかったのだが」
「いえ、魔術災害当初から働いているであろう皆さんを差し置いて休むのは、気が引けますので。それに、これでも冒険者をしている身ですから、体力はそれなりにあるんですよ?」
「それならいいが、無理は禁物だ。私は職業柄しばしば徹夜することがあるが、休まず活動し続けると、気絶することもあるからな……」
「あの、どちらかと言うとウィルディアさんの方が、余程休憩が必要なのでは……?」
「……リズ君に泣きながら言いつけられて以来、気を遣ってはいるよ」
「はい、是非そうしてください」
確かあれは、自室で倒れていたところを発見された時だったか。思えば、リズ君が泣いている様子を見たのはあの時くらいかもしれない。
「……ところで、先ほどから定期的に胸から取り出しているそれは何だ?」
エリス殿は合流して以降ずっと、定期的に首から下げられたペンダントのようなものを胸から取り出し、一瞥しては戻すという動作を繰り返している。特に作業に支障をきたすわけでは無いのだが、そんなに気にするようなことがある状態で手伝ってもらうのは悪いだろう。
そうした意図の下、私が問えば、彼女は微笑みながら口を開く。
「これですか。ふふ、何だと思います?」
「いや、知らないが」
……例えるなら、「同僚が彼氏から貰ったプレゼントを自慢してくる時」という表現が一番近いだろうか。私の予想が正しければ、これから彼女の惚気話を聞かされることになるのだろう。
「これはですね、イナリさんに持たせた発信機を指し示す羅針盤です。私とイナリさんが常に繋がっていることを意識させてくれる、素晴らしい道具です」
「そうか」
残念ながら私の予想は外れ、何だか凄まじい返答が返ってきた。彼女とイナリ君の関係は知らないけれども、ひとまず、イナリ君の未来に安寧がある事を祈っておくことにしよう。
そう思っていると、エリス殿が怪訝な声を上げながら、羅針盤を手で弄り始めた。
「……あれ?……すみません、ちょっと待ってくださいね……」
「ああ、構わないよ」
私は短く返事を返すと、彼女の様子を見ながら倉庫整理を続けた。
エリス殿の表情は、困惑から安堵、そして絶望へとシフトした。何が起こったら、この短時間で感情にそのような変遷が起こるのだろうか?
そう困惑していると、彼女は私に向けて羅針盤を差し出してくる。
「あの、この羅針盤って、壊れていますか?」
「……いや、見たところ正常そうではあるが……顔色が悪いぞ、大丈夫かね?」
「ええ。ちょっと、その……フラれてしまいまして」
「一体何の話をしているのだか。私が言えた事ではないかもしれないが、やはり一旦、休憩を取るべきではないか?」
「……そうですね、そうさせて頂きます」
エリス殿はやや意気消沈した面持ちのまま倉庫を出ていった。
……言動がしばしばおかしくなっているエリス殿の事は軽く気にかけておくとして……そういえば、明日教会の本部へ行かないといけないのに、その準備がまるでできていないのを思い出した。
「……はあ、今日は徹夜かもしれないな……」
言葉を吐き出して憂鬱な気分を誤魔化しながら、手に持った箱を棚にしまった。……倒れないように、体調は気にしておかねばなるまい。
<イナリ視点>
地上に戻ってきてからは、ギルドの書庫にしばし籠って時間を潰した後、リズとギルドを見回って一日を終えた。ギルドを訪れた冒険者は二十人程度で、前評判通り、基本的に暇であった。
そして日が暮れたところで、イナリはリズに送られて、先日契約したパーティハウスへと戻ることになった。
その道中、イナリは思い出したことを改めて問うことにした。
「そういえば、勇者について聞くのを忘れておったのじゃ。何か知っておるかの?」
「あまりにも漠然とした質問すぎて答え方に迷うかも……」
「それもそうじゃな。では……そやつは今、どこに居るのじゃ?」
「教会本部だよ。ええと……街の中心にある、他の教会よりちょっと派手なとこ。エリス姉さんに聞いたら連れて行ってくれるんじゃないかな?」
「なるほどの。では……お主、勇者を見たことはあるのかや?」
「うん。転移されてきた直後に見てるし、何ならたまーにギルドに来るよ。教会からは『絶対に登録するな』って言われてるけど、勇者は『冒険者になりたい!』って言って止まないから、正直面倒だよ……」
「……ふむ。しかし、かつてのお主も似たようなものでは――」
「イナリちゃん、何が言いたいのかな?」
「んや、何も」
笑顔で杖を握りながら問いかけてくるリズに、イナリは勢いよく首を振った。そういえば、彼女の過去の話は禁忌の一つであった。
「して……他には?何か、困ったことをした話とか、無いかの?」
「ええっと、リズと関係あるのはそんなにないかな……。あ、そういえば、他の国の商会から派遣されてきた支援要員の奴隷を解放しちゃったんだよ!いくら何でもあり得ないよね!?」
「おお、噂は本当だったのじゃな……」
「そのせいで先生が立ててた計画も狂ったし、立場が立場だから、周りも強く言えないし……まあ、転移されちゃったのは可愛そうだとは思うけど、端的に言えば、迷惑だよ、うん」
リズはイナリの耳元に囁くように告げた。内容が内容なので、あまり大声で言えるような事では無いらしい。それにしても、そんな訳のわからない人間を勇者として祀り上げ、介護することになる教会も大変なものである。
……いやむしろ、教会はイナリを魔王に祀り上げてもいるのだから、寧ろ罰が当たったとみるべきか。前言撤回である。
さて、そんな会話もそこそこに、二人はパーティハウスへ到着し、イナリが全身を使って扉を開き、帰宅の挨拶を告げる。
「ただいまじゃ!」
イナリがそう言うと、奥からパタパタと音を立てながらエリスが歩いてきて、イナリを抱擁する。
「おかえりなさい、イナリさん。それにリズさんも、ありがとうございます」
「んーん、気にしないでいいよ!」
リズが返事を返すと、エリスはしゃがんでイナリと頭の高さを合わせる。
「イナリさん、発信機を見せてください」
「む?……わかったのじゃ」
イナリは懐から魔力発信機を取り出し、エリスに手渡した。彼女はそれと羅針盤を照らし合わせ、様々な方角に向けて、動作を確かめる。
「……うーん、やっぱり正常そうですが……何かあったらいけませんし、やはりこれは取り換えておきましょうか」
「……うむ」
イナリは冷や汗を流しながら頷いた。
思うに、故障という言い訳で誤魔化すにも限界はありそうだ。ついでに、あまりこの話を長引かせると、リズにも不審がられる恐れがあるので、早めに切り上げておきたい。
イナリがそう思っていると、丁度都合よく、エリスが発信機と羅針盤を両手に持ったまま、別の話題を振ってくる。
「イナリさん、今日はどんな一日でしたか?」
「んー……まあ、大体暇だったのじゃ。ぽーしょんを作る作業もほんの数刻で終えたし、ギルドも基本誰も来なかったし……でも、施設を見てまわるのは楽しかったのう」
「そうだったのですね。ふふ、何事も無かったみたいでよかっ――」
「あ、それと、変な人間に体を見せろと言われたのじゃ」
「……え?は、えっと、あ……はい?」
微笑みながらイナリを撫でていたエリスはぴしりと固まり、短く声を発するだけとなった。それを見たリズが慌てて弁明に入る。
「え、エリス姉さん、イナリちゃんの言い方にはだいぶ誤解があるの、聞いて!」
「……いえ、事情など考慮する必要は無いでしょう。今すぐ、その不届き者の息の根を止めます。行きますよ」
「行きますよ、じゃないよ!ちょ、ちょっと、落ち着いて!?……イナリちゃんも手伝って!」
「いや、止める必要なぞあるじゃろうか?」
「ちょっと!?……もう、誰か助けて!」
リズは、少しずつずりずりと引きずられながら声を上げた。
この後、数分後に帰宅したディルとエリックに引き留められて事態が鎮静化すると、変態の件について、イナリの体に流れる力に関する話なども含めたリズからの詳細な説明がなされ、事なきを得た。
なお、今回の件で疲れ切ってしまったリズは、パーティハウスに泊まっていくことになった。




