224 ナイア到着
イナリを乗せた馬車はナイアの検問所へと到達するも、そこには長蛇の列が形成されていて、街に入るまでに時間がかかるのは明らかであった。
既に後ろには別の人間や馬車などが列を成しているし、メルモートなど比較にならない程の人の出入りがあるようで、三大都市の名は伊達ではないということが窺える。
さて、列が進まないということは、周辺にこれといった変化もなくなるわけで。暇を持て余したイナリは、荷台の後方に寄って代わり映えのしない外を眺めながら、無駄に高度な技術が詰め込まれた賽を弄んでぼうっとしていた。
他の皆はと言えば、神官繋がりの話題で盛り上がったり、さすらいの魔術師と戦闘に関する議論をして盛り上がったりしている。……後者については、盛り上がっているのは片方だけに見えるが。
なお、ハイドラは毛布を敷き詰めて再び寝ている。曰く、まだ村での一件での疲れが十分に抜けきっていないからだそうだ。それを見たイナリは、一応ブラストブルーベリーを食べるよう勧めてみたが、ハイドラのウサギ耳が直角に曲がる程の勢いで首を振られた。
それにしても、別に待つこと自体は苦じゃないが、皆が何かしらしている中、一人ただぼうっとしているのは気に食わない。しかしその辺を出歩くわけにも行かないので、イナリはただこうしているほか無いのだ。
そんな退屈な時間を過ごしていると、突然イナリの隣に立ち上がったグラヴェルの足が置かれた。
「すみません、少し用事ができたので降りさせていただきます。後でナイアの教会前に行きますので、そこで合流しましょう」
「えっ?は、はい……?」
「皆さん、ここまでありがとうございました」
ベイリアがぽかんとした表情になるのをよそに、グラヴェルは礼を言って荷台を飛び降り、去っていった。
「……あの、ディルさんが執拗に絡むから嫌気が差してしまったのでは?」
「いや、そんなはずはない……はずだ。イナリ、お前もそう思うだろ?」
「さあの」
察するに、死んだはずの人間が検問を通るというのは都合が悪いのだろう。検問時の魔力がどうのこうのという本人確認の仕組みはよくわからないが、それくらいの事はわかる。
しかし、だとしたらどうするのだろうか?ナイアには、メルモート程ではないがそれなりに強固そうな壁が建てられているし、強行突破は難しそうだ。流石に何か考えがあってのことなのだろうが、イナリには見当がつかなかった。
ともかく、イナリは適当に返事を返しながら立ち上がって、エリスの膝の上に飛び乗った。
「エリスよ、お主はずっと訳わからん話をしておるし、我は退屈じゃ。一体いつ街に入れるのじゃ?」
「うーん、大抵こういうのは、三十分から一時間程度ですかね。一緒に気長に待ちましょうね」
「うむ」
「……ずっと思っていたのですが、お二人は大変仲がよろしいのですね。昨今、人間族と獣人族の関係が険悪になりつつある中で、お二人の姿は大変尊いものに見えます!」
「それはそうじゃ。実際、我は他の誰より尊い存在じゃからな」
「え?あ、は、はあ」
イナリの言葉に、ベイリアはやや困惑したような声を上げた。
「ええと、今のは置いておいてください、ベイリアさん。でも実際、私とイナリさんは普通の関係ではないのですよ。ね?イナリさん」
「うむ」
「えっ?……あ、そういう感じなんですか。ああー、ええっと……おめでとう、ございます?ですかね?」
エリスの言葉に、ベイリアはさらに混乱しているようだ。ここまでの話に、そんなに難しい要素があっただろうか?それに、何故祝われたのだろうか?
イナリが首を傾げているうちに、ベイリアは混乱した様子のまま、隣にいるディルに耳打ちした。実に小さな声だが、イナリにはしっかり聞き取れる。
「あの、すみません。あれって合法的なやつですか?その、年齢的な意味で」
「質問の意図はわからないが、ベイリアさん、多分何か勘違いしているんじゃないか……いや、勘違いじゃない、のか?……少し考えさせて欲しい」
「……エリスよ、あやつらは何を混乱しておるのじゃ?」
「さあ、どうしたのでしょうかね?ふふふ」
エリスは笑いながら、イナリを抱く力を少し強めた。
検問の様子は概ねトゥエンツと同様で、順番が来たら、全員一旦馬車を降ろされ、荷物の確認や魔力検出装置による本人確認、イナリが実を食べてドン引きされるところまで、そっくりそのままであった。
唯一の相違点は、発信機を渡されなかったことくらいだろうか。
それをイナリが問えば、曰く、この都市を出入りする全員に発信機を持たせていたらキリがないから、らしい。発信機も無限では無いということだろう。あるいは、ただ面倒だというだけの話かもしれないが。
検問所を抜けて少し進み、街の中に入ると、路面は石畳になり、周囲には様々な建造物が立ち並んでいて、街道には大量の人間が行きかっていて、何か芸を披露したりしている者も見受けられる。端的に表現するならば、如何にも栄えていると言ったところか。
「中々すさまじい場所じゃな」
「そうでしょう。メルモートよりよほど色々ありますからね!ベイリアさん、何かお薦めの場所をご存じないですか?」
「……すみません、実は私、殆ど教会に居たので、そう語るほどこの街に来たことが無いんですよ……」
「あっ……すみませんでした……」
表情を暗くするベイリアを見て、エリスはそっと目を背けた。
「……ええと、イナリさん、見てください。この辺にもなると、人間族以外も増えてくるのですよ。……あ、失礼ですから、あまりまじまじと見てはいけませんよ」
誤魔化すようなエリスの言葉に周囲を軽く見回せば、なるほど確かに、純粋な人間でもないが獣人でもなさそうな人間が時折見受けられる。中には、魔物と何が違うんだろう、と思うような容姿の者も、数人程度見受けられる。
そういった者らを一瞥していると、今度はディルから声がかかる。
「イナリ、一応念押しするが、ここに限らず、メルモートと同じ感覚でいると危険だからな。絶対に変な所にふらっと行くんじゃないぞ」
「大丈夫ですよディルさん、イナリさんは常に私が見ておきますから。それに、イナリさんとは出かける前に約束事もしましたからね」
「うむ」
「イナリ、問題だ。知らない奴にナイア名物の美味しいものがあると言われたら、どうする?」
「それは勿論ついて行……か、ないのじゃ。と、当然じゃろ。何を分かりきったことを聞いておるのじゃ?我を馬鹿にしておるのか?」
「……」
イナリの言葉を聞いた一同は、その危なっかしさに言葉を失った。
街について一番最初にしたことは、カトラス商会に出向き、馬車と馬を返却することであった。
ハイドラが商会の窓口で手続きをしている間、他の皆は商会の中を軽く見て回ることになり、イナリもまた、エリスと共に商会の商品棚を見て回ることにした。そこには、妙に光沢で輝く盾や宝石等、如何にも高価そうな商品が展示されていた。
そしてイナリは、恐らく品書きであろう張り紙を見つけると、如何にもわかった風に腕を組んで頷いた。
「……ふむ、高価じゃな……」
なお、何だか分かったように呟いているが、今のイナリには文字が読めないので、果たして先ほど見た石が金貨何枚ほどの価値なのかはまるでわからない。何なら、これが品書きなのかすら定かではない。所詮、「わかった感」を出しているだけである。
イナリがそんなことをしていると、エリスが不思議そうな目を向けて尋ねてくる。
「イナリさん、どうしたのですか?」
「んん?いやな、この品書きを見て、その価格に感心しておったのじゃ。人の手を介すと、元はただの石であっても、莫大な価値が付加される。あるいは、人がそれに価値を見出すのやもしれぬがが。昔から、こういうのを面白いと思っておったのじゃ」
イナリは、真面目な面持ちでエリスに返しながら、懐から硬貨入れを取り出し、そこから硬貨を一枚摘まみ上げた。
「そもそも、人がこの硬貨に価値を設定し、共有するというのも不思議な話じゃ。しかも、世界を越えて同じような仕組みを構築しておる。つまり、人間は皆、時を経れば自然とそうするということじゃ。エリスよ、お主も不思議とは思わぬか?」
「……ええと、そうですね。とても興味深いお話だと思います。ですが、その、申し上げにくいことではあるのですが……それはこの商会の案内図ですから、価格はどこにも書いていませんよ?」
「…………」
イナリは壁の案内図を見上げると、静かに硬貨入れを懐に戻し、近くの椅子に座って顔を伏せた。




