227 輸送
翌朝、まだ明るくなりきってすら居ない時間帯に、馬車無しでも持てる程度に減らされた荷物を抱え、イナリ達は飛竜港へ赴いた。
そして一昨日予約する際に赴いた受付に顔を出せば、そのままイナリ達を運ぶ役目を負っているドラゴンのもとへと案内される。
そこにいたのは、鶯色の大きな翼を持った、しかし他と比べると比較的小型のドラゴンであった。それは草原に伏せて待機しており、イナリ達が近づくと、黄色い瞳をギロリと向けてくる。
関節部等、重要そうな部位には防具が装着され、背面には鞍も括りつけられている。……まさかとは思うが、あそこに人が乗るのだろうか?だとしたら、それはあまりにも命知らずでは無いだろうか。
そんなことを考えつつ隣を見れば、ドラゴンの半分くらいの大きさの箱が置かれている。そこには扉がついていて、そっと開いて中を覗き込めば、椅子などが備え付けられている様子が認められる。
……まさか、イナリ達はこれからこの箱の中に乗せられて、この前見たときのように、ドラゴンの足、あるいは手で箱を掴まれて輸送されるのだろうか。
「……なん、というか……あらゆる面において、安全性に疑問が残るのじゃが……?」
イナリは言い淀みながらも、思ったことを単刀直入に述べながら、皆の方を振り返った。
「……飛竜便というのは、こういうものなのかや?」
「ああ、残念ながらこういうものだ」
「イナリちゃんが言いたいことはわかるよ、これ、いつ見ても不安になるよね」
「私達も、『いつ見ても』と言えるほど乗ったことは無いですけどね……」
「私は初めてです!なんか、一周まわって気分が高揚してきた気がします!」
微妙な表情を作るパーティの面々とは正反対に、ハイドラは跳ねるように手を上げた。
その直後、イナリ達の後方から、如何にも防寒性に優れていそうな装備を着こんだ男が現れる。
「皆様、本日は飛竜便をご利用頂きありがとうございます。私が本日、騎竜師を担当させていただく者です。初めて利用される方は皆不安を口になさいますが、私が快適な空の旅をお約束いたしますので、どうかご安心くださいませ」
「……う、ううむ……」
騎竜師というのは要するに、馬車で言う御者のようなものなのだろう。
実に礼儀正しく、安心感を持たせるように挨拶をする騎竜師だが、その程度では今抱いている不安感は到底拭いきれない。
「今回輸送させていただくのは皆様のみですので、特に問題が無ければすぐにでも出発させていただきますが、如何なさいますか?」
「荷物を積み込みたいので、少し時間を頂けますか」
「畏まりました。出発が可能になりましたら、気兼ねなくお申しつけください」
「はい、よろしくお願いします」
エリックが挨拶を交わすと、騎竜師の男はドラゴンに近づき、それの様子を確認しながら装備の点検を始めた。その様子を見たエリックは、荷物を抱え直して箱の中に足を踏み入れる。
「皆、荷物を積み込もう」
「わかりました!」
「え、ええ……?エリスよ、本当にこれに乗り込むのか?我ら、中でもみくちゃになってしまうのではないかのう……?」
「大丈夫です。揺れが凄いのは離着陸の時くらいですし、荷物を固定する道具もありますから」
「そ、そうか。我は信じるぞ……?」
「ふふ、前から思っていましたけど、イナリさんって、結構怖がりさんですよね?」
「……いや、怖くないが??我はただお主らを心配しているだけじゃが??」
「そうなのですか?お優しいですねえ」
「……ぐぬぬ……」
微笑みながら頭を撫でてくるエリスに、イナリはぷるぷると震えた。
「そと、きれいじゃな」
イナリは窓から見える地上の景色を見下ろして、放心気味に呟いた。本当は妙な形をした山だとか、よく見える歪みもとい魔王だとか、言及したいことは色々あるのだが、今はとてもそんな気分ではなかった。
結論から言えば、イナリが危惧していたように、自分たちが入っている箱が振り回され、内部の荷物が人と共に混ぜこぜになるような事態は無く、無事空の旅に出ることに成功した。
ただ、エリスが言っていたように、離陸時の衝撃はすさまじいもので、天界から地上まで自由落下した経験を二度持つイナリであっても、恐怖心を抱くに足るものであった。
しかも不規則に揺れ動くものだから、見事イナリは酔うことになった。いつぞやの、ディルの背に括りつけられた時などとは比にならない。
だが、今は空高いところで安定しているので、多少立って歩くくらいはしても問題ない。ただしイナリは例外であるが。
「イナリさん、大丈夫ですか?少し横になりますか?」
「うむ」
イナリが床に正座して座るエリスの膝に飛び込むと、そっと受け止められて寝かされる。ひとまず、これで多少は楽になるだろう。イナリはしばし深呼吸して落ち着いてから、ため息をついた。
「ふう……。それにしても、当初は飛竜便があるのに、何故馬車なんぞ使っておるのかと思うておったが……このような有様では飛竜便は普及するわけがあるまいな……」
「それはそうだね。ドラゴンも無限にいるわけじゃないし、維持にだって相当なコストがかかる。しかも馬の御者の数十倍は技量が必要で、命の危険もあって、輸送できるものも限られる……。あと、メルモートも含む一部地域なんかは、接近したドラゴンは必ず撃ち落とすように言われているし……普及は不可能だね」
「でも、そこに現れた革命的な方法が転移魔法!……だったんですけど……今は何か、世間的な雲行きが怪しそうですよね……」
イナリの言葉に頷くエリックに、さらにハイドラが割って入る。彼女は錬金術師で、流石にリズほどではないが、魔法にも一家言あるらしい。
「俺はそういうのは詳しくねえが……ま、その辺は現地に着いたら色々見えてくるだろうさ。何なら、聞かなくてもリズが勝手に喋ってくれるまである」
「あはは、リズちゃんならありそうですね!……手紙だと悲鳴を上げてたけど、元気にしてるかなあ……」
ハイドラが窓の外を眺めながら呟く。
「ま、あいつは色々と図太いしうまくやってるだろ。寧ろ先生の方が心配まである。ウィルディアさん……だったよな?あの人、お世辞にもあまり体力があるようには見えなかったからな」
「確かに、私もそういうイメージは持ってないですねえ……」
「ともかく、現地に着いたら出来ることを探してみよう。きっと人手はいくらあってもいいはずだ」
「そうだな」
ディルが返事を返しているところで、イナリはふと思ったことを口にする。
「……そういえば我、ポーションを作るんじゃったか。となると、ハイドラと行動を共にすることになるのかのう?」
「うーん、建前上はそうだろうけど……瓶に水淹れてあの実を漬けるだけだし、あまり拘束するのも悪いよね……。原料を見られるのも拙いし、ひとまず、私がラボに籠って、一生懸命作ってるふりでもしておく?」
「それも気が引けないことは無いが……ま、これも現地で考えるべき事やもしれぬな」
「そうしようか。うーん、あまり先延ばしは好きじゃないし、一応色々予想しておこうかな……」
ハイドラは唸りながら考え込み始めた。
会話が一区切りついたので、イナリは寝返って窓の外を眺めた。すると、偶然角度が一致して、歪みが目に入る。それをしばし眺めていると、エリスが声をかけてくる。
「……魔王が気になるのですか?」
「うむ。最近はめっきり話題に上がらなくなっておったが……あそこはどうなっておるのじゃろうか」
「……噂によると、少しずつ北上して干上がった土地が拡大し、生存可能な場所は減り続けているとか。勇者は選定されたようですし、そう遠くないうちに対処は始まるはずですが……今回はどれぐらいの場所が住めなくなるのでしょうかね……」
「ふむ……」
物憂げな表情を作るエリスを見て、イナリは相槌を打って返した。
あの、空を摘んで捻りながら引っ張ったような歪みを見ていると、漠然と未来に対する不穏さを感じて、不安な気分になる。この世界の人間は、これを四年に一回程度の頻度で経験しているというのだから恐ろしい話だ。
ただ、これについてはイナリも恐怖を齎した者の一角を担ってしまっているので、どうこう言う筋合いはないかもしれない。
……そう考えると、「樹侵食の厄災」が忘れ去られるのが一番な事には変わりないが、仮に勇者がイナリを魔王として認知した時に弁明できるように、少しでも徳を積んでおくべきなのかもしれない。
というのも、少なくとも、イナリの外見は、窓の向こうで世界を歪ませている得体の知れない物体モドキとは違い、可憐で、威厳に満ちた、神々しい姿を持っているからだ。ならば、アルテミアで活躍して認知されれば、弁明の余地くらいはできるのではないだろうか?
そして、肝心の勇者というのもアルテミアに居るはずだ。そう、今まさに向かっている街に居るはずなのだ。
だとすれば、ポーション制作作業の傍ら、勇者を特定しておく必要があるだろうか。しかし、今回の旅の過程で見つかった謎は他にも山積しているし、そちらも放置してはいけないように思える。
「……うむ、うむ……頑張らねば……」
やるべきことは多い。イナリは脳内に大雑把な計画書を作り上げると、拳を握り、静かに呟いた。
その様子に気がついたエリスは、微笑みながらそっとイナリの頭に手を置いて、ゆったりとした間隔で撫でてくる。
それに眠気が誘発されたイナリはそのまま目を瞑り、酔い覚ましに加えて、早起きしたせいで眠り足りなかった分の埋め合わせも兼ねて、ひと眠りすることにした。
目が覚めたころには、きっとアルテミアに到着していることだろう。
ここまでを「アルテミアへの旅路」編としまして、次回より新章入ります!




