233 臨時神様会議
会議は膠着し、アルトは定期的に首を左右に傾げて唸り、アースはテーブルに右手を置き、足を組んだままそれを眺めている。
……何か心理戦でもしているのかはわからないが、お世辞にも居心地が良いとは言えない。イナリには菓子を食べるという大事な責務がある以上、帰ったりはしないけれども。
そんな状況は、おもむろにイナリの方を向いて口を開くアルトによって終わりを告げる。
「……狐神様、先ほど我々の話が早計だと仰いましたよね?……どう思いますか?」
「どう、とな?」
あまりにも曖昧な問いに、イナリは首を傾げた。
「ええと、先ほどの話はお分かりになりましたか?」
イナリはアルトの問いに、ひとまず、先ほどのアルトとアースの会話を整理してみることにした。
まず、転移者が死亡した場合、アースの手によって世界が滅ぶ。
だが、転移者を早々に地球へ返してしまうと、イナリではない方の魔王と、さらに後に控える歪みに対処できる力が人間に無い可能性が高く、アルトも碌な干渉ができない。よって、人間が滅ぶ。
かといって、転移者を滞在させて、万が一にでもイナリが負傷したら――言い換えれば、勇者が魔王に襲い掛かれば、その時点でアースの手によって世界とアルトが滅ぶ。……もしかしたら、転移者もただでは済まないかもしれない。
ともかく、今、アルトの世界は、どう転んでも世界滅亡の危機に瀕する最悪の状況であり、アルトに言わせれば「詰み」に近い状況らしい。
イナリは創造神では無いから詳しいところはわからないが、このような状況では、あれこれ策を講じるより、転移者をアースに返した後、サクッと世界を滅ぼして、世界を創り直した方が話が早いのだろう。
「……ひとまず、お主らの話は概ね理解しておる。……と、思うのじゃ」
「それはよかったです。では、改めてお尋ねします。……転移者を回収して、世界を滅ぼすことについて、どう思われますか?元々、この世界を維持することになったきっかけも狐神様にありますし」
アルトの発言を、アースが机を叩いて遮る。イナリは零れ落ちそうになった菓子を慌てて拾い、こっそり自分の口へと運んだ。
「アルト。貴方まさか、うちのイナリに責任転嫁しようとしているんじゃないでしょうね?」
「い、いえ、そんな、ええっと……」
アルトは慌てて弁明を試み、言い淀む。
アルトの主張における「この世界を維持することになったきっかけ」というのはきっと、相当前に話した際、科学文明が引けるまで云々、などと言っていたのを止めたことであろう。何か狙っているのかは知らないが、今ここでその話を引き出すのは変な話である。
だが、それはそれとして、問われたことにはしっかり答えておくべきだ。イナリは、ひとまずアースを落ち着かせる。
「アースよ、よいのじゃ。確かに、アルトの主張には少々誤りがあるが……ともかく、世界を滅ぼされて我が困るのは事実じゃ。それは、我に被害が無くとも、じゃ」
「……それは、あの信者がいるからかしら」
「まあ、それもあるし……そも、我はアルトに助力すべくこの世界に来たわけじゃ。……まあ、寧ろ仕事を増やしているような気がせんでもないが……。ともかく、ここでそれを放棄するのは、ちと、アルトに対して義理が立たぬと思わぬか?」
「……ふうん。まあ、イナリがそういうのなら。……アルト、うちのイナリに感謝することね」
「あ、ありがとうございます……」
アルトは汗を拭う動作と共にイナリに礼を告げた。
「でも、具体的にどうするか決めない事には、どうにもならないのは事実よ?イナリ、貴方、何か考えはあるの?」
「んー……例えば、お主が我と共に行動するとか、転移者に代わって魔王……歪みを潰すとかはどうじゃ?お主、我と一晩過ごしたのじゃし、無理ではなかろ?」
イナリはアースに向けて手に持った棒状の菓子を向けながら話すと、アースはそれを折って口に運びながら答える。
「……無理ね。創造神は、他の創造神の世界で好き放題振舞うのは禁忌なのよ」
「話を聞いていて思うのじゃが、創造神、今の話やら、他の世界の物を栽培してはならないやら、面倒な決めごとが多くないかの……?」
「必要なことだから決めごとなのよ。あと、一応言っておくけど、この前イナリと一緒に過ごせたのは、ちゃんとアルトから合意を取って、イナリのための行動で、かつ、地上に必要以上の影響を出さないことを約束していたからなのよ?」
「なるほどのう……」
面倒というべきか、律儀というべきか。ともかく、この案は却下になりそうだ。
「あ、そうだ。私が神託で、狐神様の事を人間らに伝えるというのはどうでしょう?」
「却下。絶対イナリを狙う輩で溢れかえるわ」
「うむ。想像に難くないのじゃ。それに、お主の神託が軒並み碌なことにならんことは、今までの過程で身をもって知っておるのじゃ……」
「た、確かにそうでした。すみません……」
アルトは委縮しながら謝罪した。……何だか、あまりにもボコボコで不憫にすら思ってしまう程である。
「……何か、どうしようもなさそうじゃな。ひとまず、我は転移者の動向を観察しておくから、その間にいい方法を考えてくれたもれ」
「……あ」
イナリが、世界を滅ぼすことは保留させておきながら結論を放り投げると、アルトが声を上げる。
「狐神様の存在を人間全体に知らせずとも、狐神様が転移者と接触しておけば良いのでは……?」
確かに、アルトの言うことには一理ある。大まかに三つある世界滅亡ルートのうち一つを潰せる有効打だ。しかし、懸念すべき点もある。
「……それはすぐには頷けぬ話じゃな。もしかしたら、ちと性格や思考に難があるやもしれぬらしいからの、観察は必須じゃ。……ところで、アースは転移者に対して何か出来ぬのか?」
「んー……どうかしらね?創造神が干渉に足るだけの理由を見つけられれば、もしかしたら……。例えば、転移者は地球のものだから、私も干渉する正当性がある、とか?うーん、でも、イナリに関する協定があるし……」
アースが腕を組んであれこれ考え始める。
……創造神というのは想像以上に複雑なのかもしれない。創造神だけに。
「くふふ……」
「狐神様、どうかなさいましたか?」
「んや、何でもないのじゃ……む?」
イナリが下らないことを考えていると、それを遮るように、頭に聞き覚えのある声が流れ込んでくる。
――イナリさん?大丈夫ですか?
「……そういえば、こんな能力あったのう……」
イナリは完全に失念していたが、エリスとイナリは神託もどきでやりとりができるのだった。ひとまず、転移者に関する会議は一区切りついたとみて良いだろうから、こちらの対応に意識を割くことにしよう。
イナリは頭の中で「大丈夫。何」と念じてエリスに向けて返した。すると、数秒の時間を置いて、再びエリスからの念が飛んでくる。
――今、どこに居るのですか?私の羅針盤がとんでもない方向に向いているのですが……?
「……」
イナリはおもむろに己の懐を覗き込み、そこに発信機がある事を確かめた。最近は意識の範疇外にあったが、そういえばこんなものを所持させられていた。どうやら、地上と天界を跨いでも発信機は有効らしい。
ひとまず、天界に居るというわけにも行かないので、「故障」と念じて返した。先ほどわかったことだが、イナリからエリスへ向けて念を送る分には、その内容が簡潔であればあるほど負担が軽くて済むようだ。なるほど、アルトも神託を出す際に文言を削減したがるわけである。
――ならば、後で別の物と交換しておきましょう。あまりそういった故障は無いはずなのですが、変ですね……。それで、今はどちらに?私の方から出向きますので、お昼を一緒に食べませんか?
「うーむ……」
イナリもまた、アースのように腕を組んで唸った。
場所については、一応ギルドに居ることになっているから、そう伝えればよいのだが。……ぶっちゃけ、菓子のせいで割とお腹いっぱいだし、開けた菓子がまだまだ残っていることを考えると、昼食を食べる余裕があるとは思えない。
だが、そういった事情を仔細に伝えるのは大変なので、ここは端的に、「いらない」とだけ返しておくことにした。
すると、ぱたりとエリスからの連絡は途絶えた。ひとまず、これでエリスの方の対応は問題無いだろう。
「……よし、残りの菓子を食べるのじゃ」
イナリはテーブルの上の菓子に手を伸ばし、アースやアルトと分け合って食べ、その後、軽く方針を確認して解散となった。地上に戻る直前、アースに背後を取られながら世界の調整作業に入るアルトの姿が印象的であった。




