231 超短時間労働
「ひとまず、我の身については追々、ウィルディアに改めて聞きたいところじゃ。それにしても、あやつはどこに行ったのじゃ?」
「ウィルディア先生はもう仕事に行っちゃったよ。流石に離れすぎちゃったとか何とか……大変そうだよね」
「ひとまず、イナリちゃんは少し警戒しておいた方がいいかも。最悪、移動は常時不可視術を使うくらいしてもいいかもしれない。それ以外の対応策ですぐ思いつくのは、外に出ないでおくか、体に流れる力が見えなくなるぐらい着込むかの二択かな……」
リズの言葉に、イナリは己が十二単のような衣装を着ている様子を想像した。
……悪くはないし、普段着ている着物よりよほど威厳は出るだろうが、調達の難しさと、まともな移動が困難になるという問題からは逃れられなさそうである。
……そういえば、エリスが「羊みたいな服」を着せてみたいとか言っていたような気がするが、それもその如何次第では、体に流れる力とやらを隠せたりするのだろうか。……彼女は喜ぶだろうけれども、それを着たまま生活するのは何だかアホらしく、己の威厳を損ねてしまうのではないだろうか。
「……ひとまず、移動時には不可視術を使うことで対応しておくとするのじゃ。さて、ぽーしょんを作る作業を始めようではないか」
「そうだね。そこに瓶があるから、それを使って!」
「うむ」
イナリはハイドラの言葉に返事を返すと、床に置かれていた箱に入った、メルモートからはるばる輸送してきた瓶を取り出し、机いっぱいに並べた。それを見たリズは杖を手に持ち、僅か十数秒ですべての瓶に均等に水を注ぐ。
続けて背嚢をそっと床に降ろして蓋を開き、ブラストブルーベリーを一つずつ丁寧に取りだして瓶の中に落とした。余った実は背嚢にしまい直して、近くにあった棚の下段の方に収納しておいた。
さて、これでイナリの仕事は終わりである。労働時間は五分にも満たず、今日の予定もまた、終了である。
「ううむ、薄々、すぐに暇になりそうだと勘づいてはおったが、この後の事を考えておらんのじゃ。どうするかの……」
「私はイナリちゃんがここに居ても構わないけど……多分、面白くはないよね?」
「んや、人の営みを眺めるのは嫌いではないし、それも悪くはないのじゃ。ただ……この街に来て二日目ですることではないかもしれぬのう」
「確かに。環境は違うけど、やってることの本質はメルモートに居たときと変わらないもんね……」
イナリの言葉にハイドラは頷いて理解を示した。すると、リズが杖で地面を鳴らしながら声を上げる。
「それじゃ、リズの方に一緒に来る?多分誰も来ないから、冒険者ギルドを見て回るチャンスだよ!」
「……ふむ、それは面白そうじゃ。そうさせてもらおうかの」
「じゃあ決まり!一緒に行こう!……あ、不可視術は忘れずにね」
「うむ」
リズに手を引かれ、イナリは冒険者ギルドに向かうこととなった。
「暇じゃ」
「暇だね」
二人は事務室内で、机を挟んで向かい合うように配置された、応接用と思われる長椅子にだらだらと横になって声を上げた。
冒険者ギルド内には相変わらず、受付も、酒場の料理人も、ギルド長も、冒険者も、誰も居ない。文字通り、イナリとリズの二人だけである。
「一応、そろそろ兵士さんの定期連絡が来るはずなんだけど……」
何故ギルド内の探検をせずにだらけているかの理由がこれである。先に来客の対応を済ませてから色々しようと思っていたら、思いの外時間が空いてしまったのだ。
イナリは己の尻尾を手で弄りながら声を上げる。
「そういえば、先ほど転移術を使わなかったのは何故じゃ?お主がウィルディアをここに連れてきた時のようにすれば、我は楽をできたのでは?」
「それがねえ、転移魔法、発動者しか転移できなかったんだよ……」
「ああ、なるほどの。……いや、寧ろそれでよかったのじゃ」
「は、はあ……?」
どこか矛盾を孕んだイナリの言葉に、リズは怪訝な声を上げた。
……忘れてはいけない事だが、魔法は不便であればあるほど、神陣営にとっては都合がいいのだ。魔法の便利さに魅せられてしまう事はしばしばあるが、それを忘れてはならない。
そんな会話をしていると、受付の方から小気味良い鈴の音が施設内に響く。
「お、来たみたいだね。ちょっと待ってて!」
「うむ」
イナリは長椅子にだらけた姿勢のまま返事を返した。
リズは身を起こし、大きな三角帽子を被り直して受付の方へと歩いて行った。イナリは彼女と兵士が何を話すのか気になるので、少し耳を立てて聞いてみることにした。
「どうも。これが昨日分の資料だ」
「どーも!いつもお疲れ様です!」
「そっちこそ。ウィルディアさんにもよろしくな」
「はい!」
会話はそれで終わり、リズがこちらに歩いてくる足音が聞こえ始めたので、イナリは再び脱力の姿勢に入った。あまりにも聞く価値のない会話であった。
「お待たせイナリちゃん!……あれ、どうしたの?」
「あまりにも簡潔すぎて肩透かしを食った気分になっておるのじゃ」
「あぁー……。まあ、リズって兵士と冒険者と先生たちの橋渡しみたいなものだからね。イナリちゃん、この資料見る?」
「遠慮しておくのじゃ。我は今、文字が読めないのでな」
「えっ、な、なんで……?」
「それは――」
イナリはエリス達と同様に、適当に話を誤魔化そうとして、しばし考える。そういえば、イナリが言語不覚になった根本的なきっかけは、リズが立ち会った逆転移とやらの実験で呼び出された人間のせいのはずだ。
多少アルトとの繋がりが察知されないとも限らないが、少し探ってみるのも良いかもしれない。何にせよ、一旦すっとぼけておくことには変わらないけれども。
「――実は、我にも原因はよくわからんのじゃ」
「え、えぇ……。それ、大丈夫なの?」
「うむ。文字が読めないのは多少不便じゃが、今はこうして会話もできるわけじゃし、まー、大丈夫じゃろ」
イナリは手をひらひらと振って無事を示した。それを見たリズは、手に持った資料を近くの机に置いて向き直る。
「まあ、エリス姉さんも普通にしてたみたいだし、それならいいけど。それじゃ、改めて、ギルドツアーをしようか」
「あいや、ちと待つのじゃ。お主、逆転移とやらの実験に立ち会ったのじゃろ?それで召喚された者について、軽く知っておきたいのじゃが」
「あー、勇者さんのこと?イナリちゃんも、そういうの興味あるん……あ、そっか、イナリちゃんにとっては超重要な話か。神様としても、魔王としても」
「うむ……うん?勇者?」
イナリは身を起こしてリズに向き直った。
「ん?イナリちゃんが言ってるのって、勇者さんの事だよね?」
「いや、ええと……召喚されたものが、勇者なのかや?」
「そうだよ?」
「ん、んんー……。ちょっと考えさせてくれたもれ」
「え?うん……。あれ、意外と知れ渡ってないんだ……?」
再び怪訝な表情をするリズだが、脳みそをフル回転させるイナリにそれを気にするような余裕はない。
さて、リズによれば、今の勇者は逆転移によって呼び出された人間……つまり、アースの管轄である、地球の人間で、それは今、アルトの加護により腕力や筋力を底上げされ、「余程のことが無ければ死なない」程度になっていると聞いている。
それを踏まえれば、トゥエンツで聞いた勇者に関する噂の内、大理石を砕いたとか、魔法が使えないとか、いくつかには納得がいくような気がする。きっと他の噂も、多少尾ひれはついているかもしれないが、概ね事実と見做して良いだろう。
だが、その中には「奴隷を解放した」なども含まれている辺り、もしかしたら常識と言うものを知らないのかもしれない。……イナリも大概常識が無いとか、そういう話は一旦置いておくとして。
さて、これらを総合すれば、今の勇者というのは、「この世界基準でも群を抜いて強い部類の、やや常識に欠けた人間」と評価するのが妥当だろう。
……そんな人間が、イナリを魔王と認識して襲い掛かってくる?冗談じゃない。
「リズよ、一旦ギルド観光は見送りじゃ。我には用ができた」
イナリはおもむろに立ち上がり、ギルドの受付の方面に向かって歩いた。
「えっ?ちょ、ちょっと、一人で行動したら危ないよ!?」
「別にギルドからは出ぬよ。ただ、ちと一人になりたいのじゃ」
「あ、そういうことか……。じゃあ、二階の書庫とかがおすすめだよ」
「わかったのじゃ。特に気にかける必要は無いからの」
イナリは手を振ってリズと別れ、酒場の横の階段を経由して書庫へと移動した。
「……さて、どうしたものかのう」
イナリは呟きながら、指輪に手を触れ、アルトのもとへと転移することにした。




