229 アルテミアの現状
「あ、そうだ!ちょっと先生を呼んでくるから待っててね。『コーディネイトテレポート、17882――』」
リズが何か思い出したように声を上げ、杖を構えて謎の数字の羅列を口にすると、一瞬で彼女の姿が消失した。それに皆が驚いている間に、リズはギルドの事務室の方からウィルディアの手を引いて再び現れる。
彼女は相も変わらず不健康そうな雰囲気だが、イナリ達の姿を認めると、声色を明るくして話しかけてくる。
「おお、君たち、わざわざ遠方から来てくれたのか。それに……ええと……そうだ、ハイドラ君。ハイドラ君も、久しぶりだね」
「あ、あはは、お久しぶりです」
かなりのタイムラグを経てハイドラの名前を呼ぶウィルディアに、ハイドラは苦笑した。それを見たリズはじっとりとした目をウィルディアに向ける。
「先生、完全に名前忘れてたでしょ……」
「ただでさえ人を覚えるのは苦手なのに、毎年百人近い生徒と会うことになるんだ、大目に見てくれ。……それにしても、リズ君が急用だと言うから、何か取り返しのつかない事でも起きたのかと思ったよ」
「はあ、先生からの信頼が厚いよ……」
リズは嘆くように呟いた。それをよそに、エリックがウィルディアに話しかける。
「ウィルディアさん、こんにちは。今のは転移魔法ですか」
「ああ。少々粗削りな部分は多いが、適切に使えば実に有用だ。適切に使えば、な。……ああそれと、番号札の転移先調査の件については確かに確認した。これでメルモートへの転移も可能になるだろう。感謝する」
エリックの言葉に、ウィルディアが頷きながら念押しするように答え、ついでに数字が書かれた手紙の件についての礼も述べた。
「それじゃ、先生も来たし、改めて色々説明するね!確か、魔術災害の事は手紙で大体伝わってるはずだから……今リズ達が何をしているか、かな?」
「その前に、現状を確認しておこう。手紙でも多少触れたが、改めて確認しておくに越したことは無いだろう。……まあ、その前に一旦座ろうか」
ウィルディアの言葉に促され、一同は誰も居ない酒場のテーブルを一つ占領して向かい合った。
「さて、アルテミアは今、未曽有の事態に陥っている。この街の人口はおおよそ一万人程度と言われているが、それに基づいて概算すると、うち七千人が魔術災害に巻き込まれている。その大半は魔力不足により満足な活動ができず、寝たきりになっている者も大勢。時間が経って活動可能な程度に回復した者は千人に満たない。死者数については……ここの事務室に報告書があるはずだ。それを確認してくれ」
ウィルディアはテーブルに肘をつき、言葉を濁した。彼女の整然とした話し方は、事の深刻さをありありと伝えてくる。
「改めて聞くと、とんでもない規模ですね……」
エリスは、膝に乗せたイナリを抱き締めながら、静かに感想を告げる。回復術師という命を守る職業柄、死者という言葉には幾らか敏感になっているのだろう。
「ああ、本当に。ここの王やアルト教司祭もその例に漏れず、現在も療養しているそうでね。見ての通り、冒険者ギルド以外のギルドも殆ど機能していないし、この国は完全に麻痺状態だ」
ウィルディアは周囲を一瞥しながら呟く。
「一応、無事だった者や災害を免れた者、外からやってきた兵士や支援者によって最低限の体裁は保っているが……魔物は容赦なく街に向かってくるし、盗賊にも目を付けられていてね。既に人員は逼迫気味だし、いつ隙を突かれるかわからない、実に危険な状態と言えるだろう。災害を逃れた者の中には、街を出る選択をした者も少なくない」
「ようわからんが、何だか大変そうじゃな……」
「ああ。それを踏まえて、今の事を話そう。私達はアルテミアの復興支援者を取りまとめている。細かい役割は、私が臨時で設営された災害被害者の救護並びに支援の監督、リズ君が冒険者ギルドの運営代理人だ」
「……一応聞かせてほしいんだが、一体どういう人選なんだ」
「思うところがあるのは尤もだ。しかし、魔術災害後、魔術師、神官、兵士、その他諸々の活動可能な者で集まって議論した結果がこれなんだ。ギルドの人達は皆動けなくなってしまったし、誰も居ないよりはマシだろう?」
「そう、かぁ……」
「何?文句ある?」
「……いや」
「ふーん、そう」
ディルとリズはしばし睨み合った。その隙に、イナリは思っていたことを尋ねる。
「のう。この事件を起こした……首謀者とでも言うべきかの。そやつらはどうしたのじゃ。流石に、これで咎なしなどということはなかろ?」
「当然だ。首謀者並びに関与者は兵舎で厳重に管理されていて、回復次第、取り調べ後、然るべき裁きが下るだろう。……それなりの功績もあるだろうから、私の見立てだと終身刑辺りになるのではないかな」
「ふむ。その、終身刑と言うのは……」
「平たく言うと、死ぬまで牢獄の中ってやつだな」
「ほう、それは大変じゃな。我がそんなことになったら、人類が滅ぶまでそのままというわけか。中々に重い措置じゃな……」
「……長命種と言うのは感覚の齟齬が著しいな……」
「大丈夫です。イナリさんがそんなことにならないよう、私がずっと見守っていますから……」
「安心するくらいエリス姉さんは相変わらずだね……」
「……部外者の私があれこれ言うのは止しておくとして……本題だ。イナリ君のポーションはどれくらいあるのかな」
「あ、それなんですけど……これから作ります」
「……これから?」
ハイドラの言葉に、ウィルディアが眉を顰めて聞き返す。
「はい。その、色々と事情があって……」
「……それならそれで構わない。それは、いつ、どれぐらい用意できるかな」
「わかりませんが、取り掛かれば、その翌日には用意できます。作るのはとても簡単なので」
「何だ、そうなのか。それは他の者に教えることはできるか?数人程度ならば、派遣も検討できるが」
「いえ、その……ブラストブルーベリーが原料なので、やめた方がいいかと……」
「……なるほど、そうか。イナリ君にしか作れないというのは、そういう……。ともかく、事情は理解した。場所は用意しよう。必要な道具も教えてくれれば揃えるから、早めに着手してほしい」
「はい、そのつもりです」
ウィルディアはハイドラ向けて頷くと、今度はエリック達の方に向き直る。
「それで、君たちにも手伝ってほしいことが山ほどある。エリック殿とディル殿には、街の警護、魔物への対処、盗賊に対する警戒を。エリス殿には私と来てもらって、被害者支援の業務を頼みたい。代金はポーションの件に上乗せして請求してくれていい」
「はい。流石に見ているだけというわけにも行きませんし、是非とも力になりましょう」
「ああ、恩に着るよ。支援者は増えてこそいるが、基本的に休みなしなのでな……」
ウィルディアは天を仰いで呟いた。よく見ると、目の下には隈ができているように見えるし、ずっと働き続けているのだろう。
「とりあえず、折角会えたんだし、一旦堅くて暗い話はやめてさ、ご飯にしようよ!皆お腹空いてるでしょ?厨房から適当に持ってきていいよ!」
「お前、好き放題しすぎだろ……」
「いや、真面目な話、在庫が溜まってて、食べてくれないとダメになっちゃうからさ。捨てるのは勿体ないでしょ?」
「それは間違いありませんね。私達の方で何か作りますので、お二人は休んでいてください」
「ああ、それはありがたい。ならば、少し眠らせてもらおうかな」
ウィルディアは別の長椅子に横になった。一方、リズは立ち上がって皆に着いてくる。
「リズさんも休んでいて結構ですよ?」
「いやこの仕事、冒険者が少ないせいでありえないくらい暇だからさ、リズも一緒に手伝うよ!」
「なるほど、そうなのですね。では、一緒に作りましょうか」
「うん!」
その後は皆で料理を作り、久々の団欒を楽しんだ。なお、料理の過程で、ハイドラの料理のセンスが驚くほど尖っていたことが発覚し、ウィルディアの傍で待機させることになったが、それはまた別の話である。
参考 皆の料理スキル
エリス:得意。凝った料理も出来る。
エリック・ディル:普通。人並みに出来る。
リズ:微妙。肉を焼く程度のシンプルな料理ならできる。
イナリ:風刃で野菜や肉を均等に切るのが得意。茶は淹れられる。
ウィルディア:生活力低。大抵、魔法学校の食堂で食事を済ませる。
ハイドラ:腕自体は普通だが、何かと薬品を混ぜたがる。




